目の前にある、私の手首をねじ伏せている彼の腕。
そこに、私はあらん限りの力を込めて
その白い肌をガブりと深く噛みちぎる勢いで食らいついた。
「っ……!」
口の中にわずかに鉄の味が広がる。
やってしまった。
そう思った瞬間、全身の血の気が引いた。
相手は一国の公爵。
噛み付くなんて、不敬どころか、下手をすれば命に関わる暴挙だ。
私は青ざめ、噛み付いたまま凍りついた。
恐る恐る視線を上げると、そこには意外な表情のシャーロット様がいた。
「……ふっ、ははっ」
彼は短く、可笑しそうに吹き出した。
冷徹な氷の公爵が、声を上げて笑っている。
「俺に噛み付いた女は初めてだ。面白い」
彼は私を押さえつけていた力を緩め、ゆっくりとベッドから起き上がった。
解放された両腕が、情けなくシーツの上に投げ出される。
彼は自分の手首に残った私の歯型を眺め
愛おしそうにそこを指でなぞると、乱れた衣服を整え始めた。
「え……? あの……し、シなくて、いいのですか……?」
呆然としたまま問いかけると、彼は冷ややかな、けれどどこか揶揄うような瞳で私を一蹴した。
「悪いが、俺は女には飢えていないんでな。泣いて喚かれては面倒だ」
「な…っ! な、なら、どうしてこんな……っ?」
私は、乱れたネグリジェの襟元を必死に手で押さえながら叫んだ。
あんなに強引に、あんなに熱く私を翻弄しておいて、今更「飢えていない」だなんて。
「言っただろう、お前は俺の所有物だ。躾がてら、少しからかってやっただけだ」
「し、躾……っ? からかった……!?」
彼は澄まし顔で、まるで行儀の悪い子犬をあやした後のような余裕たっぷりの態度で扉へと歩いていく。
その背中があまりに傲岸不遜で、私の羞恥心は一気に激しい怒りへと変わった。
「まあ、その減らず口を直す気がないなら…今度は本当に、その体に分からせてやる必要もあるがな。覚悟しておけ」
最後に冷たい脅し文句を残すと、彼は一度も振り返ることなく、優雅な足取りで部屋を出ていった。
バタン、と重厚な扉が閉まる。
静まり返った寝室で、私は立ち尽くしていた。
唇にはまだ彼の熱が残り、ふつふつと怒りが湧いてきた。
「な……っ、なんなのよ、あの男……!」
(あんなのが、あの傲慢で最低な男が、国の最高位に座る公爵なの……!?)
ムカムカとした怒りが、胸の奥から突き上げてくる。
あんなに怖かったはずなのに
今はただ、彼にいいように弄ばれたことが悔しくてたまらない。
「あぁもうムカつく……っ! 絶対に、あんな男に屈したりしないんだから……!」
枕を力一杯ベッドに叩きつけながら
私は暗闇の中で独り、収まらない怒りに身を震わせていた。






