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常世と現し世の狭間で
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刀鍛冶の里から戻った無一郎は、屋敷に茉鈴がいないことに気付き、そこで初めて昨夜何があったのかを知ることとなった。
昨夜屋敷に残っていた隠の案内で蝶屋敷へと急ぐ。
「ああ、時透くん」
柔らかな、しかし緊張の色が混ざる声と共に、蟲柱の胡蝶しのぶが無一郎を出迎えた。
「里から戻ったんですね」
「は…はい。あの、茉鈴は?」
「こちらへ」
しのぶに案内され、他の療養中の隊士とは異なる個室に入る。
「!…茉鈴… 」
酸素マスクを着け、何本もの点滴の管に繋がれ、身体は包帯でぐるぐる巻きでベッドに横たわる茉鈴。
初めて見る覆面の下の顔は青白く、目は固く閉ざされたままだった。
「鬼の血鬼術による毒が全身に回って危険な状態だったようですが、以前私が持たせた血清を隠の人たちが打ってくれたそうで、なんとか一命を取り留めました。ただ……」
「ただ?」
「まだ余談を許さない状況です。意識も戻りませんし、一旦はこうして命が繋がっても、彼女の体力次第ではこのまま目を覚ますことなく死んでしまう可能性も零ではないのです」
「そんな!」
顔を青くした無一郎が茉鈴のベッドに駆け寄る。
「茉鈴!茉鈴!しっかりして!目を開けてよ!」
耳元で大きめの声を出しても、茉鈴はぴくりとも動かない。
「時透くん。……今夜明日辺りが峠です。…こんなこと言いたくありませんし私だって茉鈴さんには戻ってきてほしいと思っていますが……。“万が一”のことがあった時のことを覚悟していたほうがいいかもしれません…」
「…っ…!」
蟲柱はこんな時に縁起でもない冗談を言うような人物ではない。そんなことは無一郎もよく分かっている。
思わず涙を浮かべる無一郎の肩を、しのぶがそっと抱き寄せた。
「…僕に何かできることはありますか?」
「手を握って話し掛けてあげてください。今はそれしかできませんが、あなたの声を頼りに彼女が戻ってきてくれるかもしれません」
「分かりました……。胡蝶さん、茉鈴が目覚めるまで僕もここにいていいですか?」
「いいですよ。後でアオイたちに布団を運ばせますね。茉鈴さんの傍にいてあげてください」
「はい……」
しのぶが退室した。
無一郎が茉鈴の手を握る。
「茉鈴、起きて!死んじゃだめ!」
無一郎の叫びも虚しく、部屋に響くのは茉鈴の苦しそうな呼吸音だけ。
「…ぅっ…茉鈴…目を開けてよぉ……!」
言いながら無一郎の瞳に涙が溢れる。
嫌だ!茉鈴、死なないで!僕を独りにしないでよ。もう誰かを失うなんて嫌だ!
……“もう”?どうしてそう思ったんだろう。僕は前にも大事な人を亡くしたことがあったのかな。分からない。でも茉鈴を失いたくない。怖い!
「うっ…うぅ……、茉鈴…!」
止め処なく零れ落ちる涙を拭うこともせず、無一郎は茉鈴の手を握り、泣きながら声を掛け続けた。
ここは…どこ? 真っ白で何も見えない。
私はなんでここにいるんだろう。鬼と戦って…それからどうなったんだっけ?
息が苦しくて、全身が痛くて。……それからよく覚えていない。
辺りを見渡す。
!
