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仕事復帰
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翌日。
蝶屋敷へ迎えに行った無一郎と一緒に、茉鈴が霞柱邸に帰ってきた。
あの日一緒に勤務していた隠も、非番だった隠も、霞柱邸で働く隠全員が大喜びで2人を迎えた。
「霞柱様、おかえりなさいませ!」
「宝生さん、おかえり!」
「元気になってよかった!」
「あの夜、守ってくれてほんとにありがとう!」
「すごく格好よかったよ!」
皆口々に言葉を投げ掛け、茉鈴と抱擁を交わした。
男女関係なく抱擁を許す茉鈴に、無一郎はなぜだか胸の中がざわつくのを感じた。
『…さあ、お仕事に戻らなくちゃ。皆さんお出迎えありがとうございます。またこれからもよろしくお願いします!』
茉鈴が明るい声で言う。それを聞いて他の隠も嬉しそうに持ち場に戻っていった。
黙りこくった無一郎と2人、残された茉鈴。
『時透様。お昼は何が食べたいですか?』
「……………」
『?…時透様?』
「……えっ?…あ、ごめん…。…えっと、ふろふき大根が食べたい…」
『承知しました。すぐ準備に取り掛かりますね』
「うん。僕は道場で稽古してる」
『はい』
ブンッ、ブンッ、ブンッ……
木剣を持って素振りを繰り返す無一郎。
何だろう。なんか分からないけどもやもやする。
つい最近もこんな気持ちになったような気がするけど、なんでだったっけ。分からない。思い出せない。
次は霞の呼吸の型をひと通り行う。
そういえば、茉鈴の素顔ってどんなだったっけ?
療養中は制服も覆面も身に着けてなかったからいつも顔を見てた筈なのに。思い出せない。今日はもう仕事復帰で普段の格好してるから目元しか見えないし。…可愛いなって、綺麗な子だな、って思ったような気はするんだけど。
雑念が多くてあまり鍛錬に集中できない。
無一郎は道場の床にごろりと寝そべった。床のひんやりした感覚が火照った身体に心地いい。
『時透様』
「…茉鈴……」
『こんなところに寝そべって。お疲れですか?』
「ん…ちょっと考え事してた」
昼食の準備ができたと伝えに来た茉鈴が無一郎のほうに近づいてくる。
無言で手を伸ばしてきた無一郎の腕を掴み、ぐっと引っ張って身体を起こさせる茉鈴。
「ねえ、茉鈴。隠になる前は剣士だったんだよね?」
『え?はい。でももう何年も前の話ですよ』
「…ちょっと手合わせしてくれない?今日は何だか1人で稽古するのに集中できなくて。緊張感が欲しいんだ」
『え!?私が時透様と?木っ端微塵にされそうですよ』
「僕だってそこまで鬼じゃないよ。女の子で隠の茉鈴相手に本気で斬りかかったりしないから」
はい、と問答無用で木剣を茉鈴に寄越す無一郎。
お昼ごはんができたから呼びに来たのになあ。…でも無一郎くん、昔から言い出したら聞かないとこあるし。仕方ないか。
茉鈴は眉をハの字に下げて、小さく溜め息をつき、木剣を構えた。
…!茉鈴、構えた瞬間纏う空気が変わった…!
自分から手合わせを頼んでおいて、無一郎は思わず息を呑んだ。
フウウウゥゥ……
自分と同じ、霞の呼吸の呼吸音がする。
先に踏み込み攻撃を仕掛けたのは無一郎。それを軽々と躱す茉鈴。そして茉鈴も躊躇なく打ち込む。
ガッ!
ダンッ!
ガガッ!
しばらく打ち合いが続いた。
同じ呼吸を使ってるのに、この違いは何だろう?
茉鈴の動きはしなやかで繊細だ。女性特有の身体の柔らかさとかも関係してるのかな?
僕と同じ時期に柱就任の話が来たって言ってたな。それも頷けるくらい茉鈴は強い。
無一郎は漆ノ型・朧を繰り出した。これは茉鈴が前線から退いた後に編み出したものの為、彼女はこの型だけ使えなかった。
『!?』
高速移動で姿を消した無一郎に茉鈴が驚く。
そして。
バサッ!
