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海の紅月くらげさん
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【現実世界・湾岸東区/旧技術検証棟・地下通路】
階段を降りるたび、白さが増した。
壁も、床も、天井も。
塗装の白ではない。
光を返しすぎる、冷たい白だ。
城ヶ峰が先頭に立ち、隊員たちがその後ろに続く。
日下部はノートパソコンを抱えたまま、
壁の継ぎ目や床の反射を目で追っていた。
「……病院の白じゃない」
佐伯の言葉を思い出しながら、日下部が低く言う。
「ここ、意図的に“汚れ”が残らないようにしてる」
足音が吸われる。
機械音だけが、ずっと低く鳴っている。
通路の先に、二重扉が見えた。
右脇に、細い緑のランプ。
その横には、英語と日本語が並んだ避難表示。
「一致したな」
城ヶ峰が言う。
佐伯と村瀬の記憶どおり。
つまりここは、ただの旧施設じゃない。
“今も使われている場所”だ。
隊員のひとりが、遠隔用の小型カメラを扉の下へ滑らせる。
扉の隙間の向こうには、さらに白い部屋があった。
中央に大きな機材。
床には円。
壁際に細い端末。
そして――動いている。
「……開ける」
城ヶ峰の短い声。
二重扉が重く開いた。
◆ ◆ ◆
【現実世界・湾岸東区/旧技術検証棟・地下中枢】
部屋は、以前のサーバールームより広かった。
白い床。
白い壁。
白い照明。
だが中央にあるものだけが、異質な熱を持っている。
巨大な円柱型の演算装置。
サーバーというより、塔に近い。
無数の細いケーブルが床下へ沈み、
周囲の床には青白い文字列の円が幾重にも走っていた。
円が三重。
その外側に、さらに薄い補助円。
まるで“輪の輪郭”そのものを床に移したみたいだ。
日下部の呼吸が浅くなる。
「……これ、アンカーです」
「前のサーバーより、基幹に近い」
城ヶ峰は即座に部屋全体を観察した。
中央装置。
側面端末。
壁面のモニター群。
天井の換気口。
光の入り口。影の逃げ場。
「撮れ。触るな」
隊員たちが散開する。
壁際のモニターには、地図が出ていた。
学園跡地を中心にした輪。
その輪の外周に、複数の点。
湾岸、駅前、病院周辺、商業地、行政導線。
そして、点のいくつかには色がついていた。
青。黄。赤。
日下部が目を細める。
「青は稼働待機、黄は予備、赤は起動中……か」
城ヶ峰が短く言う。
「根拠は」
「希望的観測です」
日下部は額の汗を拭わずに続ける。
「でも、色の変化が現実側の出現地点と合ってる。たぶん間違ってない」
その時、壁際の端末画面の一つに文字が走った。
《BASELINE SYNCHRONIZING》
《HOST STABILITY: RISING》
《ANCHOR RING: EXPANDING》
日下部の顔から血の気が引いた。
「……基盤の同期」
「やっぱり、“輪”はただの転移じゃない。世界の足場をずらしてる」
城ヶ峰はその言葉を頭に入れたまま、さらに画面を追う。
別のモニターには、人型のシルエットが並んでいる。
横に数値。
安定率。
同期率。
定着率。
「……これか」
城ヶ峰の声が低くなる。
「定着体の管理画面」
日下部が息を呑む。
「そこまで行ってるのか……」
その瞬間、部屋の照明が一拍だけ明滅した。
全員の動きが止まる。
中央装置の側面、細いスリットの暗がりから、黒いものがにじみ出た。
液体みたいに、煤みたいに、ずるりと。
「ライト!」
城ヶ峰が即座に命じる。
強光が向けられる。
黒いものは一度だけ引いた。
だが、完全には戻らない。
光を避けながら、人の輪郭を作っていく。
白衣。
細い首。
丸眼鏡のような影。
技術者の姿だ。
「ログは残ってますか?」
影が、穏やかな声で言った。
「監査用に、二重で保存したほうがいいですよ」
隊員のひとりが思わず後退る。
だが城ヶ峰が手で制した。
「撃つな」
低い一言。
影は続ける。
「定着率が上がると、現場対応が難しくなるんですよね」
「でも、そこが面白いところで――」
朝日が届かない。
この地下には、自然光がない。
日下部が喉を鳴らす。
「……窓がない」
「光の量が足りない」
城ヶ峰は即座に判断した。
「中央装置から離れろ。壁際ライト固定」
「影を“寄せる”な」
技術者影は笑っているようで、笑っていない。
目の位置だけが、妙に冷たい。
「ご安心ください」
「まだ、ここは途中ですから」
その言葉の直後、壁際モニターの一つが切り替わる。
映ったのは、別の施設。
同じ白い床。
同じ円。
同じ装置。
湾岸だけではない。
輪の縁に、同型が複数ある。
城ヶ峰の目が鋭くなる。
「……全部繋がっているな」
