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「跪きなさい、ギルバート」
頭上の巨大なシャンデリアが煌々と輝き、その眩い光が公爵邸の応接室を白々しく照らし出している。
私は、目の前に立つ長身の男──
この国の政財界を牛耳り、影の支配者とも囁かれるギルバート・ヴォルフレッド公爵を見上げ、傲慢に言い放った。
普通なら、不敬罪で即座に首が飛んでもおかしくないほどの暴言だ。
冷酷無比と噂される彼にそんな口を聞ける人間など、この国には一人も存在しない。
けれど、彼は私の言葉を受けても表情ひとつ変えず、むしろ深い愉悦に満ちた笑みを薄く唇に浮かべた。
「仰せのままに、我が妻」
仕立てのいい最高級のスラックスが、柔らかな絨毯に擦れる音を立てる。
彼は信じられないほど優雅な、流れるような動作で私の前に膝をついた。
大きな、節くれだった男の手が私の指先を優しく掬い上げると、恭しく手の甲に唇を寄せる。
その仕草はまるで儀式のように重々しく、私の自尊心をこれ以上ないほどに満たしていく。
その従順な姿を足元に見下ろして、私は胸の内で勝ち誇っていた。
(……ふふ、やっぱり。この男は、私の従順な「飼い犬」だわ)
ことの始まりは半年前だった。
父が仕組まれた不祥事によって没落の危機に瀕し
私があらゆる社交界から石をもてなされる存在になったとき
真っ先に手を差し伸べてきたのが、これまで接点もなかったはずの彼だったのだ。
「あなたのすべてを、私に預けていただけませんか」
その時、耳元で囁かれた彼の低音に宿っていた、異常なまでの熱。
私はその瞬間に直感した。
この男は、私という存在に狂っている。
ならば、その狂気を利用してやればいい。
私を跪かせようとする運命を、逆に私が利用して、どん底から這い上がってやるのだ。
だから、私は彼を「教育」した。
私の許しなく部屋に入らないこと。
私の望むものは、どんなに些細なものでも完璧に用意すること。
そして、何よりも私の従順な夫となり、私に傅く犬となること。
「ギルバート、今日の私のドレス、少し地味ではなくて?これでは夜会の華になれないわ」
私はわざとらしく、高慢な溜息をついてみせた。
すると彼は跪いたまま、濡れたように怪しく光る漆黒の瞳を、じっと私に向けた。
「申し訳ありません、ソフィア様。すぐに宝石商を呼びましょう。あなたの透き通るような肌を飾るに相応しい、世界で唯一の、最高級のルビーを」
彼は陶酔したように言葉を切り、私の手首を強く握りしめた。
少し痛いくらいの、骨が軋むような力。
逃がさないという意思表示のようにも思えるその強引な力加減こそが
私にとっては、彼が私に屈服し、私に溺れていることの何よりの証拠だと思っていた。
「ええ、期待しているわね」
私は満足して、躾のよくできた犬を褒めるように彼の頬を軽く撫でる。
彼は私の手のひらに、甘えるように頬を擦り寄せた。
その喉の奥から、くぐもった奇妙な笑い声が漏れ聞こえてくる。
「…ソフィア様、あなたはただ、この安全な屋敷の中で、私の与えるものだけを食べて、私だけを見ていればいい……それが、あなたの望む『幸せ』なのでしょう?」
その言葉が鼓膜に触れた瞬間、一瞬だけ、背筋に冷たい刃を当てられたような戦慄が走った。
けれど、すぐ傍にある鏡に映る私は、贅を尽くした最高級の衣装に身を包んだ、誰もが羨む幸福な令嬢そのものだ。
外の世界では誰もが震え上がる「冷血公爵」を、私はたった一本の躾け糸で制御している。
彼の手のひらで転がされているのは、実は自分の方だなんて。
その時の私は、微塵も、一欠片も疑っていなかったのだ。
「さあ、ソフィア。お茶の時間です。冷めないうちに」
差し出された彼の手。
その大きな掌には、私を護る優しさと、決して逃さない強引さが同居していた。
私はそれを、当然享受すべき権利として、疑いもなく掴み返した。
その瞬間
部屋の扉がガチャンと、重々しい金属音を立てて閉まったことに、私はまだ、本当の意味で気づいていなかった。