一瞬で再び姿を現した無一郎の素速い突き技が、茉鈴の被り物と覆面を一度に剥ぎ取った。
『…ああびっくりした。ね、申し上げたように私じゃ時透様の足元にも及ばないんですよ』
茉鈴がじんわりと汗の滲んだ額を拭って笑う。
「そんなことないよ。茉鈴すごく強かった。この前上弦の鬼と1人で戦ったのも納得いくくらい」
思ったことを素直に述べる無一郎。
『そうですか?ありがとうございます。…一応私、病み上がりなんですよ』
再び、茉鈴が笑った。
綺麗……。
無一郎が思わず茉鈴に魅入る。
『…さ!お昼ごはんにしましょう。そういえば、お食事の用意ができたことを伝えに来たんですよ』
「あ、そっか。ごめん。ありがとう」
茉鈴が外された被り物と覆面を着け直した。それを見て少し残念に思ってしまった無一郎。
木剣を置き、2人は道場を後にした。
できあがった料理を温め直して運んできた茉鈴。
無一郎リクエストのふろふき大根と、鶏の照り焼き、ほうれん草のお浸し、かき玉汁が食卓を彩る。
「いただきます」
3週間と少し間が空いた、茉鈴の料理。
「美味しい」
自然と、無一郎の顔に笑みが零れた。
『よかったです。大分久し振りに台所に立ったので、ちゃんと美味しくできたか少し不安でした』
茉鈴も安心したように笑う。
ああ、なんて美味しいんだろう。茉鈴がいない間、他の隠の人が食事を作ってくれてたけど、やっぱり茉鈴の味が恋しかった気がする。僕はずっとこの味が食べたかったんだ。
無一郎はあっという間に全部の料理を平らげてしまった。
「ごちそうさま。また作ってくれる?」
『もちろんです。勤務の時は私が時透様のお食事の用意をさせていただきますね』
「うん」
茉鈴といると、不思議と心が安らぐ。あったかい気持ちになる。どうしてかな。
記憶を保てないせいで漠然とした不安がいつも胸の中に渦巻いているけれど、茉鈴の琥珀色の瞳を見たらそれも落ち着くんだ。
歳が近いから?僕の専属の隠だから?理由なんて分からないけれど、僕はいつだって彼女の存在に救われている気がする。
覆面の下の素顔が見たい。どんな表情をしているの?お化粧してたりするの?何度か顔を見ている筈なのに、時間が経つとやっぱり忘れてしまう自分の壊れた頭を恨めしく思う。
「茉鈴」
『時透様。どうなさいました?』
夜、針仕事をしていた茉鈴に声を掛ける。そういえばお裁縫も上手なんだっけ。
「……ちょっとここにいてもいい?眠れなくて」
『いいですよ。何か作りましょうか?』
「ううん、大丈夫」
『そうですか。何かありましたら遠慮なく仰ってくださいね』
「うん」
茉鈴の隣に腰掛ける。
手際よく針を進める彼女の手元を僕はぼんやりと眺めていた。
「…これ、浴衣?」
『はい。時透様のお寝間着を新しく作っているところです。今お召しになっているもの、大分おつとめですから』
確かにところどころ生地が薄くなっていたりしたな。
「そっか。ありがと 」
縫製係に頼んだり、どこかの店で買ってきたっていいのに。わざわざ作ってくれているんだ。それがすごく嬉しい。
『…よし、これでいいかな。時透様、試しに羽織ってくださいませんか?』
「もうできたの?早いね」
今の寝間着の上から新しく作ってもらったものを羽織る。
大きさも裄丈もちょうどいい。少し余裕を持って作られているからゆったり着られる。
「すごい。ちょうどいいや。生地も気持ちいいね」
『よかったです。蝶屋敷で療養していた時からちまちま進めていて。やっと完成です』
「休まないといけない時に無理しちゃだめだよ 」
『平気ですよ。ずっとお寝間着が気掛かりで』
「…ごめん。僕がこういうの執着ないから……」
『いいえ。私がしたくて勝手にしていたことですから』
茉鈴が笑った。ああ、やっぱり落ち着く。優しい笑顔だ。目元しか見えないのが惜しいけれど。
「これ、今夜このまま着て寝ていい?」
『え!?いけませんよ、一旦お洗濯しないと』
僕の申し出を、茉鈴が慌てたように断った。
「そうなの?」
『そうですよ。作ったのは私ですが、布地が手元に来るまでに誰がどんな手で触ったか分からないんですよ』
「あ、そっか。じゃあ洗濯が終わったら着させてね」
『はい。明日早速お洗濯しましょうね』
「うん」
嬉しいな。これを着て寝るのが楽しみだ。何となくだけれど、嫌な夢も見ずにぐっすり眠れるような気さえする。
「…茉鈴……」
『はい』
「いつもありがと」
『!…いいえ。大事な時透様のお役に立てるなら何でも致しますよ』
茉鈴がにっこり笑った。
“大事な”……。その言葉が遠い遠い記憶のようなものを呼び起こした。
“無一郎くん、■■■■、大好きよ”
“また来てね”
“ね、一緒に暮らそう?”
“私は■■■■と無一郎くんが家族になってくれたらとっても嬉しいな”
?
何だろう今の。女の子の声だった。顔も分からないくらいぼんやりしていたけれど、どこかで聞いたことのある優しい声だった。
『時透様?』
「……何でもない」
何か大事なことを忘れている気がする。でも分からない。
「……茉鈴」
『はい』
「…ちょっとだけ、抱き締めてくれる…?」
『ちょっとと言わずいくらでも』
そう言って、茉鈴の腕が僕を包み込んだ。僕も彼女の身体に腕を回す。
あったかい。石鹸の優しい香りがする。そしてなぜか、この感覚を懐かしいと感じる。
他の隠の人にこんなこと頼んだことあったっけ?茉鈴だから抱き締めて欲しいなんて思うのかな。
“茉鈴だから”?何それ。
急に心臓がバクバク鳴り始めて、僕は慌てて身体を離した。
「…あ、ありがとう!そろそろ眠れるかも。茉鈴、おやすみ!また明日!」
急に大急ぎで自室に戻ろうとする僕を、茉鈴が不思議そうな顔で見ていた。
『よかったです。おやすみなさい、時透様』
いつもの柔らかな声を背中に受けて、僕は足速に部屋へと向かった。
ガララッ
バサッ
ボフンッ
勢いよく布団に潜り込む。
何だろう。ドキドキがおさまらない。
でもどうせ明日になったら忘れているんだ。
早く眠ろう。きっと何もかも忘れてしまった状態で、僕は明日も茉鈴が作ってくれた朝食を食べるんだ。
続く
コメント
2件

今回もすごく面白かったです! 話し方とかが無一郎くんぽくて見やすいです! これからも頑張ってください!