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#復讐
草原草原(くさはらそうげん)

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木風
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#サレ妻
都築七美
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日曜の午後二時に、博と敏子が食卓に座った。
恭平は「午後は休みを取った」と言って、朝から家にいた。結衣は二階の自分の部屋に行かせてある。真尋は、茶を四つ淹れて、自分の席に座った。
義父の博に会うのは、お盆以来だった。六十九歳。市役所を定年まで勤めて、会計の係が長かったと聞いている。口数が少なくて、座ると新聞を折る癖がある。この日も、折った新聞を上着のポケットに入れたまま、茶に手をつけなかった。
敏子が、先に口を開いた。
「博さん。今日来てもらったのは、真尋さんのことなの。この十日、私がこの家で見たことを、全部話します」
敏子は、指を折って数えた。
「一つ。真尋さんは、浪費してます。卵を二パック買う。着物はレンタルで済ませて、美容院には行かない。それで、恭平が稼いだお金を、何に使ってるのか分からない」
「二つ。仕事に逃げてます。パートを、恭平に黙って週五に増やした。課長の奥さんがパートで毎日働いて、結衣は学童に六時まで。家は荒れてます」
「三つ。夜中に子どもを連れ回した。先週の月曜、雨の夜十時に、結衣を連れてごみの集積所に。非常識です」
「四つ。私の言うことを聞かない。あなたのためを思って言っても、はい、はい、と言うだけで、何も変えない」
敏子は、恭平を見た。恭平はうなずいた。
「母さんの言うとおりだ。この家は、俺の金で回ってる。真尋は、それを分かってない」
博は、何も言わなかった。
真尋は、椅子の横に置いていた紙袋を持ち上げた。
緑の表紙の家計簿を八冊、食卓の真ん中に置く。それと、事務所のロッカーから持ち帰った、通帳の写しの束。百六十二ページ。クリップで年ごとに留めてある。
「お義父さん、お義母さん。読んでください」
敏子が、紙袋を見て言った。
「こんなもの。だから捨てたのよ」
「捨てられて、拾いました。一冊、足りませんが、その年は通帳の写しがあります」
敏子は家計簿に手を出さなかった。
博が、上着の内ポケットから老眼鏡を出して、かけた。
「読ませてくれ」
博は、いちばん左の一冊を取った。二〇一七年。一ページ目を開いて、読み始めた。
真尋は、博が読むあいだ、短く言った。
「言うことは五つです。全部、その中に書いてあります」
「一つ。恭平さんから家計の口座への振込は、二〇二二年の十月から、三十三万円が二十八万円になりました。ボーナスが減った、残業が減った、と聞きました」
「二つ。恭平さんの年収は、その年に六百十八万円で、去年は七百二十一万円です。源泉徴収票の写しが、通帳の写しの後ろにあります」
博は、顔を上げなかった。二〇一七年を閉じて、二〇一八年を開いた。
「三つ。お義母さんへの仕送りの三万円は、毎月二十五日に、家計の口座から振り込んでいます。恭平さんの振込が二十八万円になってから、家計の口座は毎月、足りなくなりました。足りない分は、私のパート代を家計の口座に入れて埋めました。月に五万円から六万円。この二年で、百三十万円を超えます。仕送りの三万円は、その中から出ています」
敏子が、「何を言ってるの」と言った。「仕送りは、恭平の口座から出てるんでしょう」。真尋は答えず、続けた。
「四つ。恭平さんの腕時計です。三年前に、新しい物に替わりました。会社の表彰で貰ったと聞きました。先月、型番を調べました。四十万円です。四十万円の時計を表彰で出す会社を、私は知りません。家計からは、一円も出ていません」
恭平が、腕時計に手をやった。何も言わなかった。
