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ひよりはまだ俯いたまま、
陽の手の温度だけを頼りに呼吸を整えていた。
夕日の色は少しずつ薄れ、
キャンパスの空気は夜の気配を帯び始めている。
陽はひよりの横で、
急かさず、問い詰めず、
ただ静かに寄り添っていた。
「……少し、落ち着いた?」
ひよりは小さく頷いた。
でも胸の奥のざわつきは、まだ完全には消えていない。
陽はひよりの表情を見て、
そっと声を落とした。
「無理に話さなくていいよ。
でも……ひよりが怖い思いしたなら、俺は知りたい」
その言葉に、
ひよりの胸がまたぎゅっと痛んだ。
(……陽くんは優しい。
だからこそ……言えない)
思い出したくなかった記憶。
佐伯の名前。
あの頃の痛み。
全部、陽に知られたくなかった。
ひよりは小さく首を横に振った。
「……ほんとに……大丈夫だから……」
陽はひよりの言葉を否定しなかった。
ただ、ひよりの手を包んだまま、
静かに息を合わせてくれた。
その沈黙は、
ひよりにとって苦しくなく、
むしろ安心をくれるものだった。
少しして、
ひよりはようやく顔を上げた。
「……陽くん、ありがとう。
ほんとに……助かった」
陽はふっと笑った。
「ひよりが困ってたら、助けるのは当たり前だよ」
その笑顔に、
ひよりの胸がまた熱くなる。
(……陽くんの前だと、
なんでこんなに……)
言葉にできない感情が、
胸の奥で静かに揺れた。
そのときだった。
遠くの通路の影に、
ひよりは“見覚えのある姿”を見つけてしまった。
佐伯。
ひよりの身体がびくっと震える。
陽はすぐに気づいた。
「ひより……?」
ひよりは反射的に陽の袖を掴んだ。
自分でも驚くほど強く。
陽はひよりの手を包み返し、
視線の先を追った。
「……あの人?」
ひよりは答えられなかった。
ただ、震える指先がすべてを物語っていた。
陽はひよりの肩にそっと手を置いた。
「大丈夫。
俺がいる」
その一言で、
ひよりの呼吸がまた少しだけ整った。
でも、
佐伯の影は確かにそこにあった。
そして、
ひよりの胸の奥の痛みは、
まだ消えていなかった。