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#復讐
草原草原(くさはらそうげん)

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木風
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#サレ妻
都築七美
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喃茶店「ランプ」は、事務所の入っているビルの、一階の隣にある。
月曜の昼休み、十二時十分。真尋が扉を押すと、窓際の席に、明るい茶色の髪が見えた。瑠美は先に座って、紅茶を頼んでいた。黒いコートを椅子の背にかけ、白いセーター。長い爪で、カップの取っ手を持っている。
「真尋さん」
瑠美は、真尋が座る前に言った。
「真尋さん、って呼んでいいですか。奥さん、って、もう変ですよね」
真尋は、向かいに座った。店員にコーヒーを頼んだ。
「ご用件を」
瑠美は、少し首をかしげて笑った。駐車場で見たのと同じ角度だった。
「恭平さんから聞きました。昨日、家を出たって。お義父さまとお義母さまの前で、ひどいことを言われたって」
「そうですか」
「真尋さん、そういう言い方ばっかりですよね。恭平さんが言ってました。何を聞いても、はい、そうですか、って。それで何も変わらない、って」
真尋は、コーヒーが来るのを待った。
瑠美は、セーターの上から、自分のおなかに手を当てた。
「赤ちゃん、できたんです」
真尋は、瑠美の手を見た。
「四か月。だから、早く離婚してください。恭平さんが、可哀想」
十月二十八日。さくらレディースクリニック。初診料。『高梨 瑠美 様』。
四か月なら、九月だ。真尋は、頭の中で数えた。九月の家計簿に、「立替」は三回ある。
「それで」
「それで、って」
「それで、私に何を」
瑠美は、おなかに当てた手を、そのままにしていた。
「早く離婚してください、って言ってます。恭平さん、真尋さんにお金のことで責められて、もうあの家には戻れない。私たちは、来年には結婚したい。赤ちゃんが生まれる前に」
コーヒーが来た。真尋は、砂糖を入れずに一口飲んだ。
「結衣ちゃん、女の子ですよね」
瑠美が言った。
「お義母さま、男の子を欲しがってて。恭平さんも。だから、私の赤ちゃんが男の子だったら、って、二人で言ってるんです」
真尋は、カップを置いた。
瑠美は、まだ話した。
「あの部屋、恭平さんが買ってくれるって言ってます。今は賃貸だけど。それと、今の家も売って、新しい家を建てる。恭平さんの会社の家。真尋さんには、分からないかもしれないけど、恭平さんはそういう人なんです。ちゃんと、将来のことを考えてる」
真尋は、瑠美の言葉を、順に頭に置いた。あの部屋を買う。今の家を売る。新しい家を建てる。恭平の口から出た言葉を、瑠美が繰り返している。全部、金の話だった。
「高梨さん」
「真尋さん、って呼んでるんだから、瑠美って呼んでくれても」
「高梨さん。離婚は、します」
瑠美の顔が、止まった。
期待していたものと、違ったらしい。真尋が泣くか、怒るか、何を言うのと声を上げるか。そのどれかを、瑠美は待っていたのだと思う。
「ただし、条件は、弁護士を通してください。私からも、恭平さんからも、お互いの弁護士を通して話します。ここで、高梨さんと私が話すことは、何もありません」
「弁護士、って」
「頼んであります」
瑠美は、おなかから手を離した。
「真尋さん、怒らないんですか」
「怒る、怒らないを、高梨さんに話す理由がありません」
真尋は、伝票を取った。コーヒー、四百八十円。
「お先に失礼します。お体、大事にしてください」
真尋は立って、レジへ行った。
「領収書を、お願いします。日付入りで」
店員が、小さな紙に日付と金額を打って渡した。『12/8』。『¥480』。
窓際で、瑠美が真尋のほうを見ていた。笑っていなかった。
事務所に戻って、真尋は廊下の奥のロッカーを開けた。
領収書の裏に、赤ペンで書く。
