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「お許しいただけましたこと、深く感謝申し上げます。最愛の御方様には、どうぞ、こちらへ」
男性が一人の女性店員に目配せをする。
目配せした人物ではない女性がぴょんと跳ねて、どこかへ走って行った。
ピンク色の髪でツインテールとくれば、地雷物件だと思ってしまう自分はいろいろと毒されているが、今回の判断はきっと間違っていないはずだ。
「貴女ではありません!」
「御安心を店長。私が最愛の御方様へのおもてなしを、全て、手配いたしますので」
店長に指示された女性は私たちに向けて会釈をすると、足早にこの場を後にした。
問題児を追いかけて、暴挙を止めるのだろう。
「よろしくお願いしますね……従者様方は、どうか高貴な御主人様を連れて帰宅なさいますよう……」
冷ややかな目で、必死に傍観者を気取っていた男性たちに声をかける。
私も店長を応援すべく同じ眼差しを男性たちに向けた。
「はい! 最愛の御方様には我が主が大変御無礼つかまつりましたこと、深くお詫び申し上げます」
「後日当主より謝罪と贖いの機会を設けさせていただければと……」
「不要です」
男性たちの表情が媚びた笑顔のまま固まった。
自分たちの主人は愚か、家の危機を悟ったのかもしれない。
無様に立ち尽くす男性たちを背中に、店長の案内に従った。
この店にも読書室があるようだ。
少年向けと謳いつつも、女性をもてなすのに特化した読書室が完備されているらしい。
少々メルヘンが過ぎる優しいピンク色で統一された読書室の居心地は、意外にも快適だった。
ソファへ腰を下ろせば、店長が微かに安堵の息を吐く。
「早速御足労いただきましたのに、失礼いたしまして申し訳ございませんでした。『冒険は語るな。漢なら篤と挑め!』が店長オットマーと申します」
「失礼だったのは、うちの子が昏倒させた男性でしょう。フェリシアに目をつけた点での審美眼だけは、認めますけれど」
「かの方も初めて訪れていただいたときには、当店の品揃えを褒めてくださったのですが……」
「兄さん! 最愛の御方が来てるんだって?」
オットマーの言葉が遮られ、ノックもなしにドアが開け放たれた。
読書室へ入ろうとした男性はしかし、中へは入れずに入り口でへたり込む。
失礼な言動に耐えかねた彩絲が、子蜘蛛を使って動きを封じたのだろう。
唇を必死に動かしているのを見ると、声も一緒に封じたようだ。
「不肖当店が副店長、不肖我が実弟。こやつが、かの方の暴挙を誘導した屑でございます」
愚者を見たときと比べものにならない、憎悪に満ちた眼差しをオットマーは弟に向けた。
よほど、やらかしているのだろう。
なるほど、経営方針のもめ事は兄弟げんかでもあるらしい。
私としては礼節の行き届いた兄である、オットマーの味方をしたいところだ。
「失礼いたします。おや副店長。そんなところでへたり込まれても邪魔なだけですよ?」
オットマーが目配せをした女性が、副店長の首根っこを捕まえて、軽々と背後へ放りやった。
その先には屈強な男性が控えていて、副店長をしっかりキャッチすると、そのままどこかへ消えていく。
「当店の副店長が、最愛の御方様とそのお連れ様に対して御無礼つかまつりましたこと、深くお詫び申し上げます」
洗練された所作での、丁寧な謝罪。
店長の腹心といった立場だろう。
実質の副店長かもしれない。
女性にしては高めの背丈は、高所にある本を取るのに便利そうだ。
女性的な美しさには欠けるが、代わりに中性的な美しさがある。
フェリシアと一緒に男装をさせてみたいと思ってしまった。
「抹茶は先ほど点てました。練り切りは八重桜、干菓子はソメイヨシノにございます」
女性が用意してくれたのは抹茶と茶菓子。
純和風のもてなしは、この世界では珍しい。
ソメイヨシノときた日には、夫の手がかかっているとしか思えなかった。
「綺麗、ですね!」
「初めて拝見する」
「おぅ! 桜はいいのぅ」
ネイとフェリシアは初めての遭遇のようだ。
彩絲は嗜んだことがあるらしい。
「抹茶は苦いかもしれないから気をつけてね」
私は作法に則って抹茶をいただく。
