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おたまでフライパンの中身をそっと掬って器へ盛り付けている最中の尊さん。
立ち上る湯気と、鮮やかな魚介の色、サフランの香りが食欲を刺激する。
「うわ~、美味しそうですね」
思わず本音が漏れる。
湯気の向こうで尊さんが得意気に微笑んでいる。
その笑顔は、オフィスでの厳しい表情とは全く違う、オフの顔だ。
忙しない日常から解放されたような穏やかな時間が流れていた。
「だろ。早速食うか」
「はいっ!」
手前のスプーンを手に取り口に運ぶ。
湯気で少し熱くなったそれを舌の上に乗せる。
鶏肉の旨味と魚介の甘味が溶け合ったスープが舌を滑る。
サフランの香りと、ほんのりお焦げの香ばしさが絶妙だ。
「ん〜〜っ!!今回もすごい美味しいです!!」
大袈裟かもしれないけれど、この感動は偽りない。
「ふっ…そうか、良かった」
尊さんは満足気に目を細めた。
その仕草があまりに自然で──気づけば胸が高鳴ってしまっていた。
目の前で、こんなに優しく微笑んでくれる尊さん。
(……幸せだなぁ…)
食卓の照明の柔らかな光を浴びながら、完成したパエリアとワインを見る。
そして目前には尊さんの存在。
この空間すべてが愛おしいものに思えた。
「よしっ……」
小さく気合を入れると、グラスを尊さんの前に置き直し、次にワインボトルを持ち上げた。
ボトルの底を軽く手の甲に乗せて支えつつ、オープナーを差し込む。
「……慎重に……」
カリリという控えめな音と共にコルクが抜ける。
鼻先に届く果実のような芳醇な香り。
思わず深呼吸してしまう。
「大丈夫そうか?」
尊さんの声にはっとして慌てる。
「はっはい!ちょっと待ってくださいね!」
ボトルを傾け、グラスへ注ぎ入れる。
深紅とピンクが交じり合った液体がゆったりと流れ落ちる。
ロゼの色合いは本当に美しい。
「うわ……綺麗……」
つい見惚れながら、二つのグラスを満たし終える。
テーブルを挟んで尊さんと向き合う形になり
改めて二人分の食器やワインが整然と並ぶ様を見て嬉しさがこみ上げた。
これも尊さんの作った料理あってこそだ。
「…じゃあ改めて、乾杯だな」
尊さんがグラスを手に取る。
「はい!」
お互い、グラスを水平に構える。
カン……
繊細なグラス同士が重なる音が部屋に響く。
この響きが、俺たちだけの金曜日の夜を祝福してくれているようだ。
グラスを口元へ運びつつ、ちらりと尊さんを見上げる。
(やっぱり格好いいな……)
尊さんの姿がぼやけるのはきっとグラス越しの酒気のせいではなくて──
グラス越しに見つめる先には優しく微笑む尊さんがいた。
「ほんっとお前は美味しそうに飲むよな」
尊さんが楽しそうに言う。
「えっ、そうですか…?確かに美味しいですけど…尊さんと飲むからですかね、ふふっ」
自分でも知らず知らずのうちに、顔が緩んでいた。
ほっと肩の力を抜いた瞬間。
喉を通るワインは渋みよりも爽やかな酸味が勝っていて、まるで初冬の陽だまりのように心地よかった。
このロゼを選んで正解だった。
すると尊さんの熱い視線を感じ、俺はそちらに目を向けた。
「…なんかその顔、そそるな」
「へっ?そ、そそるって……?」
尊さんの口からそんな言葉が出るとは思わず、聞き返す。
「可愛いって言ってるんだ」
尊さんが、まるで当然のことのように付け加えた。
「えっ」
いきなり言われるものだから、ぼふっと頬に熱が籠るのを感じた。
きっと今、真っ赤になっているに違いない。
「う、嬉しいですけど…恥ずかしいです…っ」
赤くなる頬を思わず両手で抑えると、尊さんは楽しそうに笑った。
「ははっ、わかりやすいなお前は」
その笑い声が、俺の火照った顔をさらに熱くさせる。
「もうっ、尊さんってば…」
頬を膨らませて抗議するようにグラスを持ち直した。
だけど、こんな時間が愛おしいと思えて、つい笑みが溢れてしまった。
意地悪を言われても、俺にとっては最高の褒め言葉なのだ。
◆◇◆◇
夕食後
パエリアを完食し、ワインを飲み干した後の満たされた時間。
「さて、片付けるとするか」
尊さんが立ち上がり、俺もそれに続く。
「あっ、尊さん、片付け俺しますよ!」
当然のように申し出る。
「いいのか?悪いな」
「いえっ!料理作ってくれたのでせめてお礼にこれくらいは」
俺が片付けを担当するのは、いつもの流れになりつつある。
温かい湯気と食器同士が触れる音だけが響く静かな時間。
尊さんはリビングでコーヒーを淹れているのだろう。
俺はシンクで泡立てた洗剤で皿やグラスを丁寧に洗う。
洗った皿を食器棚に閉まい終わり、扉を閉めると、背後から尊さんの気配がした。
「……恋、ありがとな」
不意に尊さんが呟いた。
「え?あっ、片付けのことですか?これぐらい大したことじゃ───」
言いかけたところで、尊さんに後ろから抱きしめられ、首の前で尊さんの腕がクロスされる。
温かい腕の重みと、ワイシャツ越しに伝わる体温が心地よい。
「…俺はお前にいつも支えられてる」
囁き声と共に、背中に伝わる体温が少し上がった気がした。
彼の声にはいつもの余裕とは違う、切実な響きがあった。
「そ、そんなことないですよ…!」
俺なんて、尊さんにしてもらうことの方が多いのに。
振り返ろうとしたけれど、尊さんの腕の力が強くそれを許してくれない。
がっしりとした抱擁に、身動きが取れない。
「あるだろ」
尊さんの声が、俺の耳元で響く。