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『ケイコにはそう言ったけど、本当は終電で帰ってきてた。
けど……少しひとりになりたくて』
その一言で、レイが昨日あのビルの屋上にいたと気付いた。
(……そっか)
私は彼を抱きしめる腕に力をこめた。
気持ちはすごくよくわかる。
だって私もお父さんを見た後、放心してほとんどなにも考えられなかったから。
レイはじっとしていたけど、やがてやんわり体を離した。
『ありがとう、ミオ。
邪魔してごめん、勉強頑張って』
私の頭に小さなキスをし、レイは部屋を出ていこうとする。
私は彼の背中を見てはっとした。
『あ、ちょっと待って……!』
思わず叫べば、彼はノブに手をかけたまま振り返る。
『あ、あのね』
呼び止めたはいいけど、どうしよう。
『あの、メールアドレスを、教えて……くれないかな』
『え?』
レイは単純に疑問を持ったらしい。
屈託のない目を丸くする。
そんな彼に改まって言うのは恥ずかしくて、私は自然とうつむいた。
『あのね、本当は昨日レイに連絡したかったけど、できなかったの。
それで……』
語尾を濁してしまうと、レイはふっと笑い、私の机に向かった。
ペンを取り、広げたノートの端に走り書きする。
私は初めて目にする彼のアドレスに、バカみたいにドキドキした。
もしかして嫌だとか、「なんで?」と平然と言われたら落ち込むところだった。
不謹慎だけど、すごく嬉しい。
これがあれば、離れてもまだレイと繋がっていられるから。
私の頬は、知らない間に緩んでいたらしい。
顔をあげた時、レイは私を見て笑っていた。
だけどなにも言わず、私の頭を撫でて部屋を出ていく。
私はゆっくり椅子に座った。
メールアドレスひとつで彼と繋がっていられるなんて、私はまた甘い幻想を見ているのかもしれない。
だけどいいんだ。
私は幻想でも細い望みでも、レイと繋がっていたい。
机に突っ伏して、横目でレイのアドレスを眺める。
筆跡をそっと指でなぞり、心にレイの文字を刻み込んだ。
***
その日。部屋に戻ると、机の上に広げていたルーズリーフが床に散らばっていた。
私はルーズリーフを拾い集め、風で飛ばないように参考書で押さえる。
数日前に発生した台風はまだまだ遠くなのに、今日は朝からこの調子だ。
ぼんやり窓の外を眺めていると、ドアをノックされた。
振り向くと、けい子さんと伯父さんがこちらを覗いていた。
「澪、それじゃあとはお願いね。
夜には帰ると思うけど、飛行機が飛ばなかったら新幹線で帰るから、遅くなったら先に食べててちょうだい」
「はーい、行ってらっしゃい」
けい子さんたちは今日、伯父さんの実家がある九州で法事がある。
お留守番の私は部屋を出て、玄関でけい子さんたちを見送った。
私はその足で台所で麦茶を飲んだ。
麦茶を飲みながら、壁にかかっているカレンダーに目を向ける。
2学期の始業式まであと5日。
つまりあと4日で8月が終わる。
レイがアメリカに帰ってしまうまで、あと1週間を切っていた。
(あーあ………)
ため息をついていると、ふいに声がした。
『ミオ、おはよう』
振り返るとレイが台所に入ってくるところだった。
『おはよう、レイ』
『ケイコは?』
慌てて笑顔をつくると、レイは冷蔵庫からコーラを出しながら尋ねた。
『あぁ今日ね。伯父さんと出かけてるんだ。
えっと……』
「法事」だと言いたいけど、それを英語でどう言うのかわからない。
しばらく考えたけどわからず、私は違う言い方をした。
『えっと……九州ってわかる?
ここからちょっと遠い場所なんだけど、そこに行ってるの。
夜には帰るって』
『へー』
レイはペットボトルのキャップをあけながら呟いた。
それを一口飲んで、日本語で「澪」と言う。
急にイントネーションがかわり、内心ドキッとした。
レイの日本語はまだ慣れないし、聞くだけでなんだかドキドキする。
けど、レイはそんな私の心境なんて知らないようで、さらにドキドキするようなことをさらっと言った。
「それならせっかくふたりきりだし、どこか出かけない?」
「えっ?」
「「えっ」って、なにその顔。 嫌?」
苦笑され、はっとした私は、ぶんぶんと首を横に振った。
「い、嫌なわけないよ……!嬉しい!」
思えばレイとふたりで出かけるなんて、想いが通じてからは商店街へ買い物もしたことがなかった。