三人は奇妙に映るだろう作法に驚きながらも、私に合わせた作法で抹茶を口に含んだ。
ネイには苦かったらしいが、フェリシアの口には合ったらしい。
目を輝かせて飲み干している。
「ふふふ。お菓子をいただくと苦みが消えるわ。こちらの……干菓子がオススメね」
ネイが慌てて桜の花弁を一つ囓る。
先ほどのフェリシアのように目を輝かせた。
全くうちの子たちは可愛らしい。
私は練り切りを切り分けて一つをいただく。
丁寧に漉された餡のなめらかさに舌鼓を打った。
「お気に召していただけましたようで、何よりです」
嬉しそうに笑う女性に瞬きをする。
この女性は笑顔がとても綺麗な人だったのだ。
「これ以降、私以外の人物は通しませんので、どうぞ御安心くださいませ。また、御身の安全確保のため、本日は大変申し訳ございませんが、書棚で実物を手に取られてのお楽しみは御遠慮いただきますよう、お願い申し上げます」
「いろいろと心配りをありがとうございます。次の機会には、書棚を巡らせていただけたら嬉しいですわ」
「次を望んでいただきまして、恐悦至極にございます。お代わりの緑茶はこちらに用意してございますので、存分にお楽しみくださいませ。お好みの本がお決まりになりましたら、再度こちらでお呼びくださいませ」
テーブルの上にベルが置かれる。
これまたメルヘンな装飾の、可愛らしいベルだった。
女性が去って行くのを会釈とともに見送る。
店長はこのまま部屋へ残るらしい。
ここに来ても夫の制止はなかった。
店長は夫の目に叶う男性のようだ。
「愚者の従者は、毎回傍観をしていたのですか?」
「いえ。最初は不敬で処罰されても仕方ないほどに止めておられました。しかし、その……副店長がかの方を増長させるばかりなのに、呆れてしまわれたようで……最近では、傍観されるようになられました」
そういう事情であれば悪いことをした。
お家お取り潰しの際、次の就職先はきちんとした場所になるようにお願いしておこう。
「……主よ。店の問題解決まで主が負わずともいいのじゃぞ? 主は人が良すぎる……」
「そう言わないで。私だって、自分がこのお店には存続してほしいなぁと思うお店にしか、手を貸さないもの」
彩絲の苦言に、私は苦笑と一緒に返した。
「それにねぇ。私も主人も……血縁に悩まされているっていう問題に、弱いのよね」
本人たちの努力だけではどうにもならない一線がある。
完全に切り捨てるのですら難しい。
どこかで願ってしまうのだ。
もしかしたら、何時かは?
と。
特に関係が良好だった時期を記憶していれば尚更だ。
私も夫も、関係良好だったことがないので、その点は想像でしかないのだけれど。
オットマーは懐から取り出したハンカチで、丁寧に目元を拭った。
そう。
共感してもらえるだけで、嬉しいのだ。
それほどにオットマーは追い詰められているのだろう。
ならばやはり、手を貸さずにはいられない。
耳を澄ましても夫の声は聞こえなかった。
ただ困ったような溜め息が、そっと耳を擽った気がした。
オットマーは遠慮をし、言葉を選びながらも内情を話し始めた。
「アレとは、一卵性双生児でございます」
「え! あ、申し訳ありません!」
反射的に声を上げてしまったネイが小さな手を口元にあてて、謝罪をしている。
オットマーは謝罪は不要でございますよと、やわらかく微笑んだ。
「ふふふ。驚かれるのも無理はございません。これでも幼き頃は両親でも見分けはつかぬほどに、似ておったのですよ」
ネイの驚きは無理もない。
私を含め皆、程度の差はあれど驚いていたのだから。
それほど、二人は似ていなかった。
オットマーは長身細身で、見るからにできる男性の印象。
対して愚弟は贅沢をしているのがわかる太ましい体形に、甘やかされた者特有の無邪気さが強い。
「両親も分け隔てない愛情と教育を与えてくれました。しかし愚弟は何時しか、もしかしたら最初から……楽な方へと流されてしまったようです」
「店を継ぐのは兄だから、自分は好きに生きる……といった思考でしょうか」
「はい。その癖、金も労力も提供せずに口だけ出すという……最悪の行動をとっております。両親が相次いで病に倒れてからは、店の売り上げを如何にして着服し、己の贅沢に使うかにのみ心を砕いた挙げ句……此度の一件です」