「五つ。結衣の学資保険です。二〇一八年の八月から、毎月一万六千円、八十六回。今年の十月、恭平さんの申し出で解約されました。保険会社がそう言いました。返ってくるお金は、百三十万円前後です。家計の口座には、一円も入っていません」
真尋は、そこで止めた。
瑠美の名前も、西町のことも、産婦人科の領収書のことも、言わなかった。今日は、金の話だけだ。
博は、読み続けた。二〇一九年。二〇二〇年。博の指は、真尋の言った年に飛ばなかった。一ページずつめくった。保育料。電気代。仕送り、三万円。結衣の靴。仕送り、三万円。
十分ほど、誰も口をきかなかった。敏子が二度、「博さん」と言った。博は返事をしなかった。
二〇二二年の十月のページで、博の指が止まった。『振込 280,000』。その横の、真尋の字。『10月〜 振込 28万(ボーナス減、残業減)。食費 −1万』。
博は、次に、二〇二四年を開いた。二〇二三年がないからだ。十二月の仕送りの行と、その下の『パート代 110,000 → 口座へ 60,000』の行を、しばらく見ていた。
博が、老眼鏡を外した。
恭平を見た。
「恭平」
「何だよ」
「百三十万、どこへやった」
恭平は、腕を組んだ。
「俺の金だ。俺が契約した保険を、俺が解約した。どこに使ったかを、親父に言う義務はない」
「仕送りの三万は、真尋さんのパート代か」
恭平は、答えなかった。
敏子が「そんなはず」と言った。「恭平、あなたの口座からでしょう。そう言ったじゃない」。恭平は、母を見なかった。
敏子が「博さん、それは――」と言いかけた。博は、敏子を見ずに言った。
「敏子。帰るぞ」
「何を言ってるの。まだ話は」
「帰る」
博は立った。老眼鏡を内ポケットに入れ、新聞を出して、もう一度折った。
「真尋さん。それ、全部とっておきなさい」
「はい」
「ローンの払いが止まったら、俺に連絡をくれ。恭平、聞いたな」
恭平は、答えなかった。
敏子は、立たなかった。
「博さん。あの女が、何を言ったか分かってるの。恭平の時計がどうとか、保険がどうとか、全部、恭平が稼いだ金の話じゃないの。あの女が――」
「敏子」
博の声は、大きくない。敏子は口を閉じて、立った。和室のスーツケースを、博が一つ、敏子が一つ持って、玄関へ向かう。博は、恭平を一度も見なかった。玄関で恭平が「親父」と言ったが、博は答えずに出ていった。恭平は、見送らなかった。
真尋は、食卓の八冊を、順番どおりに重ねる。
恭平は、二階に上がった。
しばらくして、鞄を持って下りてくる。黒い、仕事の鞄ではないほうの、大きいもの。服が詰まっている。
「出ていく」
真尋は、食卓に座ったまま、恭平を見た。
「どこに」
「お前に言う義務はない」
恭平は玄関で靴を履いた。
「言っとくけどな。そのうち頭を下げてくるのは、お前だ。パート代で、この家もローンも、やっていけるわけがない。母さんも親父も、いずれ分かる」
「ローンは、払ってください。二十七日に」
「払う。俺の名義だからな。お前のためじゃない」
玄関が閉まった。
車のエンジンの音がして、遠ざかった。
真尋は、しばらく座っていた。二階から、結衣が階段を下りてくる音がした。
「パパ、出ていったの」
「うん」
結衣は、真尋の隣に座った。何も聞かなかった。真尋の手を、取った。
真尋は、空いているほうの手で家計簿の九冊目を開き、十二月七日の欄に、赤ペンで書いた。
『12/7 恭平、家を出る。16:40』
その下に、もう一行。
『130万 行き先、未回答(恭平)』
行き先は、聞かなくても分かる気がした。西町の、三階の、ピンクのバスタオル。
スマホが鳴った。
知らない番号からの、メッセージだった。
『奥様、話があります。高梨です』
コメント
1件
読ませていただきました……。 静かな緊張感がずっと続く場面なのに、真尋さんの八年分の家計簿と博さんの一言ひとことが、ものすごい重みで胸に刺さりました。百三十万の行方を最後まで答えない恭平さんの不気味さと、それでも「行き先、未回答」とだけ書く真尋さんの距離の取り方に、やりきれなさと同時に凄みも感じます。ラストの高梨さんからの連絡――続きが気になります。