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バンッ。

突然響いたテーブルを叩く音。


ちょうどホールに出てきていた|萌夏《もか》は音のした方向に視線を向けた。


「だから、俺はコーヒーを頼んだんだよ」

わざわざ周りに聞こえるように言っているとしか思えない大声。


「しかし、ご注文はレモンティーと」

「いや、違うね。俺はコーヒーを頼んだんだ」


ここは最近人気のベーカリー。

チェーン店で都内だけでも10数件あるけれど、品質の良さとイートインコーナーにはカフェを併設した人気のお店。

いつも若いお客さんで賑わっているんだけれど・・・

店の奥にある喫茶コーナーから聞こえてくる会話を耳にしながら、『違うって言うんならレモンティーを下げて、コーヒーをお持ちすればいいのに』単純にそう思った。

客商売をしていれば小さなトラブルは避けられないし、その場で店側が意地を張っても解決はしない。

ここは多少不満でも、お客さんの言うことに従うしかないんだから。


「しかし・・・」

それでも引こうとしない店員。


ちょうど混み合う時間で、厨房の中にいる人間にはホールの騒ぎが聞こえていないらしい。

これ以上騒ぎにならないうちに店長を呼ぼうかと考えて、萌夏は足を止めた。

見ると、対応しているのはバイトの後輩。先月入ったばかりの明奈ちゃんだ。


でも、おかしいなあ。

明奈ちゃんはまだ高校生だけれど、しっかり者でお客さん対応も上手い。

間違ってもトラブルを起すような子じゃないんだけれど・・・

それに明奈ちゃんが対応しているお客さん、すごーく嫌な感じがする。


***


「いかがなさいました?」


萌夏は厨房には戻らず、怒鳴っているお客さんのもとに歩み寄った。


「いかがも何もない。こいつが注文を間違えたくせに、謝りもしないんだ」


え?