「此度の一件」
「はい。かの方の意見に賛同し、己が欲望を満たし、店の売り上げどころか維持費までを使い込むために、店の経営方針の方向を変えさせようとしておる件でございます」
ここで店長になりたいとか、店の実権を握りたいというわけではないのが、珍しい。
地位や名声には興味がないタイプのようだ。
ただひたすら金に妄執を持っているだけなので、屑には変わりないだろうけれど。
「それでお店が潰れてしまうとか、良店としての評価が落ちて収益が下がるとか……考えないのかしら?」
「そうなったらまた、優秀な兄貴が新規開店するなり、店を建て直すなりすればいいだろうと」
頭のいい屑ほど手に負えないものはないという信条だが、ここまで馬鹿だとそれに並んでしまうかもしれない。
ひたすら真っ当なオットマーや彼に従う店員たちが不憫だ。
「親戚関係はおられないのかしら?」
「残念ながら、愚弟を諫められる親戚はおりません」
「足を引っ張る方は?」
「そちらもおりません。有り難いことに」
「そう」
ならばその点は不幸中の幸いか。
「ただ、かの方の意見に賛同するという暴挙以降、かの方の御意向を盲信し、愚弟に賛同する店員が若干名でておりまして……」
あの頭の中お花畑な女性あたりだろうか。
若干名といえど侮れまい。
何せこちらの言葉が全く通じないのだから。
「ではまとめて私に対する不敬罪で、一掃するのが手っ取り早いかしら?」
「主……」
「そんな嫌そうな顔をしないでちょうだい。私が不愉快な思いをする前に排除してくれるでしょう?」
「それは、そうじゃがのぅ……」
「だってこれからも安心して、良作を読みたいもの。彩絲だって、そうでしょう?」
「まぁのぅ。本好きとしては、良店の保護には力を入れるべきじゃと思ってはおるよ」
夫のストップがかからない以上、最終的には彩絲も賛同するのだ。
オットマーの手前、即断は避けているだけで。
「では、先にそちらを片付けてしまいましょう。排除対象を全員この部屋に呼び寄せてもらえるかしら?」
「本当によろしゅうございますでしょうか? 処分対象は全員揃って、間違いなく御方様に御不快な思いをさせてしまいますが……」
「ええ、きちんと理解した上で、承知しているわ」
これだけトラブルに遭遇すれば慣れてもくる。
不快、程度であれば、私の心はざわつかない。
元々、私のスルースキルは滅法高いのだ。
私の心が動くのは、基本。
大切な者に対してだという自覚は、しっかりあった。
「では、失礼して……」
オットマーがベルを持ち上げると、チリリン、チリリリンと、何らかの意味があるんだろうなぁ、という鳴らし方をする。
私は対象者が来るまで新しい緑茶をいただいた。
ちょうど良いぬるさに仄かな香りは、とても飲みやすい。
彩絲も同じように緑茶を楽しんだが、ネイはソードブレイカーを装備して彩絲の肩に乗り、フェリシアはハルバードを握り締めて、私の背後に立った。
待ったという感覚はない時間が過ぎて、ノックがされる。
「失礼いたします。店長、用件にお間違いはないでしょうか?」
「ありません」
中性的な女性の、緊張した表情がこちらに向く。
店長の答えだけでは不安だったのだろう。
私は鷹揚に見えるように注意を払いながら、唇の端を緩やかに持ち上げた。
「それでは……」
女性が一歩下がる。
「全くもったいぶりやがって!」
「本当よね」
入れ違いに入ってきたのは愚弟と花畑女性。
優雅に広げた漆黒の羽が、威嚇をかねてばさりと一度だけ羽ばたく。
愚弟はひっと声を上げて、花畑はぴょんと跳び上がった。
「挨拶を、許そう」
座ったままで彩絲が嗤う。
愚弟は笑いに見惚れ、花畑は憎々しげに眉根を寄せた。
「『冒険は語るな。漢なら篤と挑め!』真の店長、ボニファティウス……」
「ほう? 我が主の前で偽名を語るとは、不敬罪で処罰されたいのか、うぬは」
格好良い名前だなぁと思ったら、偽名だったようだ。
彩絲の指摘に、愚弟は謝罪ではなく言い訳をしようとする。
「で、ですが、皆この名前で、俺を呼んでおります、しぃ!」
音もなくフェリシアのハルバードが突き出される。
おしゃれだとでも思っているのかテカテカに光る、長い髪の毛の右半分がごそりと床に落ちた。