テラーノベル
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黄色の絨毯を敷き詰めたような背の高い向日葵畑で、俺は、麦わら帽子を被った、真っ黒く日焼けした少年に出逢った。
🧡「自分、ここら辺の子?」
💚「………ううん。違う」
少年は虫取り網を持っていて、ニッと笑うとその真っ白な歯が明るい陽の下で輝いた。やんちゃそうな子だと思った。そして、きっととてもとても優しい子。
名前は康二、といった。
お互いに自己紹介を済ませると、康二はなんでここに来たん?ときいてきた。
💚「ママがね、赤ちゃん産むの。だからおばあちゃんちに来てる」
🧡「どおりで見ない子やと思ったわ。妹か弟が出来るんやね」
💚「うん……」
🧡「なんやの。浮かない顔して。イヤなん?」
💚「そうじゃないけど…」
🧡「あっ!クワガタ!!」
康二は、急にぱっと明るい顔になって、目の前の雑木林へと駆けて行った。俺も慌てて後を追いかけた。すごい、本物のクワガタだ。でっかい。オスのクワガタなんて東京じゃまず見つけられない。
🧡「ちょっと持ってみるか?」
💚「うん!」
指で摘むと、ブブブブブ…と重たそうな羽を震わせた。
💚「生きてる。すごいや」
俺は興奮して、康二が、捕まえたクワガタを虫籠に入れるのをじっと見ていた。
🧡「家にはもっとたくさんおるよ。今年は10匹は捕まえたいなあ」
💚「そんなに?」
🧡「凄いやろ。虫同士、戦わせると面白いねん。カブトムシもおるで」
💚「へえ…」
🧡「うちおいで、って言いたいとこやけど…。だめやねん、うちには人呼べんねん」
💚「そっか」
🧡「うん…」
康二は、白いタンクトップから出ている細い腕を何度も擦った。タンクトップはところどころ汚れていて、腕には何箇所か痣が見える。俺の視線に気づくと、彼は痣を隠した。
💚「じゃあ…うちに遊びに来る?」
💚「麦茶どうぞ」
おばあちゃんが入れてくれた麦茶とかりんとうを出した。かりんとうなんて少し恥ずかしかったけど、こういう渋いお菓子しかおばあちゃんちには置いてない。康二は、それでも嬉しそうにかりんとうを齧った。
🧡「甘い。美味しい」
💚「よかった」
縁側で、おじいちゃんが整えている庭木を眺めながら並んで冷たい麦茶を飲んだ。康二は、ぽつりぽつりと身の上話を始めた。
🧡「時々な、おとんが殴るねん」
💚「…………」
🧡「悪い人やないんやけど、仕事、クビになってもうて、毎日うちにおるから」
💚「そうなんだ…」
🧡「おん。でもきっと今だけや」
💚「そっか」
康二は、目を伏せて頷いた。
オトナは色々あんねん、と哀しそうに。俺は何も言えなかった。
夕飯を誘ったが、遅くなると叱られると言って、また会う約束をしてその日は別れた。
ママがきょうだいを産むこと。
俺は本当はあんまり嬉しくなかった。
俺はそのせいで、一方的にこんな田舎へ連れて来られ、友だちもいない慣れない環境で過ごさせられる。大人の事情で理不尽に振り回されるのがイヤだった。日々大きくなるママのお腹がイヤだった。もうすぐお兄ちゃんになるのよ、と言われるのがイヤだった。俺は俺なのに。
夏の間。
康二とは何度も遊んで、会うたびにどこかに新しい怪我をしてくる彼を見ていたらいつもなんだか胸が詰まった。俺はなんて我儘なんだろうと思った。
いつのまにか彼のことが大好きになっていた。
そんなある日のことだった。
💚「どうしたの、目…」
🧡「殴られた拍子に少しぶつけてん」
そう言って、照れて笑う彼の、右目は痛々しく腫れ上がっていた。そして、絆創膏では隠し切れないほど、その額は青黒く膨らんでいた。
💚「今夜はうちに泊まって行きなよ」
🧡「でも…」
💚「ね。おばあちゃんに電話してもらうから」
腕をぎゅっと掴むと、康二は少し考えてから、頷いた。その腕は少し震えていた。きっと俺の知らない恐怖に毎日直面しているのだろう。無力な自分が悔しかった。今日だけはどうしても守りたいと思った。
おばあちゃんにお願いすると、康二の顔をちらりと見てなんとなく事情を察したんだろう、心よく彼を受け入れてくれた。
夜。
布団の中で康二と手を繋いだ。
🧡「亮平のおかん、今日はおらんかったな」
💚「うん。今は病院にいる」
🧡「産まれたん?」
💚「昨日ね」
🧡「そうなんや…。おめでとう。これでお兄ちゃんやな」
💚「…………」
天井を睨みつける。
わけもなく、涙が流れた。
💚「俺は、俺だよ」
🧡「そうか」
💚「うん」
康二は何も聞かなかった。
俺も何も言わなかった。
ただ、彼の手の温もりが、温かく、どこまでも優しかった。ほらやっぱり。初めて会った時の印象は正しい。彼は、とても優しい子だった。
康二は康二のパパに酷い目に遭わされても、彼からパパの悪口は一度も聞いたことがないんだ。
🧡「もうすぐ東京に帰ってまうの?」
💚「うん…。パパが迎えに来てるから」
涙が溢れた。
部屋が暗くて助かったけど、震える手と声は隠しようがなかった。
🧡「いつかさ」
💚「うん」
🧡「俺、東京出たいなって思っとる」
💚「うん?」
🧡「大きくなったらさ、絶対に行くから」
そうしたら、俺の嫁さんになってくれへん?康二はそう言うと、繋いだ手を引き寄せて、おでこにキスをした。
💚「………うん」
優しい彼が、なんだかその夜は逞しく見えて、二人抱き合って泣きながら眠った。
次の日の朝、朝ごはんも食べずに康二は帰って行き、それが康二と会った最後の日になった。
病院で初めて見た『おとうと』は、小さくて、弱々しくて、ずっと泣いてばかりいたけど、予想より少しは可愛かった。
『お兄ちゃん』の称号はまだ慣れない。
ママもパパも翔太と名付けたその小さな生き物に夢中で、やっぱりそれは寂しかったけど、俺には康二がいると思えば我慢できる。
あの細くて、笑顔が眩しかった少年と思いがけなく再会するのは、まだだいぶ先の話だ。
コメント
11件
🧡💚ありがとうございます、再開編心待ちにしてます…
やーーんまさかの🧡💚😊
康二って、虐められるの似合うよね(という癖)