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湊の戦い
東の空が明るんで、道を照らし始めた。魚河岸の喧騒が聞こえてきた頃、何処かで鶏が鳴いた。
一刀斎は港に向かってひた駆けに駆けた。
船が出てしまったらもうどうする事も出来ないのだ。是が非でもその前に船を止めなければならない。
沖に一艘の千石船が停泊しており、艀はしけがすぐ近くまで近付いた。
船尾で水夫かこが手を振っている。
縄梯子が降ろされ、侍が一人スルスルと登って甲板に下り立ち船内に消えた。
水夫が出港の合図を陸の仲間に送った。
船は白い帆に風を孕はらんで、ゆるゆると動き出した。
「チッ!間に合わねぇ!」一刀斎が舌打ちをした。
建物の間を駆け抜け、誰もいない桟橋に近づいた時、猿のような顔をした男が行手を阻んだ。
「手前ぇ、忍び野郎!」
「遅かったな、一刀斎!」
猿太夫が勝ち誇った顔で一刀斎を見据える。
「刺客は既に放たれた、黒霧志麻の命も風前の灯火ともしびよ」
「ケッ、志麻がそう簡単に殺やられるかよ」
一刀斎が刀に手をかける。
「ふん、あの船には毒殺の得意な俺の手下も乗り込んでいるんだ。いかな手練れでも毒を盛られちゃ手も足も出まい」
「手前ぇら、そうまでして志麻を殺やりてぇのか?」
「すべては金の為だ、悪く思うな」
「許せねぇ・・・」
「後ろを見てみろ」
猿太夫が余裕の表情で一刀斎の背後に顎をしゃくる。
いつの間に現れたのか、浪人者が五人、刀に手を掛けて身構えていた。
その後ろに、役者のような男が腕組みをして立っている。
一刀斎は猿太夫から注意を逸らさぬようにして男に訊いた。
「手前ぇが大和屋か!」
問には答えず、男が言った。
「俺はどうしても兄者の仇を討ちてぇんだ。まず手始めにお前を血祭りに上げる」
「そうは問屋が卸さねぇよ」一刀斎が鯉口を切る。
男は片頬を吊り上げてゆっくりと笑った。
「やれ・・・」
浪人者が一斉に刀を抜いた。
その時、遠くから銀次の声が聞こえた。
「おーい、一刀斎の兄ぃ!大ぇ丈夫か!」
大和屋がギクリとして振り返る。
「チッ、新手か!」
「銀次、危ねぇ近寄るな!」
「大ぇ丈夫だ!慈心の爺さんもそこまで来てる!・・・全く年寄りは足が遅くていけねぇや」
銀次が振り返ってブツブツ言った。
「分かった、爺さんが来るまでそこを動くな!」
銀次が了解した様子を見て大和屋が苛立たしげに言った。
「雑魚に構うな、一刀斎を殺れ!」
五人が一斉に一刀斎に向かって駆け出した。
一刀斎は鯉口を切ったまま身を翻して、猿太夫に向かって全力で走る。猿太夫は忍刀を抜いて向かって来た。
間合いが三間まで詰まった時、猿太夫が懐に手を入れた。取り出したときには親指が拳の内側に包み込まれていた。
「指弾か!」
咄嗟に身を沈めると、小さな鉄球が唸りを上げて一刀斎の頭上を掠めて行った。
猿太夫が親指の爪で鉄球を弾き飛ばしたのだ。
「チッ、外したか!」
二弾目は間に合わない。捨て身の猿太夫が刀を構えて突っ込んできた。
一刀斎は抜刀しながら右に躱すと、猿太夫の横をすれ違いざま、横一文字に刀を振るう。
直後に胴が割れて鮮血が噴き出した。
猿太夫は追って来た味方に突っ込むようにタタラを踏むと、うつ伏せに倒れた。赤い液体が地表を染める。一瞬追手の速度が緩まった。
その間に一刀斎は桟橋の中程まで走ると、クルリと踵を返した。
やっと追手が桟橋に辿り着いた時、一刀斎が大声を上げた。
「おう、これから先は一本道だ、俺と対でやり合いたい奴は誰からでもいい、かかって来やがれ!」
桟橋は細い、人がやっとすれ違える程度の幅しか無い。人数が何人いても一人ずつ一刀斎にかかる事になる。追手は桟橋の入り口で躊躇した。
「手前ぇら何してやがる!たった一人の敵に何をグズグズしてるんだ!」
つが
40
102
大和屋が剛を煮やして叫んでいる。
自ら一番槍を買って出ようという殊勝な心掛けの者はいない
「分かった!一刀斎を討ち取った者には特別手当を支給する!」
追手は大和屋を顧みた。いくら出す?と目が言っていた。
「五両だ!」
追手は顔を見合わせる。
「くそっ、足元を見やがって!十両だ!これ以上はビタ一文ださねぇぞ!」
追手が一気に沸き立った。我先に桟橋に殺到する。
「安く見積もられたもんだ・・・」一刀斎の顔に苦笑いが浮かんだ。
髭面の男が桟橋に立った。
