今日は絢斗君に会えるので、ギンガムチェックにフロントボタンが付いた可愛めのワンピースを着てみた。
絢斗君からの夕食のリクエストは『真白が好きなもの』だった。
ちょっと悩んでから。ポン酢でさっぱりと食べれる、豚肉とお茄子のみぞれ掛けをメインに作ろうと思った。
それと炊き込みご飯にお吸い物。あとは副菜を少々。
夕飯の献立はこんな感じで、夜のティータイムはまだ色んな茶葉が残っていたから、買い足しは要らないだろう。
実家を後にして食材とお花を購入し、絢斗君の家に行くのも板に付いて来たと思う。
エレベーターホールではここに住む人達と、挨拶や軽い会話も出来ていた。
気分良く絢斗君のお家にお邪魔して、いつも通りに食材を冷蔵庫に入れてからお花を活けた。
お家はいつもながら、広いのに綺麗で清掃がよく行き届いていた。
そこに私が持ってきた花瓶や、洗面所の歯ブラシがあり。私の部屋も含めて、この家の風景の一部になって来たかと思うと嬉しい。
「新しい着替えは部屋においた。空気の入れ替えもした。よし、ご飯作ろうかな」
キッチンに立ち。手を洗い。エプロンを着け、ちゃっちゃと夕食の準備に取り掛かる。
「まずはメインから仕上げて。味を馴染ませる。ご飯は炊き立てを用意出来るように、絢斗君の帰宅時間にあわせるっ」
よしと気合いを入れて、冷蔵庫から食材を取り出す。
昨日、松井さんから口説かれてしまったけど直ぐに思い直してくれた。
元より誰にも話そうとは思ってない。絢斗君に言う必要もないだろう。
「言ったところで、もう済んだ事だしね」
この事は早く忘れようと、料理に集中するのだった。
料理に集中し続けること、一時間ほど。
ダイニングテーブルにずらりと並んだ出来上がった料理を見る。
ガラス皿に茄子と豚肉のみぞれ掛け。小鉢に人参のきんぴらごぼう。
前に作って冷凍保存していた、一口豆腐ハンバーグとほうれん草のおひたしも用意した。
ここに、あとは炊き込みご飯にお吸いもの。
キッキンからふわりと、炊き込みご飯の優しい出汁の香りが漂う。
「……あれ、なんか作りすぎちゃった? えっと。残ったらまた冷凍したらいいし。明日も休みだから、明日の私のご飯にしちゃえば大丈夫」
それに絢斗君、いつもしっかりご飯食べてくれるし。大丈夫だと自分に言い聞かす。
壁の時計を見るともう少しで、絢斗君が帰って来る時間。
エプロンをしゅるりと外し、自分の部屋に戻って姿見の前で化粧を軽く整えて髪も整える。
化粧ポーチからリップティントを取り出して、唇にのせる。
「あまり付け過ぎないように、と」
唇に程よく艶やかさが出たと思った。
これでよしと、姿を整えてリビングに戻ると丁度。玄関の扉がガチャリと開く音がした。
パタパタと玄関に駆け寄ると、靴を脱いでスリッパに履き替える絢斗君がそこに居た。
今日は紺色のシャードチェック柄のスーツに、艶のあるブラウンのネクタイ姿。眼鏡スタイルと相まって、ハイブランドショップのスタッフみたいにカッコよかった。
「絢斗君。おかえりなさいっ」
会えたのが嬉しくて、絢斗君のスーツの袖をきゅっと握ってしまう。
「真白。ただいま。やはり、家に真白がいると違うな。華やかだ。この玄関のピンクの花も綺麗だしな」
いつものように優しく微笑んで、私の肩を抱き寄せて額にキスを落とされた。
鼻先に絢斗君が好んで付けている、ムスクの甘い香りを感じて。この香りも久しぶりだなと、うっとりしたのだった。
絢斗君の顔を見ると話したいことが、わっと溢れる。
「今日の玄関のお花はねマーガレット。西洋ナズナと一緒に活けてみた。ご飯はね、私がおばあちゃんに教えて貰った料理で、好きなものを作ったの。お口に合えばいいな」
絢斗君の横を歩きながらリビングに戻る。
「料理ありがとう。真白の作ったものなら、なんでも俺は好きだから楽しみだ。それはそうと、昨日悠馬に会ったんだって?」
リビングの中央で絢斗君はピタリと脚を止めて、すっと眼鏡のブリッジを抑えながら私を見てきた。
「──うん。私と母の取材をしたいから来たって。ちゃんと、お礼も言いたかったら受けた」
絢斗君は一呼吸してから「急に真白にのところに行くだなんて、困ったやつだな」と苦笑して。
「何か変なことは言われなかった? 大丈夫だった」
くすりと、小さく笑いながら尋ねてきた。
その表情はやれやれと言った様子で、友人を思う顔付き。
そこに私がホテルに誘われたなんて言うのは、やっぱり言えないし。松井さんとケンカして欲しくないと思い。笑顔を作った。
「大丈夫。何も言われなかったよ。絢斗君によろしくだって」
「……そうか。なら良かった。今度からは俺を通すように言っておくから」
「うん」
