蛇骨長屋戦闘開始
蛇骨長屋戦闘開始
「と、いう訳で大和屋が志麻ちゃんを狙っているのは間違いが無いようで・・・」
銀次は大和屋から離れると一直線に一刀斎の元を訪れて報告した。
「志麻の名前は出なかったんだな?」一刀斎が訊いた。
「だが、話の内容から言って間違いようがねぇ」
「ということは、大和屋は草薙監物の弟だということじゃな?」 おっとり刀でやって来た慈心が訊く。
「間違いねぇ、監物の仇討ちだ」銀次が言い切った。
「その侍の腕は?」
「わからねぇけど、この後に及んで大和屋が目をつけた男だ、相当腕がたつに違いねぇ」
「そうだな、用心してかからにゃなるめぇ」一刀斎が腕組みをした。
「船で行くと言っていたな?」
「三河まで行くと言ってた」
「なら、船に乗る前にカタをつけなきゃなるめぇよ」
「大和屋を見張るか・・・」
「しっ・・・」一刀斎が手を上げて慈心を制した。
「誰だっ!」大声で誰何する。
微かな足音がドブ板を踏んで木戸の方へと遠ざかる。銀次が慌てて外へ飛び出した。
「よせ銀次!」一刀斎が止める。
「兄ぃ面目ねぇ、尾つけられちまったようだ」銀次が申し訳なさそうに言った。
「仕方あるめぇ、それだけ大和屋は手強いと言うわけだ」
一刀斎が腕組みを解いて慈心を見た。
「面白くなりそうじゃな」慈心が一寸ばかり口の端を持ち上げた。
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「蛇骨長屋か・・・」大和屋仁平は腕組みをして唸った。「高田の馬場で黒霧志麻の加勢をした奴らだな」
「へい、そのようで・・・」猿のような顔をした小柄な体躯の男が頷いた。「あっしがしっかり気配を消していたにも関わらず気付かれやした。相当な手練れのようで」
「そいつらに邪魔をさせちゃならねぇ、明日の出航までになんとかしなければ」
「あっしらに任せて頂きやしょう、必ず仕留めてご覧に入れます」
「猿太夫、お前たち下忍は暗殺にかけては右に出るものはいねぇが、面と向かった戦いではどうなんだ?」
「ご心配には及ばねぇ、下忍には下忍の闘い方がありやす。奴らの弱点は奇襲に不慣れな事、決して討ち漏らすことはありやせん」
「そうか、では仕事料は日頃の倍を出そう、必ず仕留めろ」
「承知・・・」
猿太夫は音もなく座敷を出て行った。
「いつもながら得体の知れぬやつだ・・・」
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「こちらから攻め込むか、それとも相手の出方を待つか?」
慈心が一刀斎と銀次を交互に見遣った。
「奴らが志麻に追いつく為には、遅くとも明日には船を出さなくちゃなるめぇ、ならば必ず今夜中に襲って来る」
「だが、ここを戦場にしては長屋の衆に迷惑がかかる」
「もう手遅れだ、銀次、長屋のみんなに戸締りをして決して外に出ないよう伝えてくれ」
「ガッテンだ!」銀次は勇んで外へ飛び出して行った。
「一刀斎、まともに闘える者はお主と儂しかおらぬ・・・どうする?」
「この長屋は四方を表店で囲まれている、入り口は裏と表の通りに面した二箇所しかねぇ。二人で別れて守るしかあるめぇ」
「敵の人数は分からぬぞ」
「仕方ねぇさ、相手が何人でも闘うしかあるめぇよ」
「分かった、儂が裏を守る」
「よし、俺は表だ・・・」
「ちょいと待ちな!」
その時お梅婆が引き戸を開けて入って来た。どこから持って来たのか脇に大薙刀を抱えていた。
「銀次から話は聞いたよ、あんたら水臭いよ」
「婆さん、なんだその薙刀は?」
