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翌日の昼、白い部屋には、これまでの穏やかな空気とは一線を画す、濃密な死と生の混じり合った匂いが立ち込めていた。寝台の上で、太宰は巨大な腹部を抱え、脂汗を流しながら激しく喘いでいた。十日前まで赤ん坊のように中也の腕に抱かれていた少女の身体は、今や内側から突き破らんとする五つの異物によって、極限まで引き絞られている。
「……あ、……あ、……中也、……痛い、……痛いの……っ! なか、……壊れちゃう……、助けて……っ!!」
太宰は中也の手を壊れそうなほどに握りしめ、悲鳴を上げた。初めての産卵。導入液によって強制的に拡張された卵管と産道が、両手サイズの巨大な卵を外へと押し出すために、狂ったような収縮を繰り返す。中也は無言で彼女の腰を支え、産卵の補助に回った。
「……力め、太宰。……止めるな、一気に出せ」
中也の声は、どこまでも冷静だった。この個体は、先代たちに比べても驚くほどおとなしく、中也の指示に従おうと必死に呼吸を整えている。だが、その従順さが逆に、中也の胸の奥を静かに削り取っていった。
「ん、……んんん、……あああああぁぁぁーーー!!!」
太宰の絶叫が白磁の壁に反響し、最初の一つが産み落とされた。真珠色の輝きを放つ、温かく、生々しい粘液に塗れた卵。続いて、二つ、三つ……。太宰の細い肢体は、産み落とすたびに激しく痙攣し、失神寸前の極限状態へと追い込まれていく。
最後の一つが産み落とされたとき、太宰の意識は、猛烈な疲労と脳の自己防衛によって、深い闇の底へと沈み込んでいった。彼女の手は力なく中也から離れ、寝台の上でぐったりと横たわる。
中也は、汗と涙で汚れた太宰の顔を一瞬だけ見つめた。彼女の唇は微かに動き、無意識のうちに「赤ちゃん……」と、愛おしい者の名前を呼んでいるようだった。
「……おとなしいな、お前は。……まあ、前世代みたいに騒がしすぎなきゃ、それでいいがよ」
中也は独り言を漏らし、手際よく作業を開始した。彼は、太宰が命懸けで産み落とした五つの卵を、一つずつ丁寧に布で拭い、出荷用の滅菌ケースへと収めていく。それは彼女にとっての「赤ちゃん」ではなく、一刻も早く市場へ送り届けるべき、最高級の「商品」であった。
中也は、太宰が目を覚ます前にすべての痕跡を消し去るべく、迅速に動いた。床に散った粘液を拭き取り、空になった彼女の腹部を清拭し、乱れた衣服を整える。ケースに詰められた五つの卵を抱え、中也は振り返ることなく部屋を後にした。
数時間後、中也が食事のトレイを持って再び部屋を訪れたとき、太宰はちょうど、深い眠りから覚醒しようとしていた。
「……ん、……中也……? ……あ、……わたし……」
太宰は朦朧とした意識の中で、真っ先に自分の腹部に手をやった。そこには、数時間前まであったはずの、あの愛おしい重みがどこにもなかった。
「……あ、……ない。……中也、……赤ちゃん、どこ……? ……わたしの、……赤ちゃん……、いないよ……っ!!」
太宰は跳ね起き、震える手でシーツを捲り上げた。だが、そこには白くて温かい卵の姿など、どこにも残っていない。彼女の瞳に、たちまち強烈なパニックが走った。
「……中也! ……泥棒が来たの!? ……誰かが、わたしの赤ちゃん、連れて行っちゃったの!? ……返して、……返してよぉ……っ!!」
太宰は寝台から転げ落ち、中也の足元に縋り付いて泣き叫んだ。その姿は、かつての個体たちが繰り返してきた絶望の光景そのものであったが、このおとなしい少女が発する悲鳴は、中也の耳に、より鋭利な痛みとなって突き刺さった。
中也はトレイを置き、泣き崩れる太宰を、皮肉なほどに優しく抱き寄せた。彼の胸元を、彼女の熱い涙が濡らしていく。
「……落ち着け、太宰。……赤ちゃんは、悪い奴に盗られたんじゃない」
中也は、彼女の背中を、赤ん坊をあやすような一定のリズムで叩いた。 「……あれは、あまりにも繊細だからな。……お前が寝てる間に、俺が安全な場所へ運んだんだ。……今頃、温かい孵化器の中で、みんな仲良く眠ってるよ。……お前も見たろ、あそこはとっても静かで、いい場所なんだ」
中也の口から漏れたのは、完璧に作り込まれた「優しい嘘」であった。実際には、それらの卵は今頃、街の最高級百貨店の地下で、金色のリボンをかけられ、富豪たちの気まぐれな食卓に上がるのを待っている。
「……うそじゃ、ない……? ……また、……会える……?」
太宰が、潤んだ瞳で中也を見上げた。その瞳に宿っているのは、中也への絶対的な、そしてあまりにも危うい信頼であった。
「あぁ、嘘じゃねぇよ。……お前がここでいい子にして、また次の赤ちゃんを産めるくらい元気になれば、……いつかきっと、会わせてやる」
中原中也は、自分の言葉が彼女の心に、さらに深い「依存」という名の楔を打ち込んでいることを自覚していた。希望を与え、その希望を餌に、次の収穫へと繋げる。それが管理官としての、最も効率的で、最も残酷な技術であった。
「……よかったぁ。……中也がいてくれて、……本当によかった……」
太宰は中也の胸に顔を埋め、安心しきったように小さな吐息を漏らした。彼女は信じている。この優しく自分を抱きしめてくれる男が、自分の子供たちの守護者であると。その男が、数ヶ月後には自分を「肉」として売り飛ばすことなど、夢にも思っていないのだ。
中也は、自分のシャツをぎゅっと握りしめる太宰の、まだ少し震えている細い指先を、静かに見つめていた。 (……これでいい。……騒がれるより、こうして騙されている方が、こいつも幸せなんだろうよ)
彼は心の中で自分に言い聞かせ、彼女の頭を何度も撫で続けた。 白い部屋。優しい嘘。 そこで育まれるのは、純粋な愛ではなく、死に向かって完成されていく、完璧な家畜の魂であった。 中也は、太宰の温もりを感じながら、自分の心の一部がまた一つ、氷のように冷たく固まっていくのを、静かに受け入れていた。
(続く)
次回、第六話。ある日のお出かけで、太宰が偶然にも「真実」を目撃してしまう、崩壊の物語へと続きます。