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線上のウルフィエナ

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線上のウルフィエナ

7 - 第七章 二人の旅立ち

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2023年09月23日

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赤白い太陽が地平線に沈み、麓の城下町が多種多様な輝きで着飾り始める。

 そういった意味では、丘の上は落ち着きを払っていると言えよう。

 山を削って設けられたその区画は豪邸が立ち並ぶも、下層とは対照的に商店の類は非常に少ない。

 道すがら街灯が並んではいるが、庶民の営みが祭りだとするならば、上層は兵で守られた要塞のようだ。

 眩しすぎないその一画で、閉店時間を無視した客が泥棒のように病院へ足を踏み入れる。


「遅かったじゃない」

「ご、ごめんなさい!」


 医者から開口一番叱られてしまった以上、傭兵は深々と頭を下げて謝罪する。

 清潔感溢れるここは個室の病室だ。

 木枠の小さな窓。

 真っ白なベッド。

 小物を置けるキャビネット。

 そして、椅子に腰かけた白衣の女性と、ベッドに横たわる痩せこけた少女。

 昨日から何一つ変わらない風景だが、パオラの顔色は見違えるほど健康的だ。一命をとりとめた証拠とも言えよう。

 もちろん、油断は出来ない。患者の体は未だに死体よりも細く、骨と内臓に皮膚だけが張り付いている状態だ。


「おにいちゃん」

「元気そうだね。おばさんの言うこときちんと聞いてた? あ、痛い、蹴らないでください」

「誰がおばさんよ。あなたって時々、嘘か本当かわからない冗談言うわよね。で、こんな時間までどこ行ってたの?」


 アンジェが呆れる程度には遅い時間帯だ。ウイルが付き添ったところでパオラの容態が今以上に改善するわけではないのだが、医者としては小言の一つも言いたくなってしまう。


「パオラのお父さんについて調べて来ました。ただ……」


 得られた情報は多い。

 一方で、この場では言えないことも判明してしまった。

 ネイグリングという名のユニティが壊滅したかもしれない。つまりは、その一人であるロストンもまた、殺されてしまった。

 もちろん、子供の前でそんなことを明かせるはずもなく、二人は一旦退室し、廊下での立ち話で情報共有を完了させる。


「本人にどう伝えましょう?」


 ウイルとしても唸るしかない。

 あなたのお父さんは魔物に殺されました、などと言えるはずもなく、十六歳の少年は頭を抱えてしまう。


「あなたが旅立つ前に伝える他ないと思うけど……。形見を持ち帰ることが、あの子の支えになるとも思えないのが辛いところね」


 アンジェの感想は悲観的ながらも事実を捉えている。

 パオラは父親に会いたがっている。

 その父親は娘を虐待していた。

 この時点で取り付く島もないのだが、再会という願望は魔物によって打ち砕かれてしまったのだから、ウイルに出来ることは死体を見つけ、遺品を持ち帰ることだけだ。

 しかし、それすらも彼女の救いとはならない。

 死にかけの少女が一人残されるだけなのだから、パオラが形見を手にしたところで状況は何一つ進展しない。


「そのことなんですが、エヴィ家の養子にしたいと思っています。両親には何一つ相談してませんけど」


 ウイルの発言は思い付きだ。根回しなど一切しておらず、ゆえに実現性については不明瞭ながらも、そうすることが彼女にとってのベストだろうと考えた結果、この考えに至った。


「良い提案だと思うけれど、最終的にそれを決めるのはパオラちゃん自身よ。そこだけは勘違いしないように、ね」

「あ、はい……。確かにそうですね」

「じゃあ、戻りましょう。言いにくいなら私から説明するけれど……」


 隠すつもりもないが、本人に面と向かって伝えることもはばかれる。ロストンの死はそういう案件ゆえ、ウイルの足取りは重いままだ。

 対してアンジェは、パオラの元へ戻る際も笑顔を忘れない。患者を心配させまいという気遣いがそうさせるのだが、その表情は少女の発言によって崩されてしまう。


「おとうさん、しんじゃったの?」


 消え去りそうな声が響くと同時に、室内の空気が凍り付く。

 事実を伝える手間が省けた、などと喜ぶことは出来ず、ウイルは己の迂闊さを心の中で呪う。


(しまった。この子は超越者……。聴覚だって普通じゃないんだ。廊下のヒソヒソ声くらいなら……)


 パオラは体こそ極限まで衰弱しているが、生命力や五感の類は人並み外れている。いかに小声で話そうと、そしてその場所が扉を挟んだ向こう側であろうと、彼女の耳はそれを容易くキャッチしてみせる。