『12/8 12:10 ランプ 高梨瑠美と。本人が「妊娠四か月」と言った。「あの部屋を恭平が買う」「今の家を売って新しい家を建てる」「来年結婚したい」。相手の紅茶、私のコーヒー480円』
ファイル『篠原 家計』の、いちばん後ろに挟んだ。
妊娠四か月。
真尋は、ロッカーの扉を閉めて、鍵を回した。鍵は、一度で回った。十月二十八日の領収書を見た夜に、半分は分かっていたことだ。残りの半分が、今日、本人の口から来た。
席に戻ると、机の上に、顧問先の月次の帳簿が二十冊、積まれていた。年度末に向けて、月次の締めが重なる時期だ。
真尋は、いちばん上の一冊を開いた。数字は、いつもどおりに並んでいた。
三時過ぎ、スマホが鳴った。内藤からだった。真尋は廊下に出て、電話を取った。
「篠原さん。内藤です。今、話せますか」
「はい」
「二つあります。一つ目、ご主人が家を出たと聞きました。神谷から。別居ですね。日付を記録してください」
「十二月七日、午後四時四十分です。家計簿に書きました」
「よし。二つ目」
内藤の声が、少し低くなった。
「ご主人が、弁護士を立てました。その弁護士から、今日、私のところに連絡が来た。家庭裁判所に、離婚調停の申立てをした、と。申立書の控えも送ってきました」
「調停、ですか」
「はい。向こうが先に動きました。申立ての日付は、十二月三日。家を出る四日前です。出ていく前に、出していた」
真尋は、十二月三日を思った。水曜。恭平の休みの日で、七冊目の家計簿が消えた、二日後だ。
「申立ての理由は、二つ。あなたの浪費と、家計の私物化」
真尋は、廊下の壁に手をついた。
「私物化」
「家計の口座を、あなたが自分のものにしていた、という主張です。九年間、通帳とカードをあなたが持っていた。その間の使い方が分からない。四百万円近くが、どこに行ったか分からない、と」
四百万円。
真尋は、その数字を聞いて、少し笑いそうになった。真尋は、四百十二万円を、博にも敏子にも言っていない。言ったのは、神谷と内藤だけだ。それでも、恭平は、四百万円という数字を持っている。
「内藤先生。それは、私が出した数字です。私が、恭平さんの振込の減った分と、立替と、学資保険を足して、四百十二万円と。家計簿の九冊目の、余白に書いてあります」
「分かってます。向こうは、その数字を、あなたが使った金額にひっくり返して出してきた。よくある手です。でも、よくある手は、よくある形で崩れる。あなた、全部書いてるでしょう」
「書いています」
「じゃあ、崩れる。怒らないで、集めて。水曜の夜、うちに来てください。調停の進め方を話します」
内藤は、そこで一度、言葉を切った。
「それと、一つ。向こうの弁護士は、私の名前を知っていた。あなた、ご主人に、私の名前を言いましたか」
「言っていません。高梨さんにも、『頼んであります』としか」
「じゃあ、どこで知ったか。考えておいて」
電話が切れた。
真尋は、廊下の壁に手をついたまま、考えた。
内藤の名前を、真尋はどこに書いたか。十一月七日、神谷が渡した付箋。『11/10(月)19:00 内藤法律事務所』。真尋はそれを、家計簿の九冊目に挟んだ。九冊目の、十一月一日の余白には、『4,120,000』と『130万』。
恭平は、十一月のどこかで、九冊目を開いたのだ。真尋が仕事に出ているあいだに、食器棚の下の段から。七冊目を抜いたのと、同じ手で。
四百万円と、内藤の名前。恭平が持っている二つは、どちらも九冊目の中にあった。
最後のページまで、めくったかどうかは、分からない。
コメント
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読み終えました。瑠美が「妊娠四か月」と告げるシーン、言葉の一つ一つがやけに具体的で——「あの部屋を買う」「新しい家を建てる」と、全部金の話として真尋の頭に並ぶところが胸に刺さりました。それでも動じず「弁護士を通してください」と返す真尋の冷静さに、9年間の積み重ねを感じます。領収書に日付入りで書く几帳面さ、最後の「鍵は一度で回った」——もう感情の整理は済んでいるんだなと。続きが気になります。