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海の紅月くらげさん
第134話 条件式
◆ ◆ ◆
【現実世界・湾岸東区/旧技術検証棟・地下中枢】
白い部屋の中央で、巨大な円柱型の演算装置が低く唸っていた。
その音は、耳で聞くというより骨の奥で感じる種類の音だった。
床を這う青白い文字列の円が、装置の呼吸に合わせて明滅する。
三重の主円。外側の補助円。
どれも、見れば見るほど“魔法陣”より“処理系の基盤”に近い。
城ヶ峰は中央装置から一定の距離を保ったまま、
壁際のモニターを見ていた。
隊員たちはライトを固定し、影の出る角度を消している。
日下部はノートパソコンを開き、
棒の先の小型カメラが拾った画面を拡大していた。
「……項目名が出てる」
日下部の声が低くなる。
モニターの一つに、英語主体の表示が並んでいた。
《BASE RING》
《LOCAL ANCHOR》
《HOST STABILITY》
《PRIMARY OBSERVER》
《SECONDARY OBSERVER》
《AUXILIARY LAYER》
《RE-ALLOCATION PATH》
《BASE SHIFT RATE》
日下部の眉が寄る。
「……観測体、補助層、再配置経路……」
城ヶ峰が短く聞いた。
「読めるか」
「全部は無理です」
日下部は画面の下を追う。
欠けたログ、流れる英数字、別の文字列の割り込み。
それでも、拾える断片を声に出した。
「《再配置経路:未固定》」
「《局所アンカーのみ停止時……基盤裂断率上昇》」
「《第一観測体・第二観測体・補助層……同期条件未達》」
「《順序違反時……基盤損傷拡大》」
誰もすぐには喋らなかった。
城ヶ峰が低く言う。
「つまり、杭を一つ止めただけじゃ駄目だ」
「……そう見えます」
日下部は唇を噛む。
「“戻す”って言葉は使ってない。
でも、“再配置経路”っていうのは、対象を元の位相へ戻す処理に近い気がする」
城ヶ峰の目が細くなる。
「気がする、か」
「断定はできません」
日下部は正直に答えた。
「でも、これは単なる転移じゃない。
座標をずらして終わりじゃなくて、“どこへ、どう置き直すか”まで管理してる」
その時、中央装置の側面スリットが、じわりと黒く滲んだ。
全員の体が硬くなる。
白衣の影はまだ完全には出てこない。
だが、見えないところでこちらを見ている気配だけがある。
城ヶ峰が短く言った。
「記録を続けろ。画面だけ抜く。触るな」
隊員が遠隔カメラの角度を変える。
別のモニターに切り替わる。
そこには、円の中心と輪の外周の関係図が出ていた。
学園跡地を中心にした輪。
湾岸の施設群。
駅前。
病院周辺。
行政導線。
さらに、まだ“予備”としか思えない薄い点まである。
画面右下には、小さくこう出ていた。
《BASE SHIFT RATE : 8.1》
《ANCHOR EXPANSION READY》
日下部の顔が強張る。
「……基盤の侵蝕率」
「しかも、“拡張準備完了”」
城ヶ峰は端末を取った。
「木崎に回す。
日下部、お前の読める範囲を全部まとめろ。
――言葉の意味は、向こうで拾える奴がいる」
日下部は頷いた。
「……木崎さんか」
「匠と話してる」
城ヶ峰は短く返す。
「断片を繋げられるなら、あいつだ」
その瞬間、白衣の影が初めて少しだけ不機嫌そうに笑った。
「よく読めますね」
穏やかな声。
だが、その目の位置だけが妙に冷たい。
「でも、その用語は、あなたがた向けじゃないんですよ」
城ヶ峰は答えない。
ライトが白衣の影へ向くと、影はわずかに引く。
だが、消えない。
中央装置の周囲の円が、一拍だけ強く光った。
部屋全体の白が、冷たくなる。
日下部が低く言う。
「……別の杭が動く」
城ヶ峰は即座に端末を取り、短い通話を飛ばした。
「木崎。今から送る表示を見ろ。
現実側の言葉に置き換えられるなら置き換えろ。急げ」
◆ ◆ ◆
【現実世界・都内/路上】
木崎は、送られてきた画像データを歩道の端で確認していた。
一般人の静止画。
ドラレコ。
店先の防犯カメラ。