「こう見えてもアタシは上士の家の出だよ。祖父さんの不始末で改易になっちまったが、一通りの武芸は習ったんだ」
「長屋の衆には関係のねぇ話だ、危険な目に遭わせるわけにはいかねぇ」
「バカ言ってんじゃないよ、聞けば志麻ちゃんを守るための闘いだと言うじゃないか。アタシらだって手伝う権利がある」
そう言ってお梅婆は後ろを振り返った。
見ると銀次の他に船頭の秀、若い町医者の寿庵が櫂や手術用の小刀メスを持って立っている。長屋八軒の内、志麻と閃光院が不在なので他の全ての住人が集まった事になる。秀の嫁と息子の健太も後ろにいた。
「敵がどんなやつかも分からねぇんだぜ」一刀斎が皆を見て言った。
「分かったって同じ事さ、この長屋の住人は皆家族なんだ。家族を守る為なら命なんか惜しくない、ねぇ皆んな!」
お梅婆が言うと全員が大きく頷いた。
「どうだ一刀斎、これでも手伝わさない気かい?」
一刀斎が大きく溜息を吐いた。
「そこまで言うんなら仕方がねぇ、だが決して無理をするな。危なくなったらすぐに逃げるんだ」
「言われなくても分かってるよ、敵はみんなあんたらの方へ追いやってやるさ」
「チッ、口の減らねぇ婆ぁだ」
「さてどうすれば良い!」お梅婆が襷を口に咥え左の胸前でキリリと結ぶ。
「婆さんはここで秀の女房と健太を守れ、銀次と秀は爺さんに付け、寿庵先生は俺と来てくれ」
「分かった」寿庵が頷いた。
「それからその小刀メスじゃ役に立つめぇ、この脇差を貸すから腰に差しておくといい」
寿庵は恥ずかしそうに小刀メスを懐に仕舞うと、一刀斎から脇差を受け取った。
「よし、戦闘開始だ、みんな配置につけ!」
「オウ!」
一刀斎の号令でそれぞれが持ち場に散って行った。
*******表木戸
八人の黒装束の一団が蛇骨長屋の木戸に到着した。
「半分は裏手に回れ・・・手筈は分かっているな?」
下知を下したのは猿太夫である。
四人が無言で頷くと、足音を殺して駆け去った。
「裏で騒ぎが起こったら木戸を乗り越える」猿太夫が残った者達に言った。
*******裏木戸
「あぁ、臭ぇ・・・まだこねぇのか?」
長屋の裏手にある共同厠の中に隠れている秀が、鼻を摘んで顔を顰めた。
「贅沢言うねぇ、臭いのはこっちだって同じだ、屋根があるだけマシじゃねぇか」
長屋のゴミ箱の裏に身を潜めた銀次が言い返す。
「だってよぅ、暗くて糞壺に落っこちそうなんだよ」秀が泣きそうな声を出す。
「二人とも、もう暫くの辛抱じゃ」
慈心が厠の目隠しの為に植えてある柳の木の下にしゃがんだままで声を掛けた。
「爺さん大丈夫かい、その態勢は年寄りにはキツかろう?」
銀次が慈心を気遣って言った。
「なぁに、これは居合の座構えと言ってな、すぐに立ち上がれる姿勢なんじゃ」
「そうかい、無理するんじゃねぇぜ」
「馬鹿にするでない、まだまだ若い者には負けはせん」
「それだけの元気がありゃ大丈夫だ」
その時裏木戸の上で人影が動いた。
「ん・・・?」
「どうした爺さん?」
「どうやら来たようじゃ、銀次、秀ぬかるでないぞ」
「まかしとけ」
*******裏木戸
忍刀の鍔に足を掛け裏木戸をよじ登ると、黒尽くめの男が長屋の敷地内に飛び降りた。
内側から閂かんぬきを外して木戸を開けようとしている。
「来やがったな!」
厠から飛び出した秀が、櫂かいを振り上げて男に迫る。
男は驚いて振り返ったが、横に飛んで辛うじて秀の攻撃を避けた。
櫂が強かに地面を打つ。
ゴミ箱の後ろから飛び出した銀次が、匕首あいくちを抜いて男の前を塞ぐ。
男は忍刀を抜いて構えた。銀次と秀が男に対峙する形となる。
