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第30話「さよならのスタンプ、最後のイベント」
朝のようで夜のような空の下。
ナギは、神社の前に立っていた。
手には、30個のスタンプが埋まった帳。
最後のページだけが、やけに印象的で、まだ何も押されていなかった。
ユキコがその横に立っていた。
今日のユキコは、最初に出会ったときと同じ服装をしていた。
白いワンピース。足首まで届く長さで、風がふくたびに裾が舞う。
肩は小さく落ちていて、襟の縁がほどけかけていた。
けれどその姿は、もう“人”というより、“残り香”に近かった。
「最後のイベント、わかってる?」
ユキコが言った。
ナギはうなずいた。
「わたしが……この道をひとりで出ていくこと」
「うん。でも、ひとりじゃないんだよ」
ユキコはそう言って、そっと自分の胸元から小さな紙を取り出した。
それは、小さなお守り袋。
中には折りたたまれた1枚のスタンプ用紙。
ナギのとはちがう、べつの帳。
そして、そこにも“29”までスタンプが押されていた。
「これ、わたしのだったんだ。ずっとまえの夏にね」
ユキコの声が少しかすれた。
「最後のスタンプが押せなかったの。だから──残った」
鳥居の先には道が続いていた。
その先にあるのは“ふつうの世界”。
ナギの部屋や、駅や、アイスクリーム屋のある、ちゃんとした日々。
けれど、いまのナギにはそれが夢のように遠かった。
ユキコはふわりと笑った。
「でもね、ナギちゃんが歩いてくれたから、わたしの帳にも最後のスタンプが押せるんだって」
ナギは目を伏せた。
「……わたしは、もう戻れない気がしてた」
「それでも、毎日ちゃんと選んでくれた」
ナギの着ているシャツは、雨の日に借りたあのコートの下に、
ユキコのおばあちゃんちの洗いたてのシャツがあった。
袖は少し長くて、手の甲にかかっていた。
ズボンは草のにおいが染みついた短パン。
この30日の、どこかで着たすべてが、少しずつ混ざっていた。
「最後のスタンプ、押して」
ユキコが言った。
ナギは静かに、帳を開いた。
スタンプは──ユキコの手のひらだった。
彼女がそっと帳にふれたとき、
にじむように、まるく、手のかたちが残った。
「これで、おわり?」
「ううん。これで“つづき”が始まる」
ナギが鳥居をくぐった瞬間、ふいに風が吹いた。
ふり返った先には、もうユキコの姿はなかった。
けれど、胸のなかにあった言葉は、ちゃんと最後まで聞こえていた。
「ありがとう。ナギちゃん。わたし、ちゃんと行けるよ」
その日、ナギはあの鳥居の前にいたが根元から折れていた。
スマホをみると8月30日、2ヶ月経っていた。
たがすこしだけ髪が伸びていた。
足も少し、焼けていた。
そして、かばんのなかには──
ぼんやりとにじんだ30個のスタンプ帳が、一冊。
『ゆうれい都とナギ』──完。