「真庭念流免許皆伝、片桐小平太・・・」
「流派なんて何でもいいや、とっとと来やがれ!」
「うぬっ、吠え面かくな!」
片桐と名乗った男が奇声を発して桟橋を駆けて来た。
一刀斎は切先を後方に引いて、刀を右の腰に溜める。
「くらえ!」
片桐の剣が袈裟懸けに落ちて来るのを、刀を下から回して跳ね上げた。
剣が手を離れて海に向かって落ちて行く。
一刀斎は片桐の喉に切先を突き付けた。
「念流の免許なんてハッタリだろ?」
片桐がコクコクと頷く。
「なぜ大和屋に雇われた?」
「か、金が欲しくて・・・」片桐の声は掠れている。
「命と金と、どっちが大事だ?」
「い・の・ち・・・」
「だったら自分で海に飛び込め」
「た、助けてくれるのか?」
「いらぬ殺生はしたくねぇ、さっさと行きやがれ!」
片桐は「わ〜!」と叫ぶと、自ら海に飛び込んで行った。
「さて、次はどいつだ!」
*******
「爺さん、早く早く!」
秀が慈心を急かした。
「秀、そう年寄りを急かすでない・・・」
慈心はゼイゼイと息を吐きながらヨタヨタと走って来る。
「ほら、そこに銀次がいる、早くしろって叫んでるじゃないか!」
慈心は立ち止まって桟橋の方を見遣った。
「ほう、もう始まっているようじゃ」手庇を翳しながら呑気に言った。
「だから急げって言ってるだろ!」
「心配ない、あの状況で一刀斎がやられる事は無い」
「そうなのか?」
「安心しろ」
秀は慈心の言葉が信じられないと言った表情で桟橋を見ている。
「それよりも、奴が大和屋じゃないのか?」
浪人者の後ろに立って腕組みをしている男を指差した。
「違げぇねぇ、銀次が言っていた人相とそっくりだ」
「よし、我らは奴を片付けるぞ」
「分かった!」
「その前にちょっと休ませろ」
「またそんな事を・・・」
「急いては事を仕損じる・・・と言うではないか」
「・・・」
秀は呆れて、もう何も言わなかった。
*******
「俺は片桐のようには行かないぜ」
左の頬に刀傷のある男が言った。
「俺は正真正銘の・・・」
「おっと、挨拶はいらねぇや。お前さんの腕が立つことは見りゃ分からぁ」
「覚悟はできているんだな?」
「そんなもん、いつだって出来てるよ」
「良い心がけだ」
「それよりお前さんはどうなんだ?死ぬ覚悟は出来ているのかい?」
「勿論だ」
「なら遠慮はしねぇぜ」
「望むところ・・・」
男は徐々に剣尖を上げると頭上に斜めに構えた。力の抜けた良い構えである。
「こりゃ本気を出さなくちゃならねぇな・・・」
一刀斎は正眼の剣尖を少し上げると、男の左小手に狙いを定めた。
男がジリジリと間合いを詰め、それに合わせるように一刀斎の姿勢が低くなって行く。
間合い半間で二人は睨み合った。
この状態では先に動いた方が負ける。
一刀斎の背中に冷たい汗が流れ始めた。
その時、一発の銃声が港に轟いて、弾かれたように男が動いた。
真上から雪崩なだれを打って剣が落ちて来る。
一刀斎は男の左小手に狙いを定めた剣尖を、押し斬りにしようと前に出た。
ところが、男は途中で狙われている左手を柄から離し、右手だけの片手斬りに来た。
故に、一刀斎の頸動脈を狙った袈裟懸けの太刀筋に変化したのだ。
一刀斎は手元を顎の左まで引き付けると剣を立てた。
ガキッ!と刃やいばの噛み合う音がする。
構わず前に出た。
前傾して手元を寝かせると、刃が滑って男の首に触れそのまま押し斬った。
首から血煙が噴き上がり、男が大きく目を見開いた。
「まさか・・・その手があったとは」
「残念だったな」
「安心するのはまだ早い・・・船の男は俺より強い」
「忠告ありがとよ」
一刀斎が男の躰をトンと押すと、男は桟橋から海へ落ちて行った。
「今のやつより強ぇ奴はいるか!」
一刀斎が残った男達に声を投げると、皆、押し黙ったまま動かなくなった。
「しかし、さっきの銃声はなんなんだ・・・?」
小声で呟いて岸を見た。
*******
「銀次・・・」
慈心がゆっくりと近付くと、銀次が振り向いた。
「爺さん遅ぇじゃねぇか!」
「無理を申すな、これでも急いで来たのじゃぞ・・・それで、戦況は?」
「兄ぃが一人やっつけた・・・いや、なんか自分から海に飛び込んでいったのかな?」
慈心が桟橋を見た。
「ほう、次の奴は少しは出来そうじゃ」
「早く助けに行こうぜ」
「待て、大和屋を片付けるのが先じゃ」
慈心は銀次を押し退けて前に進んだ。
