テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
『向こう側』から帰ってきた俺は真っ直ぐ職場へと向かっていた。しかし、近付くにつれて聴き馴染みのある2つの言い合いの声が響いていることに気付き、俺は物陰に身を隠して店前の様子を覗いた。そこには、店長補佐でスタッフ統括管理者のリョウさんが今朝のあの女の前に身を挺して立ちはだかり、足を踏み入らせまいと必死に説明をしている場面があった。
「だから、君はもう出禁になったから入店できないんだって。」
「なんで!?私はレンくんと話をしたいだけなの!」
「そのレンから君は出禁って言われてるから、会わせるわけにいかないよ。売掛幾らあると思ってるの?レンが言ってたよ、代わりに全額払うからもう来ないで欲しいって。」
「やだっ…やだぁ!!だって、アフターではあんなに、」
余計なこと言うなって…。また俺怒られるじゃん。
ほら、今だってリョウさんの顔が引き攣ってる。
喚き散らかす女に対し、彼は宥めるように敢えて落ち着いた声で言った。
「、突然の通告で混乱するのも、会えなくて辛いのも解るけど、ごめん。諦めて。…もう無理なんだよ。」
「お金準備できなかった私が悪いの!掛けもちゃんと払うから入れてよ!入れてってぇ!!じゃないと、」
尚も大声を出してセカンドバッグから取り出し、徐にチキチキと音を立てたそれを手首に充てる女を見たその場全体が凍りつく。そんな中、たじろぐどころか見慣れ過ぎて小さく溜息を吐いたのはリョウさんと俺だけ。その後に続く言葉は安易に予測できる。それは、
「じゃないと私、ここで死ぬからぁ!!」
ほらね。…あーぁ、本当今日はツイてない。
観念したように俺は物陰から離れ、現場へと大股で歩み寄ってその手を掴んだ。
「待って。」
「め、…レン…。」
「レンくん!?レンくんっ…会いたかった…!私のこと助けてく、」
「──何しに来たの?」
雑踏だけが静まり返る中、野次馬はわらわらと集まってくるのを気配で感じる。
「、えっ…?」
「レン!」
逆上させるなと制するリョウさんを無視し、俺は上がり続けるフラストレーションに身を任せて更に続ける。
「リョウさんも言ってただろ。返せなくなるくらいに売掛積んで。それが俺のお陰でチャラになって、それでも店に入れろ?それで入れなかったら腕切って死ぬ?…甘ちゃんもいい加減にしろよ。」
俺の発言が理解不能と言いたげに、ぴくぴくと上がっていた口角を震わせながら、動揺と困惑に揺れる瞳がこちらを見上げてくる。
「レン、くん…?」
「ここは『お店』なの。取引が成立しなきゃ法律が働く。もっと言えば俺達の仕事は『サービス業』なんだから、金がない奴にあげる情なんて何もないんだよ。──あぁ、もっと頑張れるって言うなら、それなりのとこを紹介してあげてもいいけど…逆に来る暇なくなりそうだから俺としては丁度いいし?」
「えっ…、え…?」
「めめ、ちょっと言い過ぎ。」
肩を掴んで耳元で警告するリョウさんを一瞥して、あからさまに大きく溜息を吐く。掴んでいた手を投げるように振り払えば、その手にあったカッターナイフが音を立てて零れた。
「死ぬなら独りでご勝手に。──あ、でもここじゃなくて迷惑がかからないところでね。さよなら。」
そこからは暫く呆然と立ち尽くす彼女に二度と視線を合わせないまま、《行こ。》とリョウさんに店内へ向かうよう促した。
その背後で、彼女が沸々と憎しみが沸き上がるままに落ちたそれを掴んで静かに近寄って来たことには、周りの小さな悲鳴と、その中で唯一聴こえた1つの制止の声と足音で気付いていた。
今朝からどうも消えないあの男の顔。…絶対どっかで見たことあんねんな。迷惑がっていたが、助けてもらったからには何かしら恩返しはしたい。が、彼はゴリゴリのノンケだし、身なりや言動からして絶対ナンバー持ちのホスト。何で返したらええんや…。
そう悶々と思考回路を巡らせながら駅を降り、まだ通うようになって日が浅い街に着いた瞬間。横切った街宣車にもビルの広告にも看板にもその顔はあって。
(…あーーー…そら見たことあるわ。)
とりあえずどんなとこに居るのか見てみようと看板で店を確認し、スマホで検索して向かう。意外にもそこから近いところに店を構えていたようだが、
(うーわ、何やあの人集り。そんな人気なんか?)
《すんません、通りまーす。》と中央に向かって徐々に各々のスマホを向ける異様な群衆を掻き分けて進むと、想像以上の距離感と見たことのある後ろ姿。
更にはそこへ刃物を突き出して近付く女性の姿があった。
「!?ちょっ…何してんねん!!」
考えるより早く身体が動く。2人の間に入ってはギリギリのところで彼女の手を掴み、且つ自分にも刺さらないようにとその向きを下へ向けた。少し掴んだ箇所が手前だったのか、根元の刃が右手の小指球に食い込む痛みに思わず眉根が寄り、ぎり、と奥歯が鳴った。
「っぐ…!」
「邪魔しないで!!」
「何あったんか知らんけどっ…これは絶対ちゃうやん!」
「うるさい!アンタ誰なの?!どっか行ってよ!」
力の攻防戦が続くも、それでも一応俺は男だ。負ける訳がない。ただ、暴れられる度に刃の向きが変わり、その度に強まる痛みに脂汗が浮き上がる。
「…一旦落ち着こや。俺が話聞くから。なっ、?周り見てみ?人もこんな集まってきてるし、迷惑かけられへんやろ?…あと、
普通に手ぇ、痛いし…。」
最後の言葉にハッとした彼女は、刃を伝ってぽたぽた流れていく血を見て握り込んでいた手を漸く離した。
「…っう、うあああああああん!!」
罪悪感と悲哀でその場にへたり込むように泣き崩れる女性を見下ろしながら、俺は安堵の息を吐いて一先ず掴んだままのカッターを左手でゆっくり手に取り刃をしまう。
相変わらずだらだら流れる血を少しでも道に落とさないように傷ごと口で受け止めていると、背後の視線を感じてそのまま振り返る。そこには、今まさに恐らく警察に通報しているであろう男と、視線が合ってから俺の顔を認識するなり絶句して尚もこちらを見つめる男。
「君、は…。」
──あ、ちょうどええやん。
「ほんまたまたまやったけど、これで今朝の借り…返したことになる?」
「…勿論。…リョウさん電話終わった?」
「うん、すぐ近くにいる人たちが来るって。君、ありがとね。」
「、あ、はい。ども。」
2人が店内へ吸い込まれるのを眺めながら再び右手を口に付けていると、ふとその手を取られ抑え込まれたのは可愛らしいデザインのハンカチ。
「っごめんなさい…ごめん、なさい…!」
「ええんよ、…そんだけ大好きやったんな?警察は来ちゃうみたいやけど、落ち着いてちゃんと事情話せる?」
「、うん…。」
「ん。偉いで。」
俺の右手を抑えている小さな両手が震えている。せめてもの慰めとして少々遠慮気味にぽんぽんと左手で頭を撫でてやれば、バラける野次馬たちの向こう側で駆け寄ってきていた2人のお巡りさんが状況を把握したように静かな歩みへと変わったことを視認した。