どれも粗い。だが、その粗さの中に“現場の本音”が残っている。
そこへ、城ヶ峰から別のデータが届いた。
白い施設のモニター表示。
英語主体の、冷たいシステム用語。
《PRIMARY OBSERVER》
《SECONDARY OBSERVER》
《AUXILIARY LAYER》
《RE-ALLOCATION PATH》
《LOCAL ANCHOR》
《BASE SHIFT RATE》
木崎は足を止めた。
周囲ではまだ避難誘導の声が飛び交い、
遠くで誰かが叫び、
サイレンが細く重なっている。
その喧騒の中で、木崎だけが画面の文字列を睨んだ。
「……これか」
匠の言葉が頭の奥で重なる。
輪。
順番。
主鍵。
副鍵。
スマホ。
プログラム層。
全部いる。
木崎は低く呟く。
「“第一観測体”……ハレルだろ、これ」
歩きながら、指で画面をなぞる。
「“第二観測体”が副鍵側。
“補助層”は……匠たちが作ったプログラム層。
“再配置経路”は、向こうの言葉でいう“帰還”だ」
自分の中で、言葉がはまっていく。
ぴたりと、ではない。
でも、かなり近い。
その時、スマホが震えた。
城ヶ峰からの着信。
「木崎だ」
『読めるか』
城ヶ峰の声は短い。
「読めるっていうか、繋がった」
木崎は周囲を警戒しながら答える。
「“第一観測体”はハレルの主鍵に相当する。
“第二観測体”は副鍵側だ。
“補助層”は匠たちのプログラム層。
“再配置経路”は、こっちの言葉でいう“帰還”に近い」
通話の向こうで、一拍だけ沈黙が落ちる。
城ヶ峰がそれを飲み込み、すぐ聞き返す。
『根拠は』
「匠の言葉と、施設の表示の噛み合い方だ」
木崎は即答した。
「しかも“局所アンカーだけ止めると裂ける”って出てるなら、
学園だけ戻しても駄目って意味になる。匠の言ってたことと一致する」
『……分かった』
城ヶ峰の声が一段低くなる。
『つまり、“戻る方法はあるが、手順を間違えると世界ごと傷む”』
「そういうことだ」
木崎は言い切った。
「しかも、あいつらはその“戻る処理”までシステムに入れてる。
完全に融合させるか、あるいは必要なら対象だけ再配置できる前提で動いてる」
通話の向こうで、日下部の息を呑む音が微かに混ざる。
城ヶ峰が短く言う。
『十分だ。続けて記録を拾え』
「分かってる」
通話が切れる。
木崎はスマホを握り直し、空を見た。
曇りかけている。
光が薄くなれば、影の動きが変わる。
その時、車道の向こうで、巨大な四足の黒い影がまた首をもたげた。
馬とも牛とも言い切れない輪郭。
端々に青白い文字列。
誰かが悲鳴を上げる。
木崎は反射でシャッターを切った。
「……帰る方法があるなら、先に壊されるわけにいかねえよな」
誰に聞かせるでもなく言って、木崎はまた走り出した。
◆ ◆ ◆
【異世界・転移した学園/体育館・昼前】
体育館では、子どもたちが少しずつ“ここで過ごす形”を覚え始めていた。
明るい場所で座る。
暗い隅へ行かない。
床の冷たい円には近づかない。
先生の指示が通る。
泣いている子のそばには誰かがいる。
それでも、不安が消えたわけではない。
サキはスマホを見下ろしていた。
残量は低いまま。
地図の輪の外周には薄い点がいくつも残っている。
その時、画面が一瞬だけ真っ白になった。
「……っ」
サキが息を止める。
ハレルがすぐ横から覗き込む。
地図でもメッセージでもない。
文字列が、縦に崩れながら流れていく。
《P……RIM……》
《…KEY》
《…SECOND…》
《…LAYER》
《…ANCHOR…》
「なにこれ」
サキの声が掠れる。
ダミエがすぐに近づいた。
フードの奥の目が、画面をじっと見る。
「……向こうの表示」
短い言葉。
「安定してない。だから、崩れて届いてる」
ハレルの胸元の主鍵が、じわりと熱を持つ。
反応している。
向こう側の何かに。
セラの声が、耳の奥に薄く触れた。
《……現実側で、輪の基盤表示を拾っています》
《完全ではありませんが、こちらにも漏れている》
「戻る方法……」
ハレルが低く言う。
「見えたのか」
《条件だけ》
セラは静かに答えた。
《主鍵。副鍵。プログラム層。順番》
