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第二十六話:覇王の喉輪と、咆哮する純愛
「――おい。いつまで小賢しい細工で、アタシの獲物を弄んでやがる」
地下の静寂、狂骨が支配していた死の安らぎを、物理的な衝撃波を伴う怒号が粉々に打ち砕いた。
次の瞬間、冥界の闇に包まれていた天井が、まるで巨大な隕石でも衝突したかのように爆ぜ、岩盤が紙細工のように粉砕される。立ち込める土煙を真っ赤な雷鳴が引き裂き、轟音と共に降り立ったのは、鬼の頭領・伊吹だった。
彼女の背後に負った巨大な斧槍が、地響きを立てて石畳に突き刺さる。その一撃だけで、地下を覆っていた狂骨の漆黒の霧が霧散し、雲華の蓮池が恐怖に凍りついた。
「伊吹……。順番は守るものよ。この男は今、私たちの呪いが奏でる完璧な和律の中にいる。野蛮な侵入は慎みなさい」
狂骨が冷ややかに目を細め、細い指先で死の影を編み直そうとする。だが、伊吹は鼻で笑い、剥き出しの牙を覗かせた。
「和律だぁ? 笑わせんじゃねえ。腕だの足だの、そんな端っこの飾りをチマチマ増やして満足かよ。てめえらのは、ただの『鑑賞』だ。アタシがしたいのは……魂ごとねじ伏せる『支配』なんだよ!」
伊吹は一歩、力強く地を蹴った。
四肢を四つの家宝で縛られ、影の鎖に吊るされていた僕の身体を、彼女は乱暴に、けれどどこか壊れ物を扱うような危うい手つきで抱き寄せる。
「……あ、が……っ……い……ぶ……き……」
左腕は紅羽の「沸騰」、右腕は霰の「凍結」、右足は雲華の「重力」、左足は狂骨の「虚無」。
四方向から絶え間なく流れ込む矛盾した霊力の奔流に、僕の思考回路はとっくに焼き切れていた。だが、伊吹の身体から発せられる圧倒的な「生命の熱量」と、火薬のような焦げた匂いだけが、強制的に僕の意識をこの残酷な現実へと引き戻す。
伊吹は僕の顎を荒っぽく掴み、無理やり上を向かせた。
四肢を広げられたまま、天を仰ぐ格好になった僕の喉元。薄い皮膚の下で、早鐘を打つように跳ねる頸動脈。そこを、彼女の金色の瞳が飢えた獣のように舐り回した。
「よく見ろ。四肢をガチガチに固められて、指一本動かせねえ。助けを呼ぶことも、逃げることもできねえ。……最高じゃねえか。なあ? だが、まだ足りねえ。てめえの吐息一つ、心臓の鼓動一つまで、アタシの許可なしには動かせねえようにしてやるよ」
伊吹が懐から取り出したのは、これまで他の大妖怪たちが見せてきたような、宝石を散りばめた華美な装飾品ではなかった。
それは、鬼の一族が数千年の戦火の中で、自らの命を削り、火山の深淵で鍛え上げたとされる、鈍く黒光りする無骨な鋼の輪――『覇王の喉輪』
一切の彫刻も、魔石も埋め込まれていない。だが、そこにあるのは「絶対に、永遠に外れない」という暴力的なまでの意志の結晶だ。鏡面のように磨き抜かれたその真新しい鋼は、地下の微かな光を反射し、処刑具のような冷徹な輝きを放っている。
「これはアタシの魂の欠片そのものだ。……おい、あるじ。てめえの『命の通り道』は、今日からアタシが預かる。いいな?」
「やめ……ろ……っ。首……だけは……それだけは、離して……っ」
僕の掠れた懇願を、伊吹は獰猛な口づけに近い距離での咆哮でかき消した。
「黙ってろ。アタシの愛は、痛えぞ。だが、その痛みがなきゃ、アタシのものになった実感も沸かねえだろ!」
伊吹の手が、僕の喉元を優しく、そして逃げ場を奪うように包み込む。鋼の輪が、火照りきった僕の肌に触れた。
カチリ……ッ!!
四肢に嵌められたどの呪具よりも重く、硬質な、そして決定的な断絶の音が、僕の脊髄を雷のように突き抜けた。
「かはッ……!!!息が……苦しい……!!」
喉を締め付ける、圧倒的な、逃げ場のない圧迫感。
首輪が嵌められた瞬間、僕の「呼吸」と「発声」を司るすべてが、伊吹の強大な霊力と直結した。
肺に流れ込む空気のひとつひとつさえ、伊吹のフィルターを通されたかのように重く、熱い。
首輪から溢れ出す鬼の覇気が、四肢の家宝たちが作り上げていた繊細な魔力の均衡を、土足で踏み荒らすように蹂躙していく。僕の全身の血管は、無理やり伊吹の「色」で塗り潰そうとする暴力的な独占欲によって、内側から破裂しそうなほどの高揚と苦痛に支配された。
「ひゃははは! 見ろよ、この顔! 首を繋がれた途端に、アタシのことしか考えられなくなってやがる!」
伊吹は僕の首輪の鎖をグイと引き寄せ、至近距離でその野性的な、けれどこの世の何よりも美しい顔を近づけた。
首を繋がれた僕は、彼女の引く力に抗う術もなく、その豊かな胸元へと崩れ落ちる。
「腕も足も動かねえ。声もアタシが許した時以外は出せねえ。……今、てめえに残されたのは、アタシの顔を見る眼球と、アタシが送り込んでやる熱に喘ぐ肺臓だけだ。……なあ、あるじ。これが、アタシの『もてなし』の完成形だ。一滴も残さず、その魂に刻み込めよ?」
左腕の沸騰する魅了、右腕の凍てつく服従、右足の底なしの重力、左足の虚無の安らぎ。
そして、首に刻まれた、逃れられぬ絶対的な「所有権」。
僕は、五つの伝説級の家宝によって十字に磔にされたまま、伊吹の放つ剥き出しの情愛に、魂の芯まで焼き尽くされていった。
その時、地下の影が、粘り気を持つ紫色の闇へと変質し始める。
瑞稀の九つの尾が、獲物がついに「中身まで熟した」ことを察知し、狂おしいまでのうねりを上げていた。
「ふふ……伊吹、そんなに喉を絞めたら、この子の綺麗な歌声が聞こえないじゃない。……それに、その首輪。私の『毒』を通すための、良い導火線になりそうね」
最後の一片。心臓。
そこを狙う九尾の、最も深く、最も逃れられない「最期の呪い」が、すぐ背後に迫っていた。
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