違和感を感じながら、明奈ちゃんを見た。


こんな接客は明奈ちゃんらしくない。


「とにかく、責任者を出せ。お前らでは話にならないっ」

ますますエスカレートしていくお客さん。


困ったなあと明奈ちゃんを見ると、うっすらと涙ぐんでいる。



「申し訳ありません」

騒動が聞こえたのか、慌てて駆けてきた店長がペコペコと頭を下げる。


「この店は一体どういう教育をしているんだ」

ここぞとばかり声が大きくなる男。


でも、変だな。

明奈ちゃんなら多少不満に思ってもきちんと頭が下げられるはずなのに。

こんなに頑固に謝らないなんて、事情がありそう。


その後も怒鳴り散らす男に、店長が謝り続けた。

萌夏はいいタイミングで明奈ちゃんをバックヤードへと連れ出した。


***


「大丈夫?」


休憩室に戻り、スタッフ用に用意された無料のコーヒーを一杯テーブルに置く。


「すみません」


今にも涙があふれそうな明奈ちゃんが、唇をかみしめる。


「大丈夫、店長が対応してくれるから。でも、どうしたの?」

なんだか明奈ちゃんらしくなくて、聞いてしまった。


「それが」

一旦言葉を止め、フーッと大きく息を吐いた明奈ちゃんが思い詰めてように口を開いた。


「あいつ、ストーカーなんです」


「え?知ってる人なの?」


「いいえ」

きっぱりした返事。


「ええぇっと、それじゃあ・・・」


「一方的に付きまとわれているんです」


嘘。


「じゃあ、本当にストーカー?」


明奈ちゃんの話によると、初めて男の存在に気付いたのは2ケ月前。

はじめは最近よく駅で見かける人だなと思ったくらいだったという。

そのうち道ですれ違うことが多くなり、コンビニで偶然会うこともあった。

それでも、きっと気にしすぎなんだと自分を納得させていた。

しかし、ある日明奈ちゃんは気が付いてしまった。

「あの人、私が乗る電車には必ず乗っている」

それは同じ時間の電車だからではなくて、いつもより早く出かけた日もバイトで遅くなった日も必ず同じ車両に乗っている。

「怖い」これが正直な感想。

その後は通学ルートを変えてみたり、友達と一緒に帰るようにしたりと対策を講じてもみたらしい。


「それでも、いつも私を見ているんです」


「気持ち悪いわね」

「ええ」


本人にとっては気持ち悪いどころの話ではないと思う。


***


「声をかけられたのは今日が初めてなのよね?」


「ええ」


もしかしたら少しづつエスカレートしているのかもしれない。

早いうちになんとかしないと・・・


「明奈ちゃん、ちょっといいかなあ?」


フロアで男と話していた店長が戻ってきた。


「はい」


「お客様も納得されてね、あとは君が謝ってくれればいいって言うんだ」


「はあ」

明奈ちゃんの困った顔。


「待ってください。明奈ちゃんが謝る必要はないと思います」


「しかし」

事情を知らない店長は渋い表情で萌夏を見る。


今明奈ちゃんが出て行って相手の要求を述べば、事態は悪化するだろう。

とっさにそう思った。

しかし、


「大丈夫ですよ、萌夏さん。私が謝りますから」

「でも・・・」

「いいんです」


席を立ち、ホールに向かおうとする明奈ちゃん。


「ちょっと待って」

萌夏は明奈ちゃんの腕をつかんで止めた。


だって、わかるんだもの。

あの男、わざと明奈ちゃんに因縁をつけている。

最初は『感じ悪ーい』くらいにしか思わなかったけれど、明奈ちゃんの話を聞いて納得できた。

あの男は明奈ちゃんに近づくために騒動を起こした。

だとしたら、明奈ちゃんが出ていけば相手の思うつぼ。


「私が行きます」


ポカンと口を開ける店長と明奈ちゃんを置いて、萌夏はホールに向かった。


***


「あの、」


ホールに出ると、騒動はすっかり収まっていた。


男は席に残っているものの、周りのお客さんもいつも通りで変わった様子もない。

どうやら店長が丸く収めてくれたらしい。


「何、君は?」

訝しげな視線で見る男。


一見普通のサラリーマンに見える男。

20代後半だろうか、きちんとした身なりの人。


「申し訳ありません、彼女体調が悪くて」


「フーン」


明らかに不満そうな顔に表情を変える男を見て、萌夏は確信した。

こいつは明奈ちゃんの言う通りストーカーだ。


この男の背後から感じるエネルギーの色はどす黒い灰色。

負のエネルギーに満ちている。


「謝りに出てこられないくらい体調が悪いっていうの?」

「ええ」


今ここに明奈ちゃんを出せば、男の行動は間違いなくエスカレートする。

何があっても彼女を出すわけにはいかない。


「いいから、明奈ちゃんを呼んでよ。一言謝ってくれればそれで済ますから」

「ですから」


ちょ、ちょっと待って。


「お客さんは、なぜ彼女の名前を知っているんですか?」

「え?」


「だって、おかしいじゃないですか。彼女をご存じだったんですか?」

「いや・・・」

言いよどむ男。


「もしかして彼女を狙って」

「いい加減なこと言うなよっ」

ガチャンッ。


男が声を上げて立ち上がり、同時に床に落ちたカップが割れた。


マズイと思って男を見ると、先ほどよりさらに黒いオーラを放っている。

どうやら、挑発しすぎたらしい。


「いいから、明奈ちゃんを連れてこい」

男が怒鳴り、ホール中の注目を浴びることになった。


***


どうしよう、このままじゃ事態は悪化するばかり。

男はいまにも手を出しそうな勢いだし、店内もまたざわついてきた。


「何しているんだ、早くしろっ」


萌夏がひるんでいるのを感じ取ったのか、男の声は大きくなる。

でも、だからと言って、明奈ちゃんを出すわけにはいかない。


もう限界。


こうなったら相手を挑発して手を出させよう。

そうすれば男のほうが加害者。

たとえ警察沙汰になっても事態を収拾できる、と思う。

そう決心して一歩踏み出した時、


「あーあ、コーヒーがかかっちゃったよ」

隣のテーブルから聞こえてきたのんきそうな声。


男性が、テーブルに置いていたペーパーで靴をふきながらこちらを見ている。


「え・・・あの・・・」


確かに高そうな靴。

スーツもオーダーメードなのか寸分の隙もないくらい決まっている。

見た感じではよくわからないけれど、男が落としたグラスに入っていたコーヒーが男性にかかったらしい。

でも、


「ほんと人騒がせだなあ。せっかく一息つこうと思ってきたのに」


恨めしそうに萌夏を見ながら、立ち上がった男性。


「クリーニング代は店に請求するの?それともあなた?」


言いながら男に近づくと、男の襟元についていたバッチを見てから何やらボソボソと口を動かした。

男性が何を言ったのか、萌夏の場所からは聞こえない。

でも、その瞬間男の表情が変わった。


ん?