「銀次後ろじゃ!」
慈心の声に振り向くと、黒装束がもう一人木戸を乗り越え閂を外したところだった。
「しまった!」
木戸から更に二人の敵が入って来る。銀次と秀は四人の敵に押されて後退した。
銀次と秀を追って、敵の一人が目の前を通過した時、座構えから立ち上がりざま、慈心が敵の脛を斬り払った。
敵は両足を地上に残したまま、泳ぐようにドブ板の上に倒れ込んだ。
*******表木戸
「裏の方が騒がしいな」
「そのようですな・・・助けに行かなくても良いのですか?」
共同井戸の後ろに身を潜めていた一刀斎に寿庵が話しかけた。
「裏は爺さん達に任せよう・・・見ろ木戸の向こうに人影が湧いたぜ」
寿庵が木戸の方に目を凝らすと、何やら黒いものが蠢うごめいている。
その影はスルスルと木戸を登ってこちら側に飛び降りると閂かんぬきを外した。
素早く三つの影が木戸を潜った。
寿庵が脇差を抜いて飛び出そうとするのを一刀斎が止める。
「待て、もう少し引きつけてからだ」
四つの影は警戒しながら徐々に井戸の方に近付いて来た。
先頭の影が立ち止まった。続く影もピタリと止まる。
「出て来い、隠れてるのは分かっている!」猿太夫が言った。
一刀斎は寿庵を手で制してからゆっくりと立ち上がる。
「バレちゃしょうがねぇな」
「うぬが一刀斎か?」
「そうだ、お前ぇらは忍しのびだな?」
「それがどうした?」
「忍がなんで大和屋なんかに雇われている?」
「もうすぐ徳川の世は終わる、そうなりゃ俺たちはお払い箱だ。自活の道を探さにゃならんのでな」
「忍とて元は武士じゃねぇか、矜持はねぇのか?」
「矜持?そんなもの今更なんの役に立つ」
「徳川の犬から口入屋の犬に成り下がるか」
「ふん、犬に変わりは無かろう」猿太夫が自嘲気味に言うと、三つの影に手を上げた。「やれ!」
夜気を切り裂いて分銅が飛んで来た。
一刀斎は抜刀と同時に分銅を跳ね上げる。
間髪を入れず右の影が動いた。
四本の鋭い鍵爪が、一刀斎の左頬を掠って通り過ぎた。
「鎖鎌に手甲剣か、実物は初めて見るぜ」
一刀斎が間合いを切って剣を構えた。
「口数の多い奴だ」離れた所で戦況を見ていた猿太夫が呟く。
再び鎖の音がした。
剣を立てて顔を庇うと、ジャリッっと嫌な音がして鎖が剣に巻き付いた。
押しても引いても鎖が剣から離れない。
慌てて脇差に手をやったが触れるものが無い。
「しまった、寿庵に貸したんだった!」
途端に左から敵が来た。両手に短い武器を持っている。
敵の両腕が風車のように回転して一刀斎の二の腕を浅く斬り裂いた。
剣を捨てて飛び退さる。
「クナイか?」
腕を押さえて一刀斎が訊いた。
「まだそんな余裕があるのか?」猿太夫が呆れた顔をする。
正面は鎖鎌、右は手甲剣、左はクナイ、一刀斎万事急すである。
右の敵が背後に回るように動いた。
「今だ寿庵!」一刀斎が叫んだ。
寿庵は井戸の後ろから飛び出し、手甲剣を付けた敵の背にぶつかって行く。
グッっと息の止まる音がして、右の敵の動きが止まった。
見ると腹から脇差の切先が出ている。
正面と左の敵の注意が逸れた隙に、一刀斎は落ちていた剣を拾い上げ正面の敵に斬りつけた。
敵は鎌で一刀斎の剣を受け止めたが、躰が居着いてしまっている。
一刀斎は空いた敵の腹に蹴りを入れると、倒れた敵に馬乗りになり喉笛を掻き斬った。
クナイを持った敵が後退りしている。鎖鎌との連携あってのクナイや手甲剣である。
剣を持った一刀斎にクナイでは太刀打ち出来ない事を知っているのだろう。
背を向けて長屋の路地に駆け込んで行った。
ギャー!!!!!!