「じゃあ。上着を脱いでくる。それから、すぐに食事にしたい。少し待ってて」
さらりと私の頬を撫でて、絢斗君は自室に向かった。その背中を見つめ。
これでいい。
松井さんも自ら絢斗君に暴露することなんか、きっとないだろうと思い。
「ん、よし。お吸いものを温めよう」
頭を切り替えてキッチンに向かうのだった。
キッチンの前に立ち。
お吸いものを温め直し。お椀の準備をしていると、脱いだジャケットを手に持った絢斗君が困り顔でこちらに近寄ってきた。
「あれ。絢斗君どうしたの?」
「スマホをどうやら、車の中に起き忘れてしまったみたいだ」
はぁと、軽くため息をつきながらジャケットのポケットを探り「やっぱりないな」と、肩を落とした。
「真白、今からちょっとスマホを取ってくる。用意してくれているのにすまない」
「ううん。そんなの大丈夫。スマホないと気になるもんね」
「すぐ戻るから。それと、このジャケットを俺の部屋に掛けていてくれないか」
すっとジャケットを渡され。受け取る。
「うん、分かった。スーツは部屋のクローゼットの左側に掛けて置けばいいんだよね?」
「あぁ。よろしく頼む」
絢君は再度すぐ戻るからと言って、車の鍵を握りしめてスタスタと玄関に向かって行った。
そしてガチャリと扉を開ける音がして、また鍵を掛ける音が聞こえた。
「んーと。一回、温めるのはおいといて、先にジャケット掛けに行こう」
暖めのスイッチを切って、ジャケットを持って絢斗君の部屋に向かう。
お邪魔しますと、絢斗君の部屋のドアを開けて部屋の明かりのスイッチを押す。
ぱっと視界が明るくなった。
絢斗君の部屋はモノクロのアーバンスタイルのオシャレな部屋で、黒のシンプルな机に椅子。
ロータイプの大きめサイズのベッドと、窓にトルコブルーのカーテンがシックで目を引いた。
そろりと部屋に入りクローゼットを開けるときっちりとスーツやシャツ、ネクタイ。私服などが掛けられていて、私より収納上手だと思った。
その一番左側のハンガーを手に取り、ジャケットを掛ける。
「今日は絢斗君の部屋で一緒に寝たいな。こっちの部屋の方が絢斗君の香りがするし」
そうやって絢斗君の香りが私に移っていけばいいのにと、思いながらクローゼットを閉じて。
絢斗君の部屋を出た。
その時。
部屋の向かい側。書斎から微かな、スマホの着信音が聞こえてきた。
しかもいつもは鍵を掛けている、書斎の扉が微かに開かれて。中から明かりが漏れていてるのにも気が付いた。
「あれ、絢斗君。書斎にスマホを忘れたのかな?」
不思議に思い、書斎に近づいた。
書斎の前に立ちふと思った。
書斎は絢斗君の仕事部屋も兼ねているから、鍵が付いている。
無闇に入らないで欲しいと事前に言われていたから、扉に近づいたものの。立ち入るか迷った。
スマホを車の中に忘れたと言うのは、絢斗君の記憶違いかもしれない。
鳴り響いているスマホを無視して、微かに開いている扉を閉めた方がいいのかもしれない、と思った。
「でも、中ってどんな部屋なのかな。ちょっと気になる」
中を見てみたい。
でも、絢斗君の職業を考えるとやっぱり気が引けて。
絢斗君が戻って来たら書斎から着信音が聞こえたと教えてあげたらいいと、思い直した。
さっと扉を閉めようと、微かな隙間を見つめたとき。
──何か。
壁に女性の輪郭を見たような気がして、ドキッとした。
「いま、なにか……?」
それは人物が写ったポスターと目があった時のような感じだったが、なんだかとても良く知っているかのような既視感があり。
このまま無視することが出来なくて。
きぃっと、ドアを開いてしまった。
部屋に一歩入り。
すぐに部屋の壁に視線が釘付けになった。
「なに、これ……」
それは壁一面に私の写真やパネルが、飾られていたからだ。
真ん中には大型のデジタルフォトフレームが取り付けけられており、料理や私の写真が鮮やかに、絶え間なく映し出されていた。
白いワイドパンツスタイルにブルーのドレスシャツは絢斗君と水族館デートに行ったときの私。
ソフトクリームを持ってにっこりと笑っている私。
これは先日、一緒に買い物に行ったときの私だ。
私がプリーツスカートと黒のTシャツ姿で、ベンチに腰掛けている姿……これは植物園に行ったときの服装だと思った。
他にも沢山、出かけた先々の私の写真やこの家で料理をしている私の写真が沢山あって、まるで日記が壁に張り付いたみたいだと思った。
その中に私には間違いないだろうけど、目を瞑ってやや、髪も服装が乱れている写真には見覚えがなくて、じっと見つめる。
「この、目を瞑っているのは……あっ」
分かった。
これは一番最初。私がここに来たときに果てて、気を失ったときだと思った。
「まさかあの後。絢斗君が私を撮っていた?