「この店は防犯カメラをつけているんでしょ?誤解があるなら言い合いなんてせずに画像の確認をするほうがいいんじゃないの?」


ああ、確かに。


男性の言う通り、この店は最新の防犯カメラを付けているはずだから、明奈ちゃんと男の会話だって確認できるはず。

そうすれば、


「も、もういい」


さっきまで怒っていたはずの男が急に立ち上がった。


「え、でも・・・」


訳が分からず声をかけてしまったけれど、男は足を止めることなくレジに向かい逃げるように店を出ていこうとしている。


何?

どういうこと?


一人残された萌夏はその場に立ち尽くすことになった。


***


「ありがとうございました」


割れたカップをかたずけ、お騒がせしてしまったお詫びにと店にいたお客さんにサービスのドリンクを出し、やっと店内が静かになってから萌夏は男性の前に立ちお礼を言った。


理由ははっきりわからないけれど、男性が登場したおかげで男が出て行ったのは間違いない。

助けてもらったからにはお礼を言いたい。そんな思いだった。


「クリーニング代はお店のほうで」

「いいよ」

「え?」


「たいして汚れた訳じゃない」

「でも・・・」

さっきはクリーニング代って言っていたのに。


「君バイト?」

「はい」


なんだろうこの威圧感。

さっきの男のように黒いオーラを感じるわけではないが、今男性は怒りの空気をまとっている。


「ホールは向かないと思うから、キッチンスタッフのほうがいいんじゃないの?」

「はあ?」


何をいきなり。

そもそも見ず知らずの人にこんなことを言われる覚えはない。


「何を考えてのことかは知らないけれど、怒っている客をさらに怒らせても事態は悪化するだけだ。考えればわかることだろう」

「いや、だから、それは・・・」


言い返そうと口を開いた私に、


「もういいよ、ごちそうさま」

男性は席を立った。


クソッ。

何も知らないくせに・・・


それ以上反論するのも面倒で、私は何も言い返せなかった。

男性はそのまま店を出て行った。

***


その日の夜。


はあー。

無意識のうちにため息が出てしまった。


今日1日、本当に疲れた。

どちらかというと体よりも心のほうに疲労感が強い。

これもすべてあのストーカーのせい。

あの後、明奈ちゃんは体調不良を理由に早退した。

結局あの男がストーカーだってことは黙ったまま帰ってしまった。

萌夏はわざわざ言うのも気が引けて、黙って閉店まで働いた。


時刻は午後9時半。

都心から少し離れた駅前に人の行き来はあるものの、平日の今日はわりと静か。

萌夏だってこんな日には飲みに行きたいと思うけれど、そんなときに誘う気の利いた友達もいない。


「しょうがないな、おいしいものを買って家に帰ろう」


残念ながらこんな時飲みに誘う彼氏だっていない萌夏には、総菜でも買って一人暮らしの部屋でチューハイを開けるくらいがちょうどいい。


***


ポンッ。

萌夏が目の前の石を蹴って、その石が道路を転がった。


ちょうど通行人はいなくて誰にもぶつからなかったけれど、勢いのついた石が側溝の間にポトンと落ちた。


あーあ。

なんだか物にあたってしまったようで気分が沈む。


実家を出て一人暮らしを初めて5年。

何とかバイトを掛け持ちしながら、大学の通学も続けてきた。

せっかく入った大学だし、料理好きで選んだ家政学科だから卒業したくて頑張ったが、


「さすがに限界かな」


今のベーカリーでのバイトは週5日。

どんなに努力しても大学に行く時間がない。

嫌いな仕事じゃないからうまく続けていきたいけれど、バイトを続けることを条件に寮に住まわせてもらっているから簡単に時間を減らすこともできない。

できることなら、もう少しお金を貯めてボロでもいいからアパートに出たけれど。


「でもねえ・・・」


安くはない私学の授業料を貯めながら、家賃水道光熱費と生活費を捻出するのは簡単ではない。

実際、初めの1年で持っていた貯金は使い果たしてしまって、2年目以降はバイト中心の生活。

何とか4年まで進級できたけれど、とうとう留年してしまい今年で5年目の大学生活となってしまった。


