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ああ、そろそろ深夜1時になろうか。
駅から徒歩圏内とは言い難い単身者向け賃貸アパート、プラザ中崎の周辺に人影は皆無といって良い。
不便な場所であっても公園や緑が多いというなら住環境にとってプラスにもなろうが、この辺りは小さなマンションやビルがせせこましく立ち並び、昼間は埃っぽく雑多な印象を拭えない。
とぼとぼ──。
といった足取りで足取りで歩を進める長身の男は、幾ヶ瀬である。
疲れを、あるいはストレスを吐き出すように、大きく息をついた。
冷たい空気を胸いっぱいに吸い込むと、ほんの少し表情がやわらいだろうか。
さすがにこの時間ともなると、澄んだ大気が心地良く感じるのだ。
すぐ近くにあるコンビニの灯かりもここまでは届かないが、去年設置された街灯の青い光がぼんやりとアパートを照らしている。
鍵を取り出す手元が迷うことはない。
今日は随分遅くなってしまった。
明日も出勤だというのに……。
階段を上がりながら、幾ヶ瀬はため息をついた。
遅番の片付け中に、バイトの学生が辞めたいと言い出したのだ。
面接時の話では試験中はシフトを入れないということになっていたのに、その約束が反故にされそうだというのが理由らしい。
さもありなん。
店長の奴、最初から約束なんて守る気はなかったに違いない。
適当に面接をすませる強欲店長の姿がありありと目に浮かぶようだ。
だからと言って間に立ってやるほど幾ヶ瀬も立場が強くない。
これから本格的なクリスマスシーズンである。
ただでさえ人手が足りない時に辞められてはたまらないということしか考えが及ばないのは、やはり社蓄時代に性根が腐ってしまったからかとぼんやりと思うだけ。
シフトには文句をつけずに、試験期間はインフルエンザを理由に休む人もいるよと、根本的な解決には程遠いアドバイスで何とか宥めて、片づけを終えたのはいつもより30分以上も経ってからのことであった。
職場から5分程度という帰り道であるが、やはりこうも遅くなると人通りやコンビニの客の人数など見える景色がかなり違っている。
階段を上がり切って、鞄から鍵を出した。
こんな時間になって、有夏は心配しているだろうか──そんな考えが一瞬過ぎって「いや、ないな……」と哀しく打ち消す。
どうせ、こたつに潜りこんでゲームをしているに違いない。
それとも、こたつに潜りこんで漫画を読んでいるか。
あるいは、こたつに潜りこんでうたた寝をしているかもしれない。
「何か腹立つな……」
食事を作って風呂に入って、今夜はさっさと寝てしまおう。
昨日の鍋の残りにもやしと麺を放り込んで、それを食べよう。
作るのには15分もかかるまいと算段をたてる。
アパートの2階廊下に並ぶドアは4つ。
自分と有夏の部屋、それから隣りにクソビッチが住んでいる(たまに有夏に菓子をよこして餌付けしようとするから油断はできない)。
あとの1軒は多分空き家だ。
つまり、夜中といえど気をつかう必要はないということ。
手元でガチャガチャと音が鳴るのは、有夏に貰ったキーチェーンを鍵につけているからだ。
コンビニくじでダブった進撃の巨人キーチェーン(目当ての商品が出るまで金をつぎこんだらしい!)をくれたもので、幾ヶ瀬としてはさして興味もないがせっかくなので付けているのである。
派手に音を鳴らしながら鍵を差し込み、ガチャリと回す。
扉を開けるスピードが、いつもよりゆっくりだったのは、やはり疲れが出たせいか。
頭の幅より少し広めに開けたところで、一瞬動きが止まる。
のろのろとした動作で身を引くと、幾ヶ瀬は片手を額に押し当てて固まってしまった。
廊下から見れば姿勢の悪い男が家の中に顔だけ突っ込んでいる様に見えて、相当妙な体勢ではある。
「……えっ?」
──なにやってんの?
声が掠れてしまって、室内にまで届かない。
玄関から向こう──短い廊下と部屋の間の扉が開け放たれているせいで、室内が丸見えだ。
コタツが見える──だが、その中に有夏はいなかった。
「セイッ!」
──なにやってんの? え? てか、なにやってんのかな?
ベッドの上に立ち尽くす有夏は……何というか、変な感じだった。
朝と同じパジャマを着たまま、ベッドに仁王立ち。
何やらポーズを決めているのか?
そうかと思うと、勢いをつけてベッドに倒れ込む。
スプリングの力を使い跳ねた。
そのまま腕をのばして天井にタッチ。
空中で前転するように、くるりと半回転し、今度はベッドに両手をつける。
直後、両足に力を込めてピョンと床に降り立った。
「国民全員1人1円くれたらそれだけで1億円!」
独りのときのテンションたるや(2)に続きます(明日更新)