 狼狽する傭兵を他所に、アンジェはこの状況を切り抜けるため、怯むことなく一歩踏み出す。


「ええ。あなたのお父さんは、仲間の人達と出かけて、旅先で魔物に殺されてしまったそうなの。もちろん、それが本当かどうかはまだわからない。だから、このお兄ちゃんが確かめに行くから。それまではここで安静にしていましょう。その後のことについては、三人で考えればいいから……」


 内緒話を聞いていたのだから、少女にとっては二度目の通達だ。それでも、アンジェは相手の目を見て説明責任を果たす。

 医者として。

 大人として。

 包み隠さず話す。この状況ではそうするしかなく、ここから先は少女の反応次第で対応を考えるしかない。


「おとうさんと、もうあえない?」

「そう……ね。そうなっちゃう。だから、お兄ちゃんがお父さんの所持品……、持ち物を探してくれるって」

「うん。少し時間はかかっちゃうかもだけど、見つけてみせる。お父さんを連れて帰っては来れないけど、傭兵として最も大事なこれ、お兄ちゃんも持ってるこのカード、ギルドカードって言うんだけど、お父さんのギルドカードを持ち帰るから……。そんなことをしたところで君には何のためにもならないだろうけど、これが傭兵の流儀だから……。ごめん、何もしてあげられなくて……」


 死者は蘇らない。いかなる方法だろうとそればかりは不可能だ。この世界の理であり、生物ならば決して抗えないルールそのものと言えよう。

 パオラの父親は殺された。

 彼女の願いは再会だったが、それが叶えられないと判明した以上、ウイルに出来ることは限られる。

 許しを請うように遺品の回収を提案するも、その結果、少女が救われるとは微塵も思ってはいない。無慈悲な代替案だと重々承知しながらも、それしか思いつかなかったのだから、彼女のためというよりは自身を納得させたいだけなのかもしれない。

 今にも泣きそうなウイルのその顔へ、パオラはゆっくりと手を伸ばす。


「いっしょに、いきたい」

「そ、それは……」


 少女の小さな声が、医者を心底驚かせる。

 しかし、アンジェは最後まで言い切れなかった。

 父親に会いたいというごく自然の願望が打ち砕かれてしまったのだから、その矢先に二個目の頼み事すら否定することは良心が痛む。

 その上、その言葉には未だかつてない重みがあった。

 一緒に行きたい。

 一緒に生きたい。

 どちらとも捉えられるフレーズだからこそ、アンジェは言葉に詰まる。


「う、う~ん……。お医者さんが良いって言ってくれたらだけど、少し元気になれたとは言え、こうもゲッソリだと……。アンジェさん、そこらへんどうなんですか?」

「え? あ、そうね、もう少し入院期間が必要なのは事実よ」


 二人は首を縦に振れない。パオラの容姿は未だにミイラと見間違うほどだ。治療が間に合い死を免れたとは言え、それも昨晩のこと。つまりは、体調は依然として健康とは程遠い。


「そうですよね……。行くだけならまだしも、今回は森の中を隅から隅まで走って探さないといけませんし……」

「あそこまで行くのも至難でしょ。最短距離でも十日前後。安全なルートを進むのなら二週間は見込まないといけないんだし」

「がむしゃらに走れば、ジレット監視哨までなら一日もかかりませんよ。あ、でも、この子を抱っこしてとなると、ペース落とさないといけませんね。だとすると、それでも二日はかからない……と思います」


 傭兵は平然と言ってのけるが、この問答においては女医の方が正しい。

 ジレット大森林。そこに至る旅路は決して穏やかではない。草原を越え、森を抜け、さらには巨大な平原を越えたその先が目的地なのだが、大人でさえ十日以上はかかる道のりだ。もっとも、道中は魔物がひしめいているのだから、軍人や傭兵でなければたちまち殺されてしまう。

 魔物が少ないルートも存在するのだが、いくらか遠回りとなるため、かかる時間はグンと増してしまう。

 これが事実であり、アンジェがパオラの同行を許可出来ない理由だ。

 片道でさえ、二週間前後。

 往復なら一か月と言ったところか。

 この少女がそのような長旅に耐えられるはずもない。朝から晩まで歩かなければならず、食事の献立も偏ってしまう。

 ゆえに不可能だ。間違いなく、過労死してしまう。

 本来ならばその通りだが、この少年にそういった常識は通用しない。

 抱き抱えて走る。

 そして、一日ないし二日で目的地に着いてみせる。

 そんな進行スケジュールを計画出来る理由は、傭兵にとってそのペースが当たり前だからだ。


「か、仮にそうだとしても認められないわ。あなたがどれだけすごかろうと、あんな森の中から遺体……を探すとなると絶対に一週間やそこらじゃ終わらない。運が良くて、ううん、あなたが私の想像のさらに上をいくとして、一週間で見つけてしまえたとしても、行って帰ってくるまでに十日前後。それすらも医者として許可出来ない」

