一方、善悪は再び布団を立たせると続けて、
「今のがフライングニードロップね! 他にも、こうかぎ棒で左から突く様に牽制(けんせい)して置いて…… 相手の体が右に避(よ)けた所で! 右手の肘に体重を乗せて腕ごと相手の首目掛けて、振り抜くっ! これが、ラリアート! どちらも自分の望む動きを相手に取らせて、その上でこちらの打撃を合わせているのでござる! 広い意味でのカウンターでござるが、線や面でやるよりも、今みたいに立体的な方が圧倒的に楽なのでござるよ」
「ふーん、意外と身軽じゃない」
「う~ん、多分コユキ殿の体じゅ、……戦闘スタイルで効果を発し易い、と拙者は考察するねっ」
――――危なかった!
「成るほどねっ! それ位なら出来そう! やってみるね」
と、動きかけてコユキが、
「あ、そう言えば…… これ、渡すの忘れてた! ほら、善悪」
とスウェットのポケットから赤い半透明の石のようなものを善悪に渡した。
「むむ? これは? 何でござろ?」
「そそ! 昨日話したヤツ、ヤギ頭の残骸から出て来た石よ! キモイから持ってて」
「へー! うむ、これが…… ふむふむ」
掌に置かれた物をしげしげと眺める善悪だった。
その後、三回ほど一連の動作を真似てやってみたコユキだったが、完全に息が上がり汗だく、強烈な臭気を周りに撒き散らしながら死にそうな形相であった。
先程まで聞こえていた鳥たちの囀(さえず)りは一切聞こえない。
ご近所の飼い犬達も妙に静かだ。
敏感にその臭気や殺気を感じ取った鳥や小動物達は自らの身を守るためにどこかへと去って行ったようだ。
そして飼い犬達は、苦悶(くもん)の表情を浮かべ、瀕死の状態で喘(あえ)いでいたのであった。
召されてこそいなかったが、彼らのHPは現在進行中でガリガリと音を立てて削られていた。
風前の灯であったのだ。
それもそのはず、犬の嗅覚は人の百万倍から一億倍。
特に刺激臭は、洩(も)れなく一億倍で感じてしまうのだ。
幸福寺周辺は、静寂に包まれていた。
藪蚊(やぶか)だけがコユキの周囲をン――――――とあの不快音を響かせながら飛び回っていた。
しかし良い事もあった。コユキ自身にである。
浮腫み(むくみ)が取れて、半目からいつもの大きさに戻っていた、なんとお昼前なのにである。
とは言っても、元々肉に覆われた顔面の為それ程の差はない。
少し、ほんの気持ちだけスッキリした感はある。
そんな、嬉しいニュースが齎(もたら)されたと言うのにコユキ自身は、
「……ぜっ ……ゲェホッッ、ウッ! オェッ! ……ぜっ善悪! もうムリ……」
と、喜ぶ所かこの有様であった。
今までの運動不足、いや不足ではない、皆無の状態から動いた為であろう、心肺が一時的に機能不全に陥っていた。
のみならず、コユキの関節も微量な筋肉も又、その重さに耐え切れず悲鳴を上げていたのであった。
「コユキ殿…… 幾ら何でも…… いや、ま、まぁ今日はここまででござる…… 取り敢えず水分補給するなり」
善悪から手渡された寿司屋風の大ぶりな湯のみには、冷やし汁粉が入っていた。
「ありがと…… うっ! ゲェェェッホッ、ウエッェッ!」
おっさんの奥歯歯磨きその物の音を洩らしていたが、何とか飲み込めた様であった。
ヨロヨロと本堂に辿り着き、床にゴロリと転がるコユキ。
冷やし汁粉のお陰で、何とか生き永らえた気がした。
本堂の床はヒンヤリとしていて心地よい。
しかし、早朝に善悪が雑巾がけで磨き上げた床は、コユキの汗と油でベタベタと白く濁っていく。
――――うむ…… ? これも修行の内か……
と善悪は思う。
「コユキ殿、一休みしたらシャワーを使うが良い、サッパリ、気分爽快になるでござるよっ! その後、少々早いがランチにしましょ!」
「……ランチっ? ……わ、分かったわ♪」
まるでトドいやゾウアザラシ(♂)のようなコユキはグッタリしたまま呟いた。
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