我が目を疑った。
そこに佇んでいたのは、会いたくて会いたくて仕方なかった、懐かしい大好きなあの子。
『…ゆ…有一郎くん…?』
「茉鈴…!」
目の前の彼が慌てたような表情になる。
『有一郎くん!会いたかった…!』
視界がぼやける。
私が駆け寄ろうとすると、有一郎くんがそれを止めた。
「こっちに来ちゃだめだ、茉鈴!早く戻るんだ!」
『…え…?』
彼は何を言っているの?せっかく会えたのに。
「茉鈴、よく聞いて。君は鬼と戦って今瀕死の状態なんだ。今ならまだ間に合うから、早く向こうに戻るんだ!」
『有一郎くんは?一緒に行こうよ』
「俺は一緒には行けない。行ったところで肉の器がないんだから」
『だったら、私の身体に入りなよ。有一郎くんが戻ってきてくれたら、無一郎くんも喜ぶよ、きっと 』
「そんなのだめだ。茉鈴はまだ引き返せる。俺は死んでしまってからもう既に何年も経ってるんだぞ」
『そんな……やだ…!』
堪えきれずに泣き出した私のところに有一郎くんのほうから近付いて来てくれて、頬に有一郎くんの手が触れる。
「…泣かないで、茉鈴。俺は茉鈴にこんな若くして死んでほしくない。ずっと元気で幸せに、長生きしてほしいんだ」
最後に会ったのは、彼らが11歳になって少し経ったあの日。忘れもしないあの日。あの時の姿のままの有一郎くん。
「早く帰さなきゃいけないけど、伝えたかったこと言うね。…茉鈴が一緒に暮らそうって言ってくれたの、ほんとはすごく嬉しかった。俺たちのこと、いつも気に掛けてくれて、いっぱい優しくしてくれて、ものすごく救われてたんだ。…茉鈴、ありがとう。大好きだよ」
『う…有一郎くん…っ…』
涙が後から後から溢れて、有一郎くんの顔がはっきり見えない。
「早く戻るんだ。……ほんとは俺も、もっとゆっくり茉鈴と話したいんだけど、ほら、もう身体が透けてきてる。急がなきゃ」
『…え?…!あ、ほんとだ……』
涙を拭って彼の指差すほうを見ると、身体がところどころ透け始めていた。
『有一郎くん…いつか生まれ変わったその先で出会えたら、またお友達になってくれる?』
「もちろんだよ。絶対また会おうな。茉鈴のこと、きっと見つけ出すから」
『うん…!……有一郎くん、1回だけ、ぎゅってしていい?』
「うん。嬉しい」
そっと抱き締め合う。
ああ、なんて小さいの……。
この3年で無一郎くんには追い抜かれてしまった私も、あれから少しは背が伸びたから。今では有一郎くんとの身長差が頭一個分くらい開いていた。
最後に会ったあの日から時間が止まってしまった有一郎くんの身体。こんなに小さな身体で、たったひとり残された弟を守ろうとしていたのね。
じわりと再び涙が滲む。
「ああ…茉鈴……あったかい……」
ぽつりとそう呟いた有一郎くんの声も湿り気を帯びていた。
ゆっくりと身体を離す。
有一郎くんの目からも涙が零れ落ちた。
「……やっぱり名残り惜しいや…。ほんとはこのまま茉鈴とずっと一緒にいたい」
『私も。せっかく会えたのにお別れしたくない』
1回だけ、と言ったけれど、どちらからともなくもう一度抱き締め合った。
『有一郎くん…大好きよ』
「俺も茉鈴が大好き。……無一郎のこと、頼むね」
『うん。任せて。絶対私が守るから』
今度こそ身体を離す。
「長いこと引き止めてごめん。もう大分透けてきちゃったな。……あっちに行けば戻れるよ。さあ、早く」
『私こそごめんね。会えて嬉しかった。ありがとう』
お互いに相手の頬に残った涙をそっと拭って笑い合う。
「茉鈴、また会おうな」
『うん。またね、有一郎くん』
軽く手を振って、私は有一郎くんが指差すほうへ走った。
「まりん!まりん!」
遠くから無一郎くんの声が聞こえる。そっちに行けば戻れるのね。
無一郎くん、待ってて。きっと戻るからね。あなたのことは絶対に独りぼっちになんかさせない。ずっと傍にいるって誓ったんだから。
「……ん、ま…、まりん!」
『…ぅ……』
声が聞こえて、茉鈴は重い瞼を持ち上げた。
そこにあったのは、目と鼻を真っ赤にした無一郎の顔。
『むいち……、時透様…?』
「茉鈴!よかった…気がついた……!」
茉鈴の目が無一郎を捉えた瞬間、堰を切ったように無一郎の目から大粒の涙が溢れ出した。