「で、ですよね……。ちなみに、何日くらいなら?」

「最長で五日……かしら? ハイエリクシルを何本か持たせることを前提とするけれども」

「あ、だったらそれでいきましょう。五日間なら多分、なんとか……。明日、準備のために薬の材料もがっぽり持ち帰ります」


 この瞬間、アンジェは己の迂闊さに気づかされる。

 非現実的な数字を提示するも、ウイルには逆効果だ。条件付きで許可が得られたに等しいのだから、やる気をみなぎらせながら即座に予定を組み立てる。


「本気なの?」

「難しいとは思いますけど、不可能じゃないはず……。それに、監視哨で待機してもらうって方法もあります。軍人さんが嫌な顔しそうですけど、それはまぁ、説得してみせます」


 道中、パオラの体調が悪化した場合、引き返しても良いのだが、ジレット監視哨へ駆けこむことで軍医に診てもらうことが可能だ。彼女の願いを叶えることと引き換えに危険にさらすことにはなってしまうが、対応策がある以上、ウイルとしては同行を許可したい。

 そうであろうと、アンジェは尻込みしてしまう。危篤状態から脱却出来たばかりゆえ、絶対安静は必須だからだ。

 ましてや、少女の目的は歪だ。

 父親の亡骸を見つけたい。

 そのような動機のために、助かった命を再度危険な目には会わせたくない。


「そもそもあそこって封鎖されてるのよね? どうするつもり?」

「それなら大丈夫です。通行証みたいなものをもらってきました」

「どんな人脈使ったのよ……」


 女医が抱く疑問は一瞬で霧散する。本来ならば喜べば良いのだろうが、彼女の表情は呆れ顔だ。


「傭兵は顔が広いんです。お医者さんのオッケーももらえたことだし、具体的な予定を考えるとなると……。明日はトカゲ退治で一日が終わっちゃうと思うから、明後日の朝に出発? アンジェさん的にはそれでも大丈夫ですか?」

「前提条件として、その時にこの子の体調が悪化していないこと。これだけは絶対よ」


 医者の発言を受け、ウイルは力強く頷く。

 今回の遠征は単なる人探しではなくなった。衰弱している少女を同行させるのだから、この傭兵にとっては完全に未知の領域だ。


(まるで、昔の僕とエルさんみたいだな……)


 付き従うだけのウイル。

 足手まといな少年を守りながら、目的地を目指すエルディア。

 四年前はそれが当たり前だった。

 そのような構図になってしまった理由は、この傭兵に戦う力がなかったからだ。

 しかし、今は違う。

 四年の歳月とそれに寄り添う努力と経験が、エルディアという目標をついに越えさせた。

 そのはずだったのだが、前回の手合わせでは敗れてしまい、結果、彼女と離れ離れになってしまう。

 苦い思い出だ。

 一秒たりとも忘れたことはない。

 それでも前を向けた理由は、やはりエルディアという傭兵のおかげだ。

 能天気で。

 ほがらかで。

 戦いたがりで。

 前向きな彼女。

 そんな相棒と四年も旅を続けたのだから、影響を受けて当然だ。


(今度は僕の番だ。この子を守りながら、旅を完遂してみせる)


 少女の要望を跳ねのけられないのなら、危険を承知で守り抜く。

 自信のあるなしで言えば、ウイルとしても怖いに決まっている。パオラの体調がいつ悪化するのか読めない以上、足手まといどころではない。

 それでも拒絶だけはしない。父親に会いたいという至極当たり前な願いを受け止めた以上、その依頼は完遂してあげたい。


「おにいちゃん、ありがとう」

「うん」


 その笑顔を力に変えて、ウイルは二日後、この地を旅立つ。

 一人ではなく、二人で。

 相方はエルディアではなくパオラだが、そうであろうと問題ない。

 この少年は傭兵だ。守られる側の人間ではない。

 この旅路が、そうであることを証明してくれる。

 その先に待つ敵がどれほどに強大であろうと、その意志は決して挫けない。

 全てを手放し、新たな生き方を手にした少年。

 父親に見捨てられ、救われた少女。

 二人は引き寄せられ、巡り合った。ならば、その手が離されることは二度とない。

 出発の時だ。

 目的地はジレット大森林。魔物がはびこる、緑に包まれた大森林。

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