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ベルニージュとのお喋りはなお続き、ユカリは薄めた蜂蜜酒をちびちびと飲んでいた。
「それで山鬼鳥の尾羽を手に入れるにいたったってわけ」
ベルニージュの語ったベルニージュ自身の冒険譚をユカリは目を輝かせて聞いていた。
「そんなに凄いものなんですか? 山鬼鳥の尾羽って」
「凄いのなんのって話なら別に大して凄いものではなかったよ」ベルニージュは何かを思い出すように宙を見上げる。「あれは薬効的には砂呑み蜥蜴の牙で代用できるし、大して魔の力もない」
「じゃあ、何でそんなに苦労して手に入れようと?」
「あの鳥は百年に一度里山に降りてくるかどうかって珍しい鳥で、名うての狩人が競い合って羽根を奪い合うんだよ。だからだね」
「えーっと、つまり競い合いだから手に入れようとしたってことですね?」ユカリは笑えばいいのか呆れればいいのか分からなくておかしな表情になってしまう。「じゃあ、何というか競争心で一か月も山に籠ったんですか?」
「そういうこと。尾羽を誰より早く手に入れた時の快感ったらなかったね。お陰で狩人たちと多少仲良くなってこの街の噂を聞けたし」
「噂って? 流星群の日のことですか?」
「ううん、違う。聞いたことない? この街に今、忘れてしまった記憶を思い出させてくれる者がいるらしいって。そういう噂。魔法使いだか妖術師だか知らないけど」
おおよそ二か月の生活の中で、ユカリはそれらしい噂を聞いた覚えはなかった。
「記憶を? それは幼い頃の記憶とか、ですか?」
「そう。あくまで噂だけどね」ベルニージュは椅子にもたれ掛かる。「幼い頃どころか、物心つく前の記憶を取り戻した、とかね。ワタシも経験者に話を聞いたり、色々と調べてるんだけどさ。具体的に何がきっかけで、彼らが記憶を取り戻せたのかが分からないんだよね。状況から考えると、何者かが、人かどうかも分からないけど……、無差別に記憶を回復する力を振るっていることになってしまう。実際のところ、ここ数週間は、祭りのために来た人よりもその噂を聞いてこの街にやってきた人の方が多いんじゃないかな」
その魔法を使えば、前世の記憶を取り戻すことも出来るだろうか、とユカリは蜂蜜酒の琥珀色の水面を見つめて考えた。
「じゃあ、その、ベルニージュさんも何か忘れたことを思い出したくてこの街に来たんですか?」
「そうだね」と言って深刻そうな顔も見せずに微笑んでみせる。「ワタシ、記憶喪失なんだよ。それで興味を引かれてね。ワタシの場合は、むしろその奇跡的な力そのものに興味があるかも。そういう魔法使いもきっと多いよ」
その時、出入りの扉が勢いよく開き、男が食堂に飛び込むように入ってきた。ユカリは驚き、飛び上がって振り返る。
「待ってくれ。私の力はまた別物だ」と男が後ずさりしながら、食堂の外の何者かに訴えかける。
すると男に続いて何人もの人々が食堂へと入ってくる。腰の曲がった老婆や魔法使いらしき長衣の男、野次馬らしき若者たち。それぞれが口々に男に訴えかける。
「日に日に衰える私の頭を治してください。これ以上、家族に迷惑をかけたくないのです」
「是非、私めを弟子にしていただきたい。必ずやお力になりまする」
「俺たちにも見せてくれよ、おっさん。奇跡ってやつをさあ。減るもんじゃあねえだろお?」
狼狽える男は及び腰で、店の奥へと後退していく。
男は半ば悲鳴のように訴える。「だから、私にも分からないんだ。記憶を回復する方法なんて。むしろ私の方が聞きたいくらいなんだ」
騒ぎを聞きつけたマーニルが不快感をあらわにして調理室から出てくる。
「一体、何の騒ぎ? 悪いけどよそでやってくれない?」