「お主が大和屋か!」
腕組みして戦況を見つめている男の背中に声を掛けた。
大和屋がゆっくりと振り返る。
「雑魚と爺いが何の用だ?」
「その雑魚と爺いにやられたのはどこのどいつじゃろうの?」
「お前達か、猿太夫の手下をやったのは?」
「いかにも」
「そうかい、なら死んでもらおうか」
そう言って大和屋は帯に挟んだ物を抜き出した。
「メリケンの武器商人から仕入れたピストールだ、お前らを始末するには十分だろう」
大和屋が取り出したのは、最新式のリボルバーS&Wモデルだった。
「むっ!」
流石の慈心も一歩退いた。刀の柄にやった手が心なしか震えている。
「銀次、秀、儂が引き付ける。その間にお前達は建物の影に走れ」
「だけどそれじゃ爺さんが・・・」
「儂は生い先短い身じゃ、若いお前達が生き延びるのが自然と言うものじゃ」
「けど・・・」
慈心が大和屋に向かって地を蹴った。
「今じゃ、走れ!」有無を言わせぬ言いようだ。
銀次と秀は弾かれるように建物に向かって駆け出した。
「死ね!」
大和屋が引き金を引くと、大きな銃声が湊に響き渡った。
慈心がガクリと膝を付く。
そのまま正座の姿勢で蹲うずくまった。
「爺さん!」
銀次が振り返って叫んだ。
「先に爺いを始末する・・・」大和屋がニヤリと笑う。
撃鉄を起こし、引き金に指をかけた時、慈心が動いた。
蹲った上体を起こしながら右膝を立て、下から掬い斬りに刀を抜いた・・・と銀次には見えた。
距離は十二分にある、刀を抜いたところで届きはしない。銀次は慈心の最後の足掻あがきだと思った。
ところが、次の瞬間大和屋が前のめりに倒れたのだ。銀次は我が目を疑った。
前に伸ばした慈心の手には、刀が握られてはいなかった。
慈心の躰がグラリと傾いた。
銀次が駆け寄って慈心を支える。
「爺さん、大丈夫か?」
「心配ない、脇腹を掠っただけだ」
「爺さん、一体どうやって大和屋を倒したんだ?」
「ほれ・・・」
慈心は己の腰を指差した。腰には脇差が無かった。
「居合は大型の手裏剣じゃ、添えた手を離せば相手に向かって飛んで行く」
「そう・・・なのか?」
「そうなのじゃよ・・・」
「銀次、そんな事より爺さんの手当てを!」
「おう、そうだった。秀、爺さんに肩を貸してやれ」
「お前ぇは?」
「兄ぃに大和屋を討ち取った事を知らせてくらぁ」
「分かった!」
銀次は秀と慈心を残して、桟橋に向かって駆け出した。
*******
「さあ、次は誰なんだ!とっとと決めやがれ!」
一刀斎は浪人達に怒鳴った。浪人達は一刀斎の腕を見て尻込みし始めている。
「兄ぃ、大和屋は片付けたぜ!」
浪人達の後ろから銀次が大声を上げて知らせて来た。
「なに!」浪人達に動揺が走る。
「さっきの銃声はなんだったんだ!」一刀斎が訊いた。
「大和屋が爺さんをピストールで撃ちやがったんだ、だけど爺さんが手妻(手品)で大和屋を討ち取った!」
「手妻てずま?」一刀斎が首を傾げる。
「居合は大型の手裏剣なんだってよ、訳わかんねぇ!」
「そうか、爺さんらしいや・・・」一人言ちてから一刀斎が口を開いた。「もう、お前達に給金を払ってくれる奴はいねぇ。それでもまだ、命を無駄にするかい」
浪人達は互いに顔を見合わせ頷き合うと、我勝ちに逃げ出した。金の切れ目が縁の切れ目と言うやつだ。
銀次が桟橋を駆けて来た。
「兄ぃ、大丈夫か?」
「大丈夫だ、それより船が出ちまった」
一刀斎が沖で揺れている白い帆を指差した。
銀次は船を見遣ると溜息を吐いた。
「間に合わなかったか・・・」
「とりあえず、爺さんのところへ戻ろう」
一刀斎は刀を鞘に納めて桟橋を引き返した。
*******
「押送おしょくり船がある・・・」
慈心の脇腹を手拭いで押さえながら秀が言った。
「なんだそれは?」一刀斎が訊く。
「江戸湾最速の運搬船だ、六艇の櫂かいで毎朝魚を積んで房総の漁場から矢のように飛んで来るんだ」
船頭の秀は船事情に詳しい。押送船なら、まだ刺客を乗せた千石船に追いつけると踏んだのだろう。
「どこに行けばその船がある?」
「河岸だ、今頃は荷を下ろして休んでるぜ」
「お前ぇ、知り合いはいねぇか?」
「いるよ、一緒に行って頼んでやらぁ!」
一刀斎が銀次を振り返った。
「銀次、爺さんを頼む!」
「分かった!」
「一刀斎急げ、なんとしても志麻を救うのじゃ!」
「任せとけ!」
一刀斎と秀は河口の魚河岸に向かって走り出した。