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教室の窓の外で、夕日が落ち始めていた。遥の肩は、わずかに日下部に預けられていたまま、動かない。
互いの呼吸だけが、静かな空気の中にゆっくりと混ざっていく。
しばらくの沈黙。
遥がぽつりと呟いた。
「……やさしいな、おまえは」
「そうかな」
「……やさしさって、さ。痛いんだよ」
その言葉に、日下部は反応できなかった。
遥はすぐに続ける。
「殴られるほうが、わかりやすかった。なにされるか、予想つくし。
蹴られたときは、どこがどれだけ痛むか、知ってた。
笑われても、陰口でも、身体の中が空っぽになるだけだったけど――」
そこで言葉が切れる。
遥は口を閉じ、唇の内側を噛んでいた。
そのまま、ひと呼吸置いてから、ぽつりとつぶやくように続けた。
「……なにもされないのが、いちばんわかんない。
何もしない、って、ほんとうにオレを“見てない”って感じがして。
いないのと同じじゃん、それ。
……そのほうが、きつい」
日下部は何も言えなかった。
ただ、じっと遥の声を聞いていた。
その沈黙が、なによりまっすぐだった。
遥の肩が、小さく揺れる。
笑ったのか、泣いたのか、どちらにも見えなかった。
やがて、かすれた声がこぼれた。
「ねえ……おまえさ、オレのこと、かわいそうって思ってる?」
「……思ってない」
「……ほんとに?」
「かわいそう、じゃない。おまえは、ちゃんと“生きてる”と思ってる」
遥は、小さく息を吸って、吐いた。
ほんの少し、目を閉じた。
「……じゃあ、さ」
その声には、少しだけ熱が戻っていた。
「“生きてる”って……どうすれば、わかるんだろうな」
日下部は、答えなかった。
代わりに、そっと、遥の手に触れた。
掌を握るでもなく、引き寄せるでもなく、ただそっと触れた。
その熱だけが、確かに伝わる距離で。
遥はその手を、しばらく見つめていた。
そして、ほんの一瞬、目を閉じたまま、囁くように言った。
「……それで、いい。
今は、それで、いい」
夕焼けが、二人の肩の線をゆっくり溶かしていった。