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部屋には朝の光が満ちている。
その真ん中で、Tシャツ姿のレイが眠っていた。
(……帰ってきてたんだ)
姿を確認して、心底ほっとした。
なにがあったのかわからないけど、無事だったならそれでいい。
……あぁけど、やっぱりひと言言いたいな。
「心配したよ、遅いじゃない……!」って。
そう言って怒ったふりをすれば、レイはどんな反応をするだろう。
レイはプライバシーに人を踏み込ませないから、もしかしたら嫌かもしれない。
そっとふすまを閉め、階段を下りる。
台所に入ると、新聞を読んでいたけい子さんが顔をあげた。
「おはよう、澪」
「おはよう。
……ねぇ、レイは昨日レイはいつ帰って来たの?」
内心ドキドキしていた。
けど、私は冷蔵庫から牛乳を出しつつ、さして関心がないふうに尋ねる。
「あー、たしか6時ごろだったかな。
昨日は遅くなったから、知人の家に泊まったんですって」
「え……」
知人?
レイはリオンのほかに知人がいたの?
気になったけど、今はけい子さんの前だ。
私は「そうなんだ」と相槌を打つに留まって、牛乳を飲み干した。
「あぁ、澪。
話は変わるんだけど、昨日シェアビーの新しい予約が入ったの。
来月の末に1週間。韓国からの旅行者なんだけど」
それを聞いて、心臓が鈍い音を立てる。
新しい予約。
新しい旅行者。
それはつまり、私のとなりの部屋が、レイじゃないだれかになるってことで―――。
すぐ返事をしたかったのに、言葉が出てこなかった。
黙ってしまった私を見て、けい子さんは心中を察したのか、苦笑いをこぼす。
「私もよ。
私も、レイがいなくなるのは寂しいわ」
そう言って笑った笑顔が、本当に寂しそうに見えた。
その日の夕方。
TOEICの問題集を解いている最中に、ドアがノックされた。
「はーい」
『ミオ、少しいい?』
レイの声だとわかり、私は思わず椅子から立ち上がった。
『勉強中?』
振り返ったのと、レイがドアを開けたのは同時だった。
『うん……。
そうだけど、大丈夫だよ』
レイは英語だった。
彼が英語なら、会話は英語でするのが私たちの暗黙のルール。
なんの話だろうとドキドキしていると、レイは左手でドアを閉めた。
『昨日、母親に会ってきたよ。
ミオにはそれを話しておきたいと思って』
聞いた時、大きく目が開いた。
正直、湧きあがったのは困惑に近い感情だった。
お母さんに会うこと。
それがレイが日本に来た目的だけど、レイはお母さんにいい感情を持っていない。だったら―――。
私の表情を見て、レイはすぐに苦笑した。
『……初めに言っておくけど。
そんな顔をしなくても、指輪を投げつけたり、罵ったりもしなかったよ。
母親はもう再婚していて、新しい旦那との間に子供もいた』
彼は淡々と話す。
その口ぶりがまるで、自分に無関係の話のようだった。
『俺を見るなり、母親に抱きしめられたよ。
泣きながら何度も「レイ」って言って。
正直、そうされてもなにも感じなかった。
謝られてもそらぞらしいだけだったし、俺は母親が幸せに生きていると知って、良かっただなんて思わない。
……でも、会って思った。
俺が長い間拘っていたことは、会えば自分が思っていたより、全部がたいしたことなかったって』
レイはずっと私を見ている。
なのに、私を通り越した奥、どこか遠くを見ていた。
『ずっと母親を恨んでたし、憎んでもいた。
けど、母親に会って、姿を見て、彼女の今の生活が崩れればいいとも思わなかった。
それはたぶん……ミオを見ているうちに、少し変わったんだと思う。
会って、ずっと心にあった大きな閊えはとれたよ』
そう言ったレイの表情は、話を始めた時とは少し変わっていた。
彼は一息置き、『ありがとう、ミオ』と言った。
レイの気持ちが少しでも穏やかになったなら、そんないいことはない。
お礼を言われるようなことはしていないけど、素直に嬉しかった。
『……昨日、帰りが遅いから心配してたんだよ。
本当に本当に、すっごく心配したんだからね』
私は立ち上がり、彼の傍に近付く。
『……あぁ』
苦笑したレイの前で、私は彼の体に両腕を回した。
お母さんのこと。
よく頑張ったねとか、えらかったねとか。
胸にこみ上げる言葉は多くはないけど、口にしてすべて伝えきれるほど少なくもない。
言葉が見つからないから、私はぎゅっと彼を抱きしめた。
こうすることで、声にならない気持ちが伝わればいいなと思った。
『けい子さんには……昨日レイは知人のところに泊まったって聞いたの。
それって、お母さんのところだったんだね』
そっと口にすると、レイは私の背を撫でる。