テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
花街の夜は、どこも似た匂いをしている。
甘く、重く、まとわりつくようでいて――その実、肝心なものは何ひとつ掴ませない香りだ。
王都エスパハレを離れてから久しく嗅いでいない香りだ。自領ニンルシーラでは人々は日々の生活をこなすことで精いっぱい。
村内にこんな場を設けること自体不可能だった。
もちろん、道端でそういうことを目的に男性待ちをしている女性を見かけないこともないが、夏場限定。冬に外へいたりしたら、凍え死んでしまう。
花街が栄えるというのは、ある意味王都の気候が温暖で、人々の暮らしにゆとりがあるからこその贅沢だとも思えた。
ランディリックは、その匂いを肺に入れないように、無意識のうちに呼吸を浅くしている。アレクト皇太子からの呼び出しとはいえ、リリアンナに後ろ暗く思われることだけはしたくない。
指定されたのは通りから一本奥に入った高級娼館。貴族御用達の施設といったところだ。
「銀髪に紫水晶の瞳を持つの美しい殿方様。レクト様から言付かっております。どうぞこちらへ」
〝アレクト〟とは告げられなかった。
その事実だけで、この場所が彼にとって特別なものだと、嫌でも分かってしまう。
貴族女性よろしく美しく着飾った女主人に案内され、導かれたのは、館内でも奥まった二階の一室だった。
重厚な扉の向こうに広がっていたのは、想像していたよりも静かで、灯りの落とされた空間だ。
足元に敷かれたふかふかの絨毯が、この部屋が他の部屋より一線引いた格式を持った空間であることをうかがわせた。
(ここは……殿下専用の部屋か?)
何となく、この場が本来の「遊び」のために設えられた空間ではないことを、ランディリックは入室した瞬間に理解した。
香は上等だが、強すぎない。
調度は華美を避け、酒肴もすでに整えられているが、まだ誰も杯に手を伸ばしている気配がない。
そして何より、女の気配がなかった。
ランディリックを導いてきた女主人も、彼が部屋に入ると同時に「それでは」と頭を下げ、早々に立ち去っている。
(ここは、密談のための部屋だ)
即座にそう理解したランディリックの視界の先には、すでに二人、先客がいた。
ひとりはウィリアム・リー・ペイン。
気取らない微笑を浮かべ、いつもと変わらぬ様子で座しているが、その視線は室内全体をさりげなく見渡している。誰が、どこに座り、どの位置関係で話が始まるのか――そのすべてを把握しようとしている目だ。
もうひとりは、セレノ・アルヴェイン・ノルディール。
背筋を伸ばして座し、膝の上で指を組んだまま、微動だにしない。真面目さが、そのまま姿勢になったような男だった。こういう場に慣れていないことが、逆に隠しようもなく滲み出ている。
ランディリックは二人に短く頷き、用意された席に腰を下ろした。
その位置が、あまりにも示唆的だったことに、気付かぬほど鈍くはない。
この席は、客ではない。
かといって、主でもない。
――セレノ同様、当事者に最も近い位置。
そう理解した瞬間、胸の奥に、言葉にならない苛立ちが沈んだ。
ほどなくして、戸が静かに開く。
入ってきたのは、一見すればどこにでもいる貴族の青年だった。
コメント
2件
誰?
花街!?