スポーツ診療科の岡久先生は、手術についての有効性や、その方法をとても分かりやすく、丁寧に説明してくれた。
私のケガは何とか断裂していないだけで断裂に匹敵する大きな損傷だけれど、その遺残靭帯を温存することで関節内にある血管をできる限り残し、移植する再建靭帯への早期栄養供給を期待した形の手術だということ。
手術後翌日から、松葉杖を使用しながら手術した脚を軽く地面に着き歩行訓練を開始。
医師側から荷重制限をすることはなく、ほとんどの患者が術後約1週間で松葉杖1本、約2週間で松葉杖を外して歩く練習ができる。
早期に足の裏を地面に接することは、関節機能や筋力、姿勢保持、バランス維持などに大きなメリットがある。
と…説明したところで、岡久先生は
「羅依、抱き上げるのは禁止だよ」
とペンを私の隣の羅依に向けた。
それから
「早期の荷重や可動域訓練を行っているから入院平均日数は術後7日間以下。早ければ4日。あとは、お渡しするリハビリノートを参考に自宅でリハビリ可能です。専門的なリハビリテーションを受けるための紹介も出来ます」
と私に伝えてくれる。
「リハビリは緒方でも?」
「ああ、彼なら十分出来るよ。膝に関してはリハビリ優先で、他の体のバランスを見てくれるからいいと思う。大島さんやうちに来るスポーツ選手たちはオーバーワークになりがちだよね、動けてしまうから。気がついたら不必要な筋肉がついてたりね」
「ちゃんと専門的にみてもらおうな、才花」
私は頷きながらも、リハビリのその先の着地点が、競技復帰なのか日常生活の中のスポーツなのか、自分でも全く思い描けずにいた。
日常生活のためだけでも手術の必要性は理解したので、私は岡久先生の手術を受けた。
そして言われた通り、翌日から歩行訓練を始める。
「いいですね、上手ですよ」
私に付き添って歩いているナースの声に、私はこんな無機質な空間で何をやっているのだと吐き気がする。
本当なら衣装も何もかも揃って、本番を想定した仕上げをしている頃だよ。
緊張はまだそこまででなく、一番気持ちが高ぶっている頃なの。
バタン…バタン……
「大島さんっ?どうしました?大丈夫ですか?」
突然、松葉杖から手を離して座ってしまった私の背中をナースがおろおろと擦る。
彼女には申し訳ないけれど、何もしたくない。
「才花」
ずいぶん先から真っ直ぐ私を見て、冷たい声で私を呼んだ男は
「俺だけ見て、ここまで来い」
ポケットに手を入れ、立ち止まった。
「ヤダ。何もしたくない」
「そうか。それなら俺が堂々と才花を抱いて歩けるな」
ポケットから手を出してサングラスを取った羅依が一歩前に出たところで
「来ないでっ…!!」
私は隣のナースがびくっとするような声を出し、軽く放り投げるように手放した松葉杖まで這うと、松葉杖と右足を使って立ち上がる。
「ムカつく…いつも無表情のくせに…嬉しそうに言ってんじゃないわよっ…」
ただの呟きだが、静まり返る空間に落としたので彼にも聞こえたかもしれない。
抱き上げてもらわなくたって、私は自由に跳んで回って、跳ねてステップを踏んで……出来るはずだったの。
「大島さんっ、負荷掛け過ぎ…」
「いい。行かせてやらないと彼女が歩かなくなる」
ナースと岡久先生の声が背中に当たるけれど、私は羅依だけを見て進む。
こんなにゆっくりなのに痛い…胸が痛くて苦しい……
あと一歩で彼の前…ぐいっ…
最後の一歩は、羅依が半歩前に出て私の頭を抱き寄せたことで消える。
バタン…バタン…
派手に音を立てて松葉杖を放り出し、羅依にしがみついた私は
「っ…めちゃくちゃ…全部ぐちゃぐちゃ…になったのぉ…ぅうぁ…あぁぁ………」
声を上げて泣いた。
コメント
3件
やっと泣けたね〰️😭 羅依、見守ってくれてたんだね~🥹
何度読んでも‥このシーンが一番すき‥心が震える‥。
やっとやっと泣けた…吐き出せた… 羅依は言ってたもんね。泣ければどんなにいいかって、そう仕向けたの?だとしてもそれでいいよね。どんな泣き方でも泣いて胸の苦しさを声に出せればね😣