暗闇から断末魔の声が上がった。
「曲者、討ち取ったり!」
お梅婆さんの声だ。
「婆さんやるなぁ」一刀斎が感心したように呟いた。
*******裏木戸
驚いた三人の黒装束達が慈心を囲むように散って身構えた。
慈心は素早く刀を鞘に納めて腰を落とす。
闇を切り裂いて礫つぶてが飛んで来る。不揃いの鉄の塊だ。
身を沈めて躱すと、慈心はドブ板を蹴った。
敵の懐に飛び込み横払いに刀を振るう。
礫を投げようとした敵が、そのままの姿勢でゆっくりと倒れていった。
「あと二人!」慈心が叫ぶと、銀次と秀が我勝ちに敵に突っ込んで行った。
勢いをつけた秀の櫂が思い切り敵の胸を突く。
敵はもんどり打って後ろにひっくり返ると、一声唸ったきり動かなくなった。
秀は匕首一本で忍刀を持った敵と闘っていた。
得物の長短の差は如何ともし難く苦戦を強いられている。
「銀次、手を貸すぜ!」秀が櫂を構えて言った。
「いらねぇ、黙って見てろ!」
銀次は腰に匕首をためると、敵が刀を振り下ろすのも構わず地を蹴った。
ガッ!
二つの躰がぶつかった瞬間、忍刀の柄頭が銀次の後頭部にめり込んだ。
銀次と黒装束が重なり合うようにして倒れ込み、絡み合ったまま動かなくなった。
「銀次大丈夫か!」秀が駆け寄った。
銀次が頭の後ろに手をやって立ち上がる。
「なんともねぇのか?」秀が訊いた。
「い、痛ぇ・・・」
「それだけか?」
「悪ぃか・・・」
「石頭め!」
秀が見下ろすと、黒装束の腹には銀次の匕首が深々と突き立っていた。
*******表木戸
「さて、どうする忍の大将さんよ?」一刀斎が猿太夫に言った。
猿太夫は不敵な笑みを浮かべて一刀斎を見返した。
「俺の目的はお前ぇ達を足止めする事にある」
「なに?」
「上を見てみろ・・・」
一刀斎が空を見上げるとそろそろ夜が明け始めている。
「もうじき船が出る、そうなったらもう追いつく事は叶わねぇ」
その時、ドブ板を踏んで慈心たちが駆けて来た。
「一刀斎、裏は片付いたぞ!」
「爺さん、船が出る!」一刀斎が叫んだ。
「なに、そいつを早く片付けて急がねば!」
慈心が刀の鯉口を切った。
「おっと、多勢に無勢だ、忍は不利な戦いはしねぇんだよ」猿太夫はサッと踵を返す。
「あばよ!」
猿太夫はあっという間に木戸を抜けて表通りに飛び出して行った。
「待ちやがれ!」銀次と秀が後を追う。
途端にギャッと悲鳴が上がった。
「どうした!」
「あ、足に何かが刺さって動けねぇ!」銀次が情けない声で言った。
慈心が地面にしゃがみ込んで足元を改める。
「一刀斎、撒菱まきびしじゃ!」
「くそっ!」
一刀斎は撒菱を蹴散らすと、明け初そめた道を港に向かって疾走した。
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