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「それは違う」
状況を呑み込めず困惑する自分と彼に対して激しい憤怒を抱えている自分が同時に存在するのを感じた。
ドッペルゲンガーのような、似ても似つかない別人のような。その二人は何処か計り知れない、胸の奧でうねうねと動き回っているような、そんな奇妙さがある。
何で?何をしてたんだ!?なんて声に出す気にもならない。
和哉は下を向いて、黙っているだけ。険しい表情や堅い表情を浮かべているかも分からない。
病室のテラスには僕達以外、誰もおらず、辺りはだんだん暗くなってきている。
「ごめん、ずっと黙ってて……」
やっとの思いで開いた和哉の口から出たのは謝罪の言葉だった。そんな短い言葉で許される訳がない。そんなことは当の本人が一番、良く分かっていたはずだ。
「……..」
それから、また和哉は黙り込んでしまった。
僕も、菊さんも佐藤さんもただ下を向いているだけ。この場の誰もが僕と同じように困惑の渦に飲み込まれていた。
「久しぶり、おじさん!!」
さっきまで僕の隣で並んでいた歩いていた彼女はいつもの調子で病室のドアを開けるなり、おじさんのベットに駆け寄った。
「あ~、凛ちゃん。良く来てくれたね」
おじさんは瞼をゆっくりと開けて、右手の方にあったリモコンを操作してベットの背もたれの角度を高くする。
「体調は大丈夫なのかい」
僕の後ろから、菊さんもベットに歩み寄った。僕もそれに続く。
「二週間前まで数値が悪かったんだけどね。今は落ち着いてて、もうすっかり元気になったよ」
「そう、それなら良かったわ」
菊さんはホッとした表情を浮かべる。
僕はベットの病室の脇から椅子をふたつ持ってくる。
「菊さん、椅子に座りなよ」
「ありがと」
「佐藤さんも」
「ありがと!!」
彼女はこちらに振り向いて、僕から椅子を受け取り、ベットの横に座った。
「じゃあ、元気なんだね」
「うん、凛ちゃんが来てくれたからからかな。もっと元気になった気がするよ」
「そうでしょ!」
元気な彼女は嬉しそうにベットの手すりに手を置いて前のめりに立ち上がった。椅子を持ってきた意味がない。
「ふっふふ」
菊さんは楽しそうにふたりの会話を聞いている。
「結局、男の人って。幾つになっても、若くて可愛い女の子には甘いのね」
僕もおじさんをからかってみる。
「え~、そうなの?おじさん」
「やめてくれよ。菊さん、晴斗くんも。」
おじさんは困ったような顔で僕を見る。
また、菊さんがふふっと笑った。
「もしかして、おじさん。照れてる!?」
彼女はいつも僕に見せるあの嫌な笑みを浮かべた。
「凛ちゃんまで、そんなこと言う!」
僕らはうわっははと笑う。隣の病室まで聞こえてしまうんじゃないかって不安になるくらい、大きな声で。
「そういえば、和哉君は?お見舞いに来てる?」
「うん、来てはくれるけど。どうやら、また夜に出回ってるようなんだよな」
「そう、心配ね」
心配か。そんなものを今のおじさんに背負わせてはいけない。そんなことは、おじさんを見れば明らかだ。
みんな、気を遣って口にはしなかったけど、おじさんは5月頃に比べて、かなり痩せている。一ヶ月ちょっと来なかっただけでこんなになっているなんて思いもしなかった。
しゃべり方からは元気に見えるけど、無理をさせているのかも知れない。小さい頃に良く握ってくれた手も小さく、痩せていて骨の形まではっきりと見えそうだ。
そこには僕の小さい頃の記憶にいたおじさんの面影は感じられない。
ガラッと音がした。ドアを少し乱暴に開けるような音。
「久しぶり、和哉」
「あぁ」
僕が彼に挨拶をしても、素っ気ない返事をしただけで、すぐに目を逸らした。