この写真も。その写真も。どれもこれも全部、私で……料理も、全部わたしが作ったもので……」
明かりに晒された私の写真は、なんだか白々しく。他人行儀に見える。
どう受け止めて良いかわからず、夢を見ているようなふわふわした気持ちだった。
「なんで、こんなに私の沢山の写真が……?」
呆然としながら、ふらりと壁際に近づくと。壁の前に、華奢な背の高い白い机があるのに気が付いた。
机の上にはどこかで見た、金色のリボンと何も入ってない白いフォトフレームが置かれていた。
フォトフレームが何か意味深に思えて、手に取り。良く見てみると。
すっとガラス面に細い、ペンで引っ掻いたようなキズが見えたけど……。
「違う。これは──髪?」
フォトフレームに髪が飾ってあると分かった。
しかもその髪は私の髪質に良く似ていると思った、その瞬間。
ぞわりと肌が粟だった。
見てはいけないものを見た気がして、フレームをばしんと、机の上に伏せた。
「な、なにこれ。まさか、絢斗君がやったの?」
胸がドキドキする。じわりと脂汗が額に滲む。
ふわふわした気持ちが霧散して、一気に心臓がバクバクしてきた。
なのに視線は壁の右から左。天井から床までじっくりと視線を外せないでいた。
どれもこれも、綺麗に丁寧に飾ってある。遊びや、面白半分で適当に飾ったモノじゃないとわかる。
それらをじっと見て、強く感じたのは執着。
写真の一枚や二枚だったら、なんでもなかった。しかし、目の前のおびただしい数はあまりにも、おかしい。
まるでストーカーの部屋に、迷い込んだ気持ちになってしまった。
でも絢斗君は私と結婚をする人で。
「決して、ストーカーとかじゃない」
口に出して否定の言葉を唱えてみても。
もしかして絢斗君以外の人が、この写真をと考えてみたけれども。
ここは絢斗君の書斎で、絢斗君しか立ち入る事ことは出来ない。
「だから、これは絢斗君の意思で飾っている……」
悪い夢でも見ているのかと思った。
悪い夢なら早く覚めてと、どうしようもなく。壁に魅入っていると。
背後に人の気配を感じた瞬間。
耳元で「真白」と呼ぶ。
絢斗君の声がした。
あまりにもびっくりして、声すら出なかった。
絢斗君はスマホを取りに車に向かったのでは。いや、それよりもこの写真は──……。
混乱しながらも何とか、後ろを振り向こうとすると。絢斗君の長い腕がするりと、私の体を後ろから抱きすくめ。振り返る事が出来なかった。
また耳元で声がする。
「びっくりさせたかな。でもどれも可愛くて、綺麗に撮れているだろう? 最初、少し飾るつもりが真白が愛しすぎて、選別出来なくて全部飾ることにした。俺は目を瞑っている真白の写真とか、髪をアップにしている真白の写真とかが気に入っている」
「あ、絢斗君……」
耳元で絢斗君の軽やかな声。
まるで悪戯がバレてしまって、ネタバラシをするかのような口調。
しかし冗談としては笑えない。
この状況に付いていけず、口の中はカラカラで舌がもつれて声が出ない。
いつの間にかスマホの着信音が止まっていたのにも、やっと気が付いた。
──これは絢斗君が仕掛けた、悪戯なのかと思った。
わざと車の中にスマホを忘れたフリをして。鍵を開けた書斎にスマホに置き。アラーム音で私をこの部屋に招き入れるように仕向けた。
それはこの書斎の中の写真を私に見せたかったから。私の反応を見たかったとか……いや、何か違う。
そう言う悪戯とかじゃない。
何かもっと別の思惑があるような気がした。考え込む前に絢斗君の声で、思考がまとまらなくなった。
「真白、この部屋に入ったらダメだと言ったじゃないか。仕方ないな。俺の隠していた秘密がバレてしまった。少々恥ずかしいけど笑わないで欲しい」
絢斗君は思い出のアルバムを解説するような口調で、私を愛しそうに抱きしめながら喋り続ける。
「本当は真白がこの家に来ると分かっていて、片付けようかなと思ったんだが、これを見たら真白はどんな反応をするかとか。想像するのが楽しくて片付ける事が出来なかった。何よりも俺の可愛い真白の写真はいつでもずっと、見ておきたいんだ」
──だからといって、こんな写真の量になるんだろうか。分からない。
絢斗君が何を思っているのか分からなくて、ただ立ち尽くしてしまう。
怖いと言う思いも確かにある。
でもそれ以上に今まで絢斗君をしっかりと見つめて来たのに、それは鏡の中の虚像だったと。
真実を突きつけられたかのような、愕然とする思いが勝っていた。
何も言えないでいると。絢斗君のしなやかな指先が私の胸元のボタンにかかり。ぷちんと一つ。
ワンピースのボタンを外した。
「昨日。悠馬から口説かれただろう?」
「!」
なんでそれを知っているのか。松井さんが居た堪れなくなって、絢斗君に告白したとか?
ふり向こうとしたら、うなじに掛かる髪を唇で掻き分けられ。うなじを強く吸われてしまい、小さな声をあげてしまった。
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!