影は丁寧に頷いた。
「基盤ですから」
◆ ◆ ◆
【異世界・転移した学園/体育館・午前】
体育館の空気は、朝より少しだけ動いていた。
先生たちが班分けをし、子どもたちに水を回し、
明るい場所へ人を寄せる流れができ始めている。
崩壊寸前だった空気が、なんとか形を持ち直している。
だが、ハレルの胃は軽くならない。
サキがスマホを見下ろしたまま言う。
「……点、まだ増えてる」
「駅以外にも、こっち側に来てる場所がある」
画面の輪の縁。
薄い点が、まだ消えない。
駅だけでは終わらない。
ダミエが、体育館の穴を見たあと、静かに立ち上がった。
「……縫い目は保ってる」
「でも、外で増えると、ここも引っ張られる」
ハレルが眉を寄せる。
「引っ張られるって……」
ダミエは目だけでサキのスマホを見る。
「輪は、別々に見えて、別じゃない」
「だから……どこかが裂けると、他も薄くなる」
教頭がその言葉を聞いて、少し青ざめた。
「この学園の中だけ守っても、足りないのか」
「足りない」
ハレルは、珍しく迷わず言った。
「でも、ここを崩したらもっと駄目です」
その返答が、先生たちにとっては一番現実だった。
夢みたいな理屈じゃない。
守る場所を守りながら、次を考えるしかない。
ノノの声がイヤーカフから飛ぶ。
『学園、聞こえる?』
『イルダ西区、イデール先輩が持ちこたえてる。でも兵士型の定着がもう一体出た』
『街の人が、“紋章を見ても安心できない”段階に入ってる』
ハレルは目を閉じる。
定着。
侵蝕。
秩序の顔。
父の背中が、また頭をよぎる。
◆ ◆ ◆
【異世界・王都イルダ/西区・午前】
イデールの班は、まだ動き続けていた。
市場通りに光を流し、路地の暗がりを減らし、
住民を“明るい通り”へ寄せる。
逃げ場を教えるのではなく、逃げ道そのものを作っているような動きだ。
「こっちよお。あわてないでえ」
いつものおっとりした声。
なのに、その声に従う住民の足は速い。
黒い目の兵士が、また一人見つかった。
今度は宿屋の裏手。
剣を抜いたまま、壁に向かって「巡回は正常です」と繰り返していた。
イデールは深く息を吸い、光癒を重ねる。
班の術師も続く。
淡い光が兵士の胸を包み、煤のような黒を少しだけ薄くする。
完全には戻らない。
でも、暴れる勢いは落ちる。
「……きれいにはいかないわねえ」
イデールが小さく言う。
それでも手は止めない。
近くの住民が、泣きそうな顔で聞いた。
「助かるんですか……?」
イデールは一拍だけ黙り、でも目をそらさない。
「助けるために、光を当ててるの」
「だから、まだ諦めないでえ」
それが、今のイルダで言える最大限だった。
◆ ◆ ◆
【異世界・転移した駅周辺/ホーム・午前】
ホームでは、人の位置がようやく固定され始めていた。
光の当たる場所。
影を避ける場所。
駅員たちも、理由は分からないままその手順を覚えていく。
だが、楽にはならない。
停車中の車両の中、黒眼の学生がまだ非常用ハンマーを握っていた。
別の車両の奥では、誰かが泣きながら笑っている。
どこまでが人で、どこからが別のものか、見分けがつきにくい。
リオが低く言う。
「車両ごとに切り分ける」
「明るいところから一つずつ、人を出す」
ヴェルニが頷く。
「まとめて助けようとすると崩れるな」
森の縁では、巨大影が位置を変えている。
四足の黒。
狼とも熊ともつかない。
さらに奥で、馬や牛に近い影が揺れている。
駅員の顔色が悪い。
「……あれ、入ってきたら」
アデルの声が通信で届く。
『入れない。中を守る。外へ出ない』
短い言葉。
でも、今はそれでいい。
リオはホームの中央に立ったまま、
光と影の境目を見つめていた。
◆ ◆ ◆
【現実世界・都内/路上】
木崎は走りながら、送られてきた画像を確認していた。
一般人の静止画。
ドラレコ。
店先の防犯カメラ。
どれも雑だ。ぶれる。
でも、その雑さが逆に現場を残す。
同じ若い警官が、違う場所にいる。
しかも、人の流れを“ちょうどいい場所”で切っている。
「……秩序の顔で、誘導してる」
木崎は低く呟いた。
そして、城ヶ峰へ新しい画像を投げる。
――『同一個体らしき警官、複数地点確認。一般人の記録も回収中』
その直後、通りの向こうで信号待ちの車列が乱れた。
巨大な黒い四足が、ビルの陰からぬっと首を出したのだ。
馬とも牛ともつかない輪郭。
端々に青白い文字列。
悲鳴。
急ブレーキ。
木崎は反射でシャッターを切る。
現実の街に、もう異世界の獣では表現しきれないものが歩き始めていた。
◆ ◆ ◆
地下の白。
街路の黒。
体育館の穴。
駅の光。
市場通りの治療光。
全部が別々に見えて、別ではなかった。
輪の縁が、ひとつずつ世界に杭を打っている。
そして、その杭はまだ増えている。