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「あ、ありかぁぁ~~~!!!」
校舎に走っていく有夏チャンの背に、幾ヶ瀬は絶叫しながら手を伸ばす。
追いかけようと数歩進むも、ヨロヨロとその場でうずくまってしまった。
どうやら足が震えて動かないようだ。
稲川淳二先生を尊敬する幾ヶ瀬にとって、夜の校舎はホラーの聖地なのだろう。
そんな様子を録画しながら、アタシはネカフェの悪夢を思い出していた。
家出した(?)有夏チャンを追いかけた幾ヶ瀬が、ネットカフェでハッスルした一件だ。
「ヘンタイメガネの変態たる所以」って話だったっけ。
(「話」って言われても何のことだか分からないって? うん、そりゃそうだ)
あのときは、アタシも巻き込まれて大恥かいたっけな……。
それに比べたら今は周囲に人がいないから、気持ち的には楽だな。
もしも七不思議の霊がいたとしても、現実世界の人じゃないから気遣い不要だもん。
生きてる人のほうがずっと怖い。
生きてる有夏チャン、そして生きてる幾ヶ瀬のほうがずっと怖いんだ。
「うぅぅ……、番組を成功させなくちゃ……」
震える足を引きずるように這って、校舎に近付いていくYouTuber幾ヶ瀬。
ゆっくり歩いて後を追いながら、アタシは地面を這うヤツを記録し続ける。
なぁ、ヘンタイメガネよ、アンタの執念はどこからくるんだい?
無機質なコンクリートが、暗闇に沈みこむように立ち尽くしている。
4階建て校舎の玄関は、大きな引き戸で閉ざされていた。
薄汚れたガラス窓の向こうは真っ暗だ。
棚らしき濃い影が並んでいる様子から、どうやら下足ロッカー置き場だと分かった。
先に着いた有夏チャン、取っ手を引っ張っているが、当然ながら施錠されていて扉はピクとも動かない。
すると有夏チャン、バカ特有の異様な行動力で玄関横の窓をひとつひとつ動かし始めたのだ。
開くわけないと思うんだが、こういうときはひとつだけあるんだな──誰かのウッカリで、鍵が開いている窓ってやつが。
「ひぃぃ、暗いよぉ……」
幾ヶ瀬がヨロヨロと立ち上がる。
髪は乱れ、服が砂まみれ。ホラーに相応しい様相で哀れなくらいだ。
恐怖のあまりか、あるいは有夏チャンの気を引きたいからか、クネクネ動いている。
しかし、有夏チャンは窓から校内を覗き込むのに夢中な様子。
大きな目がキラキラ輝いている。
これはアレだ。好奇心が…何かに勝った瞬間ってやつだ。
そして、ヤツは動いた。
この時、アタシが思ったのはこの一語にすぎる。
──バカってスゴイ!
有夏チャンときたら、躊躇する様子もなく窓枠に足をかけると暗い校舎の中に消えていったではないか。
「いやぁぁぁ、ありかぁぁぁ……」
怨念チャンネル主催者、その場でガタガタ振動し始める。
ああ、震えているんだな、可哀想に。
「ラ……ララライト……」
それでも、さすがと言うべきか。
幾ヶ瀬は窓から室内を覗きこんだ。
うんうん、大事な彼ピを放っておくわけにもいかないもんな。
事務室だろうか。
スマホのライトで中を照らすと、アルミ製の机が並ぶ室内の様子が浮かび上がった。
あまりにスマホの照明が眩しいせいもあってか、明かりの範囲外は恐ろしいまでの闇に覆われている。
有夏チャンの姿など見えやしない。
「ヒィィ……せ、潜入しますぅぅ」
うっわ、涙ぐましいな。この新人YouTuber。
幾ヶ瀬のヤツ、泣きながらも扉の縁に片足をかけた。
だが、そこで固まっている。
「ほら、早く入ってくださいよ」
「わ、分かってますぅぅ……!」
どうしても入れないらしい。
扉を前に全身カタカタ振動している。
メガネの尻を眺めがら、アタシはため息をついた。
「アタシ、何でこんな夜中にこんなことを……」
いけない、我に返ってはいけない。
突然沸き起こった疑問を、アタシは頭から追い払った。
「ほら、こんな所でグズグズしてたらチャンネル登録してもらえませんよ?」
発破をかけたときのこと。
カメラ越しに幾ヶ瀬がこちらを向いたのだ。
ヒィ、怖い!
人のいない夜の学校でヘンタイと2人きりじゃねぇかと思ったら、ヤツの視線はアタシを通り越して向こう側に滑る。
つられたアタシもヤツの目線を追って、そして驚愕する。
校舎の玄関前には軒がついている。
その上に、人影がユラリ。揺れているのが分かったのだ。
「ななな七不思議のななな七つ目!」
「げげげ玄関に落ちてくる女生徒!」
アタシたち2人はその場で腰を抜かした。
人影は軒の上で軽やかに跳ねている。
スラリとした体躯。伸びた襟足が夜空に舞う──どこかで見たシルエットだ。
「えっ、待って?」
アレ、有夏チャンじゃないか?
そう気付いた瞬間、バカは軒から飛び降りたのだ。
シュタッと軽やかに校舎の玄関前に着地すると「2階の窓から出てきた」なんて言う。
えっ、何ですか?
1階の窓から入って、階段上って2階の窓から出るのがアンタの探索経路なんですか?
「あっひゅうぅぅぅ……」
ヘンな声をあげて、幾ヶ瀬がゆっくりと倒れた。
有夏チャンがとっさの反応で避けたものだから、ドシンと音を立てて幾ヶ瀬は地面に倒れ伏す。
ひ、人が失神するとこ初めて見た……。
カメラの向こうで、怨念チャンネルの主催者は泡を吹いている。
グーグーと、すさまじいイビキをかき始めた。
えっ、失神した直後にイビキをかくってヤバイんじゃ?
「ちょっ、胡桃沢さん(今更だが「胡桃沢」とは有夏チャンの苗字なんだよ!)この人、どうしたら……」
有夏チャン、急に我に返ったみたい。
「しまった!」と叫んだはいいが、さすが有夏チャン。
ヤツの「しまった」は意味が違った。
「深夜アニメの録画忘れてた!」
言うが早いか、見たこともない軽やかな身のこなしで駆けていったのだ。
えぇ……? ブレねぇにも程があるよ、有夏チャン。
仮にも彼ピ(?)が、死にかけ(?)っていうのに、深夜アニメを優先したよ。
ある意味、今夜一番のホラーかも、この人。
イビキをかきながら失神してる幾ヶ瀬を見下ろす。
この攻めの人……可哀想すぎるじゃねぇか。