そして、ぎゅっと茉鈴に抱きつく無一郎。
「時透くん、どうし……、!茉鈴さん目が覚めたんですね」
『しのぶ様……』
「よかったです。これまで何度も命が危うくなったの。戻ってきてくれて、ほんとによかった」
しのぶが安心したように微笑んで、まだ無一郎に拘束された茉鈴の頭をそっと撫でた。
「あなたが私が作った血清を持っていてくれたから、隠の人たちがそれを早くあなたに使ってくれたから、茉鈴さんの身体に回っていた鬼の毒を緩和することができたんです」
『そう…だったんですね……。…すみません、結局鬼を倒せずに逃げられてしまって…』
「なんにも気にすることないんですよ。上弦の鬼を相手に夜明けまでたった1人で戦ったと聞きました。すごいことです。頑張りましたね」
『…ありがとう…ございます……』
茉鈴が照れたように目を細めて笑った。それを見て、もう大丈夫だと判断したしのぶ。
「時透くんがずっとあなたの傍にいてくれました。ゆっくりお話でもどうぞ。点滴が終わる頃にまた来ますね」
『はい』
しのぶが退室した。
茉鈴はまだ自分にくっついたまま泣いている無一郎の身体に腕を回し、そっと背中を叩く。
『時透様…、もう泣かないで… 』
「うっ…、泣くよ!泣くに決まってるでしょ!……ひぐっ……丸2日目を覚まさないし…その間何回も死にかけるしっ…!…うぅっ…生きた心地がしなかったよ…!」
『すみません…ご心配をお掛けしました』
無一郎が一旦身体を離し、ちり紙で盛大に鼻をかむ。
『時透様の声が聞こえて…、それを頼りに戻ってきました。ありがとうございます。ずっと傍にいてくださったんですよね…』
茉鈴の言葉に、また無一郎の目からぼろぼろと涙が零れ落ちた。
「怖かった…!茉鈴が死んじゃうのが、堪らなく怖かった……。ぅっ…ずっと呼び掛けてるのに全然応えてくれないし……。ひっく…胡蝶さんからも万が一のことを覚悟してって言われるし。…うぅ…」
『…ごめんなさい、時透様』
茉鈴が重い腕を持ち上げ、無一郎の涙をそっと拭う。
無一郎は堪らず再び茉鈴を力いっぱい抱き締めた。
『ぁいたっ…』
「!ご、ごめん……」
茉鈴の小さな悲鳴に慌てて力を緩める無一郎。
茉鈴もゆっくりと無一郎の身体に腕を回す。
無一郎くんに二度とこんな思いをさせちゃいけない。ごめんね、無一郎くん。これからは今度こそちゃんとあなたの傍にいるからね。
手の甲に刺さった点滴の鈍い痛みを感じながら、茉鈴は強くそう思った。
しばらくして、無一郎の身体から力が抜け、ずしりと重くなった。
今の自分の体力ではどうすることもできないので、誰かが来てくれるのをこのまま待つことにした茉鈴。
そして、少し経った頃、音柱が見舞いにやって来た。
「よぉよぉ!宝生、目が覚めたんだってな。よかったよかった!」
『宇随様。あの後色々とお世話になったんですよね。ありがとうございました』
「いいってことよ!…ところで、時透は何してんだ?」
『丸2日傍についていてくださったらしくて……。疲れて寝ちゃったみたいです』
「へえ。こいつも大胆なとこあるんだなあ。…重いだろ。退かしてやる」
『すみません。ありがとうございます。私じゃ動かせなくて』
天元が無一郎を抱え、ベッドの脇の、蝶屋敷の娘たちが用意してくれた布団に無一郎を寝かせる。
涙でぐしょぐしょになった寝顔を見て、天元が吹き出した。
「派手だな」
『泣かせちゃいました』
「無理もねえよ。お前はこいつの心の拠り所だろうからな」
思いがけない言葉に、茉鈴の胸が小さく高鳴る。
『拠り所……。そう思ってもらえてたら嬉しいなあ…』
「きっとそうだろ。…ゆっくり休めよ」
『はい。ありがとうございます』
天元が茉鈴の頭をわしゃわしゃ撫でる。
そこへ、ドタドタと騒々しい足音と共に、恋柱がやって来た。
「茉鈴ちゃん!よかった、目が覚めたんだねえ!」
『蜜璃さん』
「上弦の鬼相手にすごいよ!ほんと、よく頑張ったね!」
蜜璃がぎゅっと茉鈴を抱き締めた。豊かなお胸に顔が埋まる。
『んぷっ…!』
それを見た天元が、窒息しちまうぞ、と笑いながら蜜璃に声を掛けたのだった。
続く
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