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「樹! 行くよ!」
勢いよく、俺の部屋の扉が開く。
姉の紗羅がズカズカ入ってきて、ベッドで寝ている俺の布団を剥ぎ取った。
「何するんだよ!」
奪い返そうとして剥ぎ取られた布団を掴む俺に、紗羅が冷やかな目で見下ろす。
「大学に行かないでゴロゴロ寝ているなら、配達を手伝いなさいよ!」
「はぁ?なんでだよ!」
「今日は[ラマンの森]に、アンパンを100個届けるのよ!」
「いや、だから、なんで俺なんだよ?! だいたい配達は店のバイトがするだろーが!」
俺はイライラしながら言った。
俺の名は梶原 樹。大学生だ。
俺の家は[Boulangerie カジワラ]というパン屋を営んでいる。姉の紗羅は店の跡継ぎとして父と同じパン職人になって、今は両親と共に店で働いている。
どうやら今日は丘の上にある老人ホーム[ラマンの森]にアンパンを届けるらしい。
いつもは店のバイトに配達を頼むか、接客担当の母が配達するのに、どうして俺に言ってくるのか。
不貞腐れる俺を、紗羅は真剣な瞳で見据える。
「大学も行かないで、また引きこもるつもりなら……店の手伝いをしなさいよ」
「……」
俺は紗羅の視線から逃げるように、目を伏せた。
「何かあったって、大体の察しはつくけど……樹は昔とは違うでしょ?」
「……」
紗羅が小さくため息をつく。
「とにかく、今日は配達を手伝って!」
紗羅に腕を引っ張られた俺は
「……わかったよ」
と言って渋々ベッドから出た。
そして紗羅の運転する軽自動車にパンを詰み、配達に行く事になった。
[ラマンの森]に着くと、俺はパンの入ったケースを詰んだ台車を押した。
施設の入り口には、黄金の社章が掲げられている。幾何学的な円環の中に浮かぶ人型のシルエット。ラマンメディカルソリューションという医療財団の経営であること表していた。
俺達を出迎えた女性の施設長が、微笑えみながら言う。
「まぁ、今日は紗羅ちゃんと樹くんが来てくれたのね」
「ご無沙汰してます」
紗羅が頭を下げたので、俺も小さく頭を下げて施設長に聞く。
「ご注文のパンはどちらにお届けしたら、よいですか?」
「あちらのレクリエーション室まで、お願いしていいかしら?」
「わかりました」
頷いた俺は台車を押して去ろうとしたが、施設長は紗羅にまだ話しかけていた。
「Boulangerie カジワラのパンをレクリエーションの参加景品にしましたら、入居者様が大喜びしていたんですよ。特に浦上様は……あっ!」
施設長は慌てて口元に手をやった。
「浦上さん?……あっ! 時々うちのパンを個別に注文して頂いている方ですよね? 最近、注文がなかったのですが、どうかされたのですか?」
施設長は少し目を伏せると、気まずそうな顔で言った。
「足の骨折で入院をされていたのですが……突然、亡くなられてしまいました」
「え……」
紗羅は絶句していて、そのまま暗い顔のまま納品を終わらせて車まで向かった。
紗羅が、一言ポツリと言った。
「浦上さん……美味しいパンをありがとうってお手紙を頂いたばっかりだったの」
「……」
落ち込む紗羅にかける声がなく、俺は無言で空になったケースと台車を車に詰め込んだ。
助手席に座り、俺は窓の外を見ていた。緩いカーブが続く下り坂を運転する紗羅は、俺の方を見ずに聞く。
「樹……聞いてもいい?」
「何?」
「芽里ちゃんと……何かあった?」
芽里は俺の彼女、いや今は……
「別れたよ」
「え?」
驚いた紗羅が、こちらに顔を向けた為、車体が不安定に揺れた。
「ちょっ!前見ろよ!前!」
「あっ、うん、ごめん」
慌ててハンドルをしっかり握る紗羅。
「この車、大丈夫かよ?」
俺は紗羅の運転について言ったのだが、紗羅は
「大丈夫よ。昨日、孝ちゃんが点検してくれたから」
嬉しそうに笑った。
孝ちゃんというのは、紗羅の婚約者で、逗子孝光さんという。
自営で自動車修理をしていて、この軽自動車も元は彼のものだった。
紗羅の親友・糸原れみさんの紹介で知り合い、二人は近々結婚する予定だ。
「相変わらず、仲がいいんだね」
淡々と言う俺に、紗羅は少し照れた顔を見せたが、直ぐに沈んだ顔になった。
「……樹も仲が良かったじゃない。芽里ちゃん、よくパンを買いに来てくれ……」
「仲が良いと、そう見せていただけだよ」
紗羅の言葉を遮り、俺は忌々しい顔で吐き捨てる。
そう、芽里は俺が思っていたのではなく、彼女の本性は……
「見せてたって、どういうこと?」
紗羅が問い詰めようとするから、俺は苛立ってしまった。
「アイツ……溝口とできてたんだよ」
「え?溝口って……」
「そう、溝口。俺の人生を滅茶苦茶にしようとした奴」
「まさか……」
紗羅が言葉を失っていたが、俺は気づく。
「おい! スピード出し過ぎじゃねーのか?」
と言った瞬間、紗羅の顔が真っ青になった。
「どうした……」
「……きかないの」
「え?」
「ブレーキが効かないのっ!」
紗羅が大声で叫ぶ。
「なんだって?! ちょっ……」
運転席のスピードメーターを見ると、針が速度を増やしていた。
焦った俺は、慌てて叫ぶ。
「サイドブレーキを踏め!」
紗羅が足元のサイドブレーキを踏むと、車は横滑りをして回転した。
紗羅が握るハンドルを横から掴んで、俺はハンドル操作を支えようとしたが、車は無常にもドリフト状態で横滑りしながらガードレールに向かう。
その時だった。
俺は黒いフードマントを被った少年が、ガードレールの側に立っていることに気づいた。
やばいっ!轢く!
そう思ったのだが……
少年は両端の口角を上げてニヤリと笑い、銀色の瞳で俺たちを見ていた。
なっ、なんだ……?
驚愕した俺の全身に襲ってきたのは——
ガンッ!
激しい衝撃音と全身を叩きつける衝撃。
ぼやけていく視界が少年の姿を捉えながら——そこから俺の意識はなかった。