「じいちゃん、体調は変わりないか?」
「あぁ、大丈夫だ」
「そっか」
もし、和哉の考えている事が分かるのなら、どんだけ気が楽になるだろう。正直、和哉が何を思って今、この場に足を運んだのかは分からない。
もしかしたら、僕達に嫌気が指しているのかもしれない。
「じゃあ、帰るね」
「えっ、もう?」
菊さんが尋ねる。
和哉は振り返らず、病室のドアに向かって歩いて行く。その後ろ側からは和哉が今にも崩れてしまう、そんな気がした。
「和哉、待てよ」
やっぱり、和哉は振り返ったりしなかった。
病室のドアは締まり、病室から和哉の姿は消える。
「晴斗くん、行くよ」
菊さんは籠の中に入れていた鞄をからい、僕の背中を叩いた。
「じゃあ、今日はこれで失礼するね」
「じゃあね、おじさん。次に来たときには、私の友達の話するね!!その子、とても面白いんだ」
菊さんに続いて、話し好きの彼女がおじさんに声を掛ける。
「ありがと、楽しみにしてるよ」
それから僕らは病室を出て、和哉の後を追った。廊下に出てみると、そこには和哉の姿はなかった。
「急ぐよ」
僕らは足早にエレベーターに乗り、エントランスへと向かう。
僕はエレベーターを降りて受付の前を横切り、自動ドアへと向かっていく。
僕は駆け足になる。周りなんか見ない。
「和哉!!」
自動ドアを通り抜け、駐車場の方へと曲がろうとしていた和哉の腕を掴む。
「晴斗……」
「待てよ、和哉。お前、僕に話すことがあるだろう?」
和哉の顔が引きつった表情へと変わり、僕の手を振り解いた。
「ねえよ、そんなの」
「いいから、話聞かせろよ!」
「だから、何にもねえって言ってんだろ!!」
和哉は叫んだ。あぁ、駄目だな、僕って。和哉のことになるといつも神経質になってしまう。
駅前での時と同じだ。何にも変わってない。
「待ちなさい!!」
和哉が再び歩きだそうとこちらに背を向けたとき、僕の背後から槍で突くような声が飛んできた。
振り返るとそこには菊さんが立っていて、その後ろには佐藤さんが心配そうな表情で立っている。菊さんがあんな大声を出すなんて。
「話を聞かせて、和哉くん」
さっきまで大声を発していた和哉も静まり返り、小さく頷いた。
「実は、じいちゃん、容態が良くないんだ。」
病室の2階にあるテラスでベンチに座った和哉は確かにそう言った。
大体、僕の予想通りの言葉だった。
「いつから?」
「一年前、じいちゃんが倒れてしばらくして」
「そんな前から?」
「あぁ」
和哉は下を向いてこちらを向いてはくれない。
「それって、良くなるんだろ。それなら….」
僕が「きっと大丈夫だよ」と言おうとしたとき和哉は首を横に振った。和哉の肩は小刻みに震えている。
まさか、いやそんなことはない。
「そんなに悪いのかい?」
菊さんが尋ねる。
「先生は…..」
何故か自分の足が震えている。
「もう、あと一ヶ月も持たないって」
言葉に出来ない。言葉にならない。何も出来ない。ただ、そこには現実が受け入れらない自分がいた。
「ごめん、今まで黙ってて……」
「うそでしょ…..?」
「ほ、ほら、だって….おじさん、あんなに元気にして…..」
佐藤さんも僕と同じなんだろう。受け入れたくない。受け入れられない。
そんな困惑の渦の中にいたはずの僕を、もうひとつの僕に潜んでいた感情が僕を蝕んでいく。
「で、何してんだよ。和哉!!」
あぁ、まただ。
「えっ?」
「何してんだよ、って聞いてんだよ!!お前に」
「おじさんがこんな状態なのに、夜遅くまで遊び歩いて、どうせまだあいつらと絡んでるんだろ!!」
「それは違う!!」
「えっ?」
違う?何が、違うっていうんだ。僕には和哉の言っている意味が分からなかった。
僕はまた困惑の渦に飲み込まれていった。