《局所杭だけを止めると、裂けます》
ダミエが短く頷く。
「……妥当」
それが、いちばん嫌な肯定だった。
サキがスマホを握り直す。
「じゃあ……このスマホ、やっぱりただの武器じゃないんだ」
《ええ》
セラの声が返る。
《“道”です》
ハレルは息を吸う。
父の言葉。
匠の背中。
主鍵。
スマホ。
全部が一つの手順に並び始めている。
だが、まだ足りない。
◆ ◆ ◆
【異世界・王都イルダ/西区・昼前】
イデールの班は、まだ街の光を保っていた。
市場通りに白い灯りを流し、路地の暗がりを削る。
住民を少しでも“光の中”へ寄せる。
治療班の術師たちの顔には疲労が見えるが、手は止まらない。
「この先、ひとりで行かないでえ」
イデールが住民に優しく声をかける。
「暗い路地、まだ危ないからあ」
その言葉の直後、建物の影から黒い猫影が二匹飛び出した。
住民の足元へ行こうとする。
術師たちが即座に光を灯す。
「〈光癒・第二級〉――『灯れ』!」
「左、屋根の下!」
「消さないで!」
猫影は縮み、石畳の継ぎ目へ逃げようとする。
だが逃げ切る前に、イデールの光が上から覆った。
「〈光癒・第三級〉――『ほどいて、やさしく』」
白い光が、猫影を輪郭ごとほどいていく。
完全に消し切るほど強くはない。
けれど、通りにいられない程度には削れる。
住民の一人が震える声で言った。
「……あれも、兵士みたいになるんですか」
イデールは少しだけ目を伏せ、それから頷ききらずに言う。
「ならないように、明るくしてるの」
本当は、確信なんてまだない。
でも、街を歩かせるためには言葉が必要だった。
◆ ◆ ◆
【異世界・転移した駅周辺/ホーム・昼前】
駅の空気は、朝よりも重くなっていた。
人の位置は整理されている。
だが、整理されたぶん、“足りないもの”がはっきり見える。
水。
食料。
休める場所。
そして、明るさ。
雲が増えてきた。
ガラス屋根越しの光が少しずつ鈍る。
リオがホームの先を見て、短く言う。
「……光が弱くなる」
ヴェルニが舌打ちする。
「最悪のタイミングでな」
黒眼のサラリーマンはまだ完全には止まっていない。
治療光を当てれば縮む。
だが光が薄れると、また輪郭が濃くなる。
その向こう、車両の中では黒眼の学生がハンマーを握ったまま揺れている。
さらに、森の縁の巨大影たちも、少しずつ前へ出てきていた。
駅員が小声で言う。
「……曇ったら、まずいですか」
リオは即答できなかった。
答えは分かっている。
でも、それをそのまま口にすると崩れる。
だからアデルの言い方を真似る。
「明るい場所を増やす」
「それだけやる」
ヴェルニが外套を払って立ち位置を変えた。
「ガラスの反射も使えるかもしれねえな」
軽口ではない。
本気で考えている声だった。
ホームの上の雲が、さらに厚くなる。
◆ ◆ ◆
【現実世界・湾岸東区/旧技術検証棟・地下中枢】
白衣の影は、光の縁を避けるようにして中央装置の側面に沿っていた。
完全には出てこない。
だが、消えもしない。
「基盤ですから」
影は穏やかな声で繰り返す。
「順番を間違えると、面白いくらい壊れますよ」
城ヶ峰は答えない。
日下部が画面を追う。
別のモニターが切り替わった。
《RETURN PATH:LOCKED》
《UNLOCK CONDITION:KEY SYNC /
LAYER STABILIZE / ANCHOR REDUCTION》
日下部が声を落とす。
「……やっぱり同じです」
「帰還経路の解放条件。鍵の同期。プログラム層の安定化。杭の削減」
城ヶ峰は短く言った。
「十分だ。持ち帰る」
その瞬間、白衣の影が初めて少しだけ不機嫌そうに笑った。
「持ち帰れますか?」
中央装置の周囲の円が、一拍だけ強く光る。
部屋全体の白が冷たくなる。
隊員がライトを上げる。
影は引く。
だが中央装置のランプもまた、ひとつ色を変えた。
赤。
起動色だ。
日下部の背中が冷える。
「……別の杭が動く」
城ヶ峰は即座に端末を取った。
「木崎、記録班、全現場へ。輪の別杭起動の可能性」
「光を切らせるな。現場の明るさを落とすな」
白い部屋の低い唸りが、少しだけ大きくなった。