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メイドカフェの閉店作業を終え、店内の明かりを1つずつ消していく。最後に残ったカウンターのランプだけが、ぼんやりと私の顔を照らしていた。
今日、モラちゃんは接待で帰りが遅いと言っていた。きっとまた、「おい、起きろ」と、時間なんてかまわずに、ベッドの上で正座させられる。そしてメイドカフェで何があったか、機嫌の悪い声が飛んでくる。
いつものパターンだ。
私はカウンターに肘をつき、ため息をついた。指先で自分の腕をさすってみる。痣はない。でも、心には毎日新しい傷ができている気がする。
「お前みたいなのがカフェなんて無理だろ」
「メイド服着て喜んでるだけでいいじゃん」
あの言葉が、頭の中で何度もリピートされる。
最初は傷ついた。でも今は、慣れてしまった自分が怖い。ふと、視線を上げるとカウンターの向こうに、古い鏡が掛かっている。店長が「昔のメイド喫茶の名残り」って笑って置いておいたものだ。鏡の中の自分は、疲れた目をして、頰が少しこけている。メイド服のフリルが、なんだか滑稽に見えた。
……私、何やってるんだろう。
そのとき、店のピンクの扉が小さく鳴った。閉店後なのに入ってきたのは、いつもの常連の男性――眼鏡をかけた穏やかな中年のお客様。
「すみません、忘れ物してしまって……あ、もう閉まってる時間でしたか」
私は慌てて立ち上がった。
「いえ、大丈夫です。すぐ取ってきますね」
彼はカウンターに近づき、ふと弥生の顔を見て、静かに言った。
「……弥生ちゃん、最近、笑顔が少なくなりましたね。無理してませんか?」
その一言が、胸の奥に刺さった。無理してない、と言おうとしたのに、声が出なかった。代わりに、目頭が熱くなった。男性は少し困ったように笑って、
「僕なんか、昔同じような時期がありましたよ。誰かに否定され続けると、自分が何をしたいのかさえわからなくなるんですよね。でも、ある日気づいたんです。『自分の人生は、自分が決めていい』って」
彼は忘れていたスマホを手に取り、軽く頭を下げた。
「余計なこと言ってすみません。おやすみなさい」
扉が閉まる音が響いた後、店内は再び静かになった。私は鏡の前に立ったまま、動けなかった。鏡の中の自分が、泣いている。涙がぽろぽろと頰を伝って、メイド服の胸元に落ちる。でも、不思議と嫌じゃなかった。むしろ、久しぶりに「生きてる」って実感がした。
……もう、いいよね。
私はゆっくり息を吸った。吐き出した空気が、震えていた。
「私、夢を諦めたくない。カフェを持ちたいって、子供の頃からずっと言ってきた。それを、馬鹿にされるたびに、小さくなっていただけ……私は自分のカフェをオープンする!」
声に出して言うと、胸のつかえが少しだけ取れた気がした。
「モラちゃんの言葉は、もういらない。私が、私の人生を決める」
私はカウンターの下から、メモ帳を取り出した。そこには、昔書いた「将来のカフェのメニュー案」が残っていた。ページをめくり、新しいページを開く。ペンを握った手が、初めて震えなかった。
一番上に、大きく書いた。『今日から、モラハラ彼氏はお断り』そして、下に一言。『調理、開始』鏡の中の自分が、少しだけ笑った。
それは、泣き顔のままの、でも確かに強くなった笑顔だった。