「何とかしなくてはいけないのはわかっているんだけれどね」


ポンッ。

もう一度石を蹴った。


カラン。

石が金属にあたる音。


今度は自販機にあたってしまった。


これじゃあ完全に八つ当たり。

自分の不機嫌を物にあたるなんて、最低だ。


***


重たい足を進め、深夜までやっているスーパーにたどり着いた。

この時間なら割引で総菜が買えるはず。

一緒に酎ハイも買って帰ろう。


目的の品だけを買うつもりの萌夏は、カートを持たず買い物カゴを一つ手に取った。

カートを押しながらゆっくり店内を回ると余計なものも買ってしまうから、いつもカゴだけ。


「えっと、おいしそうなサラダやお惣菜が・・・」


この時間になると総菜コーナーの残りもわずか。

揚げ物や焼き鳥は結構残っているんだけれど、サラダや軽食は多くない。


あっ。


残った総菜を並べたワゴンの中にトマトとモッツアレラチーズのイタリアンサラダとシーフードドリアが目に留まった。

サラダは大好きだし、シーフードドリアも温めればおいしく食べられるだろう。


決めた。

今夜の夕飯はサラダとドリアだ。


早速シーフードドリアに手を伸ばす。

この店はホワイトソースも手作りだから、きっとおいしい。

あとは・・・


ワゴンの反対側に置かれたイタリアンサラダも残すはあと一つ。

ワゴンを回り込むのも面倒で、萌夏は身を乗り出してサラダに手を伸ばした。

しかしその時、


伸ばしたはずの手の先から、サラダが消えてしまった。


え、ええ?

思わず出そうになった声を抑え、体を起こし顔を上げた萌夏。


そこには思いもよらない人が立っていた。


***


「あなたは・・・」


そこにいたのは、高そうなスーツを着てサラダを持つ男性。

萌夏はこの人物を知っている。

知っているといっても今日の昼間に初めて会ったばかりだから、初対面ではないという程度だけれど。


「昼間はどうも」

男性も萌夏のことは覚えていたらしい。


今日の昼間、例のストーカー男ともめそうになった時に助け舟を出してくれた男性。

本当ならお礼の一言でも言うべきだけれど、萌夏はそんな気になれない。

だって、


「最後の一つだったみたいだけど?」

欲しいのかって顔で萌夏を見る男性。


「あなたが先に取ったんですから、どうぞ。私はそんなに食べたかったわけではありませんし」


本当は食べたいけれど、この人に譲られるのは嫌な気がする。

昼間だって随分嫌味なことも言われたし、正直いい印象はない。

ここで譲ってもらえば負けた気になってしまう。


「かわいくないなあ。素直に食べたいって言えばいいのに」


フン。

あなたにかわいいと評価してもらう必要はありません。

萌夏は返事もせずにレジに向かった。


カゴの中身はシーフードドリアのみ。

一緒に買うはずだったチューハイを手にすることもなく、ただこの場から逃げ出したいだけの思いで店を出た。


***


はあぁー。

今日何度目かわからない大きなため息。


結局シーフードドリアと冷蔵庫にあった炭酸水だけの夕食。

夜遅い時間だけにチーズとホワイトソースは胃もたれもするし、口直しに食べるはずだったイタリアンサラダも一緒に飲もうと思っていたアルコールもない。

なんだか寂しい夕食になってしまった。


それでも夕食を済ませ、一人暮らし用の小さな湯船に首まで浸かって温まっていると日付けが変わる時間になった。


「よしっ」

考えれば考えるほど大凶のような1日だったけれど、これで終わりと割りきろう。


『いくら悩んだって明日の日は来るわけで、先を見ないと始まらない』

これは亡くなった父さんの教え。

お寺の住職だった父さんらしい言葉だけれど、萌夏はこの言葉が好きで人生訓としている。


空腹が満たされて、温かいお風呂に入れて、ゆっくりと眠れる家がある。

そのことに感謝できる人間になれと育てられた。

だから、


「明日も頑張るぞ」

右手のこぶしを突き上げて、萌夏の長い1日がやっと終わった。

イノセント ~意地悪御曹司と意固地な彼女の恋の行方~

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