「わぁ、素敵な人。いいなぁ。美男美女でお似合いですね。機会があったらご挨拶させてくださいよ」
それは、響子に社会人の恋人がいることを知った志保にねだられ、写真を見せたときのことだ。
「今日、これから会うことになっているけど、よかったら顔を見て行く?」
「いいんですか? うれしい!」
ちょうど近くのカフェで待ち合わせをしていたので、軽い気持ちで誘ったのだった。
だんだん照彦の態度が素っ気なくなり、気づいたときには、彼と志保は、そういう関係になっていた。志保は、響子にしたのと同じように、いとも簡単に、照彦の気持ちを掴んだのだろう。
ショックだった。いくら甘えるのがうまいからといって、照彦が、あんな子に心変わりするなんて夢にも思わなかった。
外見も中身も、自分のほうが数段上だと思い、安心し切っていたのだ。そういう自惚れが、照彦にも志保にも、無意識のうちに伝わっていたのだろうか……。
初めて照彦と彼女を会わせたカフェに、響子を呼び出した志保は、態度だけは、しおらしく、両手を膝の上に置いて、うつむきながら言った。
「私、赤ちゃんが出来たんです」
言葉を失っている響子に、さらに追い打ちをかける。志保は、微笑みながら言った。
「照彦さん、言ってくれたんです。海外出張から帰ったら、私の両親に挨拶に行くって」
まさか、そんな……。あまりの衝撃に、響子は、その後どうやって家まで帰ったのか覚えていない。
だが、人生は、誰にとっても、そんなに甘くはない。海外出張の帰りの飛行機が墜落し、照彦は死んだ。
自分を捨てた恋人が命を落とした。二重の悲しみに、響子は、一人涙した。
志保が、どうしたかは知らない。それ以来、彼女をキャンパスで見かけることはなかったから。
その頃、資産家だった両親はすでに亡く、響子は莫大な遺産を受け継いでいた。心の傷を癒すため、大学を辞めて、幼少の頃から世話をしてくれている家政婦の芙紗子とともに、遺産の一つである、**市に建てられた洋館に移り住むことに決めた。
志保から電話がかかって来たのは、ようやく洋館での暮らしに慣れて来た頃だ。
「先輩、お久しぶりです」
響子は訝しむ。あんなことがあったというのに、今頃、なんの用だというのだろう。
「どうしたの?」
つい素っ気ない言い方になってしまったが、それにかまわず、志保は続ける。
「私、赤ちゃんを産んだんです」
中絶するとばかり思っていたので、意外だった。だが、なぜ、それを私に?
志保は、いつも大学でそうしていたように、甘ったるい口調で言った。
「先輩に、お願いがあるんです」
響子は、内心呆れる。私に、ひどいことをしておいて、今さら、よくもぬけぬけとそんなことを。
だが、志保は、響子の無言にも怯むことなく話し始めた。
それは、控えめに言っても、虫の良すぎる話だった。はっきり言ってしまえば、無神経極まりない。
両親の反対を押し切って子供を産んだものの、体調とともに精神のバランスを崩し、現在、入院中なのだという。それで、しばらくの間、子供を預かってほしいと言うのだ。
そんな勝手な話は聞いたことがない。引き受ける義務などない。だが、次の一言に、響子の心は揺れた。
「とにかく、照彦さんの赤ちゃんを見に来てくださいよ。パパにそっくりなんです」
薄暗い病室のベッドで、志保は、胸に乳児を抱いていた。普段は、その子の世話をしているという、志保の母親の姿は見当たらない。
志保は、響子が想像していた以上に痩せていて、憔悴しているように見える。あまり重く受け止めていなかったのだが、体調と精神のバランスを崩しているというのは、嘘ではないらしい。
「抱いてやってください」
志保が、腕を伸ばしてこちらに差し出すので、半ば仕方なく、その子を受け取る。小さく頼りなく見えるけれど、それなりに重みがあり、とても温かい。
正直なところ、生まれて間もない乳児が、照彦に似ているのかどうか、響子にはわからなかった。ただ、この子に照彦の血が流れているのだと思うと、胸を締めつけられる。
私が愛した照彦は、もういないのだ。この子が自分が産んだ子であったなら、どんなによかっただろう……。
中絶すると嘘をついて子供を産んだことを、両親はひどく怒っている。一日も早く養子に出すように言われているが、とてもそんな気にはなれない。
だが、自分はこんな状態で、子供の面倒を見ることが出来ない。頼れるのは響子しかいない。
せめて自分が退院し、仕事を見つけるまでの間、この子を預かってもらえないだろうか。志保の「お願い」とは、そういうことだった。
納得は出来ない。自分が恋人を奪った相手に、その子供を押しつけるなんて、正気の沙汰とは思えない。。
ほかに頼る相手がいないのというのは本当かもしれないが、もしも自分が断っても、子供は養子に出され、新しい両親のもとで暮らすことになるだけだ。志保に育てることが出来ないのだから、それもやむを得ないだろう。
でも、そうなったら、二度とこの子とは……。それに、自分の判断一つで、この子の運命が変わってしまうかもしれないのだ。
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