ユカリは席を立って騒ぎの方へと歩いていく。合切袋に手を突っ込んで、そしてユカリは失敗に気づく。今、この騒ぎを治められるような魔法を持ち合わせていない。グリュエーに吹き飛ばしてもらうのはさすがにやり過ぎだろう。
騒ぎを遠巻きに、ユカリがまごついていると突然、人々に追いつめられる男の体から突然白い煙が濛々と立ち上り始める。その場にいる者全てに困惑が広がる。当の男も自分の体から出ている煙に混乱していた。
「な、なんだ? これは? 何の煙だ?」男が人々に問いかけるが答えを持ち合わせている者はいない。
そして火花がいくつか閃いたと思うと、突然男の体が発火し、勢いよく燃え上がる。橙の炎が天井近くまで噴き上がっていた。食堂に悲鳴が巻き起こり、男に絡んでいた人々が逃げていく。
ユカリは駆け寄ろうとするがベルニージュに肩を掴まれる。振り返り、疑問の占める頭でユカリは問いかけようとするが、その前にベルニージュが先回りして答えた。
「大丈夫だって、ほら」と指さす先、男の方を再び振り返ると炎は朝を迎えた悪夢のようにすっかり消えてしまい、白い煙も無ければ炭や灰も、熱すら残っていない。「さっきのはワタシが連れてきた幻だから。実際に燃えているものは何もないよ。ちょっとおどかしただけ」
男は炎に驚いて床にへたり込み、自分の体を確認していたが、火傷どころか衣が焦げてすらいないようだ。ユカリは安心して空気を大きく吐き出す。そしてその赤毛の魔法使いに訴える。
「ベルニージュさん。助けるのはともかく、何かやるなら言ってくださいよ」
「ユカリの方こそ、何かやると見せかけて何もしないのはどうなの? てっきりあのおじさんを助けるんだと思ったんだけど」
当然至極の正論だった。ユカリは自分の不甲斐なさに項垂れる。
「すみません。何というか、ちょっと上手くいかなくて」
「別に謝るようなことじゃないけどさ」
ユカリは今度こそ男の方へと歩みより、手を貸す。
「大丈夫ですか? 怪我はありませんか?」
男はユカリの差し出した手を丁重に断り、自らすっくと立ち上がると、灰色の頭を下げる。
「いや、すまない。驚いたが、追い払ってくれて助かった。君は私のことを知っているのか?」
男の深く皴の刻み込まれた顔には未だ不安の彩りがユカリには見えた。
「え? いえ、知らないです。そもそも助けたのは私ではなくて」と後ろを振り返るが、いつの間にか姿を消していた。マーニルの視線がベルニージュは宿の部屋へ戻ったことを示唆していた。「えーっと、つまり、それはそうと、少しお話を聞かせてもらえませんか? 恩を着せる訳ではありませんが」と言って恩を着せる。
気になる単語をいくつか聞いた。奇跡とか、力とか。
魔導書の気配は感じないが、ユーアにも魔導書の気配は無かった。ユカリが想像している通り、人に憑りつく魔導書なのだとして、そういった魔導書が人に憑依している間は気配を感じさせない性質なのかもしれない。
男は少し驚いた様子でユカリを見、窓の外に目をやる。
「いや、私のことを知らないのであれば、申し訳ないが私は探しているものがあって、それに。いや、だが、どうしたものか」
ユカリも扉にそっと近づいて少し開き、外の様子を見る。まだ人々が食堂の周りをうろついている。少なくとも入って来る様子はない。
「いま出て行けばまた捕まっちゃうと思いますけど」
「ちょっと。さっきも言ったけど騒ぎならよそでやってよね」と売り台の方からマーニルが呼びかける。
「すみません。マーニルさん。もう大丈夫みたいなので」とユカリが謝る羽目になる。
「貴女は私のことを知っているだろうか?」と男は売り台の方に近づき、マーニルにも尋ねる。
マーニルは少し後ずさりする。「いやあ、知らないわね。何でも良いけど、騒ぎのせいでお客さん出て行っちゃったじゃない。何か注文してよね」