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第20話 名前の残響
ひよりの呼吸は、ようやく少しだけ落ち着いてきた。
けれど胸の奥はまだざわざわしていて、
さっき思い出してしまった“あの名前”が、
頭の中で何度も反響していた。
佐伯。
忘れていたはずの記憶。
思い出したくなかった場面。
胸の奥に沈めていた痛み。
陽はひよりの横で、
ひよりの手を包んだまま、
静かに息を合わせてくれていた。
「……少し、落ち着いた?」
ひよりは小さく頷いた。
でも、目は合わせられなかった。
陽は無理に覗き込もうとはしない。
ただ、ひよりの手の震えが止まるのを待っている。
「ひよりさ……
走ってきたとき、すごく怖い顔してた」
その言葉に、
ひよりの胸がまたきゅっと縮んだ。
(……見られてたんだ)
陽は続ける。
「誰かに何か言われたんじゃなくて……
“思い出した”って顔だった」
ひよりの指先がぴくっと動いた。
陽はその反応を見逃さなかった。
「……やっぱり、何か思い出したんだね」
ひよりは唇を噛んだ。
言いたくない。
でも、嘘もつけない。
「……名前を……言われて……
思い出しちゃって……」
声が震える。
陽はひよりの手を少しだけ強く握った。
「誰の名前?」
ひよりは答えられなかった。
喉が詰まって、声にならない。
陽はすぐに問い詰めるのをやめた。
ひよりの沈黙を責めることもしない。
ただ、
ひよりの肩にそっと手を置いた。
「言いたくないなら、言わなくていいよ。
ひよりが苦しくならないように話してくれたら、それでいい」
その言葉に、
ひよりの胸の奥がじんわりと温かくなる。
(……陽くん……)
涙がこぼれそうになる。
でも、泣きたくない。
泣いたら、全部崩れてしまいそうで。
ひよりは俯いたまま、
かすかに首を横に振った。
「……ごめん……
まだ……言えない……」
陽は優しく微笑んだ。
「いいよ。
ひよりが話せるときまで、待つから」
夕日の光が二人を包み、
ひよりの震えは、
ほんの少しだけ静まっていった。