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第四十一話:狂乱の救済、穢れたあるじを抱きしめて
「あ、……あガッ、……っ、あ……」
洞窟の崩壊音と共に、女郎蜘蛛の断末魔が鼓膜を震わせた。一花の影から放たれた炎の鎌が蜘蛛の醜い胴体を真っ二つに両断し、玉藻の九尾から放たれた狐火が、広間に張り巡らされていた不浄な糸を塵一つ残さず焼き尽くしていく。
拘束されていた繭が弾け、地面へと力なく投げ出された僕の体。
「主様……っ! 今、今助けます!」
一花が誰よりも早く駆け寄り、その細い腕で僕を抱き上げた。だが、その瞬間に一同が目にしたのは、変わり果てた「王の象徴」だった。
「……っ!? 旦那様の金角が……嘘だろ……真っ黒に……」
カノンの悲鳴のような、震える声が洞窟内に響く。
僕の額から伸びる、かつては隠り世の夜を照らすほど神々しい黄金の輝きを放っていた金角。それが今や、深淵の底を煮詰めたような、どろりとした「どす黒い闇」に根元まで染まりきっていた。
女郎蜘蛛が搾精ぜんまいを通じて流し込み続けた執着、嫉妬、そして死の間際に放った呪詛。それら全ての汚毒が、僕の魂の根源――金角へと侵入し、その本質を侵食していたのだ。
「……う、……ぁ、……一、花……? 玉……藻……?」
僕の瞳に、わずかに理性が戻る。だが、視界は泥を流し込まれたように混濁し、黒く染まった角からは絶えずどす黒い冷気が溢れ出している。それは僕の生命力を、内側からじわじわと削り取っていく死の波動だった。
「主様! しっかりしてください! ぜんまいは今、外しましたから! もう大丈夫です!」
一花が必死に呼びかけるが、僕の体温は急速に奪われていく。角の変色は止まらず、その闇は今や僕の顔の半分を覆わんばかりに広がっていた。このままでは魂そのものが闇に呑み込まれ、僕は「空っぽの器」――あるいは、呪いに操られるだけの屍となってしまう。
「……くっ、この呪い、妾の神気でも弾けぬとは……! 女郎蜘蛛め、死に際に己の魂そのものを代償にしおったか!」
玉藻が悔しげに歯噛みする。最強の九尾の力をもってしても、魂の奥底、霊力の根源に直接刻まれた闇を外から払うことは不可能だった。
「……待つし! 旦那様の金角のデータ……一部だけ、不自然な解除プロトコルが残ってるし!」
カノンが涙を拭い、震える指でホログラムを操作する。
「これ……古の婚姻の儀だ。……『真に心を通わせ、魂を分かち合う唯一の伴侶と、一刻以上の口づけを交わし、命の波動を完全に同調させること』。……それ以外に、この闇を外へ逃がし、浄化する方法はないし……!」
「「……一刻以上の、口づけ……」」
一花と玉藻の言葉が重なる。
一刻――あまりにも長い、魂の交感。それは単なる接触ではなく、互いの存在のすべてを投げ出し、魂の境界を溶かし合わせる儀式。もし途中で心が揺らげば、闇は二人とも飲み込み、死へと至らしめる。
「……主様。聞こえますか。……私を、見てください」
一花が僕の頬を、壊れ物を扱うかのように優しく両手で包み込んだ。その瞳には、一分一秒を争う緊迫感と、それ以上に深く、揺るぎない僕への献身が宿っていた。
「玉藻様、カノン様……他のみなさんも。……主様の命を繋ぐのは、私に任せていただけますか。……私は、この方のために、この朧月館を守り続けてきたのですから」
「……一花。そなた、自分が何を言っておるか解っておるのか? 呪いを半分肩代わりすることになるのだぞ」
玉藻の問いに、一花は静かに、けれど力強く微笑んだ。
「承知の上です。主様を失うくらいなら、共に闇に沈む方が、私にとっては救いですから」
「……ふん。……今の妾が何を言っても、無粋というもの。……主を、頼んだぞ。一花。……後のことは、妾たちが死守してやる」
玉藻が静かに道を開け、他の女王たちもまた、祈るような、そして一花の覚悟に打たれたような眼差しで僕たちを見つめる。
一花は僕の、冷たくなった唇に、自らの唇を重ねた。
触れた瞬間。バチッ! と、弾けるような衝撃が僕たちを襲った。角から溢れるどす黒い闇が一花の体へと急流のように流れ込み、彼女の白い肌を焼く。劇烈な苦痛が伝わってくる。だが、一花は眉一つ動かさず、むしろ慈しむように僕の首に腕を回し、僕という存在を全身で受け止めた。
「……ん、……ぅ……。……主様……愛しています……。……ずっと、……あなたの隣にいたかった……」
洞窟の瓦礫の中、静寂が訪れる。
外では崩落が続き、土煙が舞い上がる。だが、僕たちの周囲だけは、一花の放つ淡い影の魔力と、僕の残された微かな霊力が混ざり合い、聖域を形作っていた。
一花の唇を通じて、僕の体内にあるドロドロとした「呪いの滓」が、彼女の命を媒介にして吸い上げられていく。僕の瞳に、少しずつ、本当の「光」が灯り始める。
「……いち、……か……?」
「……しっ。……喋らないで、ください……。……まだ、足りませんから……」
一花は僕の瞳を真っ直ぐに見つめ返し、再び深く、深く唇を食ませた。
一刻。永遠にも等しい、命のやり取り。
一花の髪が呪いの余波で白く染まりかけ、彼女の体力が限界に達しようとも、その唇が離れることはなかった。
どす黒く染まっていた僕の金角が、一花の献身に応えるように、わずかに、本当にわずかずつだが、深奥から黄金の輝きを取り戻そうと脈打ち始める。