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米山の嬉しそうな様子に凪もなんだか自分の事のように嬉しくなった。仕事で上手くいくのはいいことだ。自分の評価が上がり、誰かに認められる。
凪だってNo.1になるまで努力を重ねて目の前のランカー(ランキング上位のセラピスト)を追いかけたものだ。
「それで、凪くんの次の担当なんだけどさ」
そう切り出されて、ああそうか。担当変わるんだと不意に思った。2年間毎月担当として髪のケアをしてくれた人間だ。ほんの少し寂しい気持ちにもなった。
それでも客としては、この店の美容師なら誰に担当してもらってもハズレはないだろうと不安はない。
「成田さんがそのまま引き継いでくれるって言うんだけど大丈夫?」
「えぇ!?」
凪は米山の言葉に驚愕した。鏡を通して話をしていたのに、思わず後ろを振り返ったほど。
「担当困るだろうから俺が引き継ぎますよって自ら言ってくれてさ」
「ま、マジっすか……」
凪は成田を指名しようとして約1年待ちと突っぱねられたのだ。それが成田の方から引き継ぐと言ってもらえるとは思ってもみなかった。
「まあ、もちろん成田さんだからカットが主でカラーとかパーマはアシスタントの子か他の美容師がやるんだけど」
「え、でも成田さんの予約って結構待ちますよね?」
「そこも予約はいつも通り入れてくれていいって。大体の予約の周期とかまとめて確認してたから、凪くんのタイミングで予約くれれば調整するって」
う、うわー。マジか。成田さんのカット、1回お願いしたかったんだよな。さすがに1年に1回しか予約が取れないなら諦めようと思ってたけど、そこまで融通利かせてくれるって言うなら願ってもないことだよな。
凪は歓喜に満ちた表情を浮かべた。
「そ、そこまでしてもらっていいんすか?」
「うん。あ、もちろん凪くんが嫌ならすぐ担当変えられるから。今日お試しで成田さん入ってくれるっていうからそれで決めてくれてもいいよ」
「え……でも、めちゃくちゃ忙しそうですけど」
「うん。だからカラーとパーマは俺がやるけどさ」
「あ、なるほど……じゃあ、お願いします」
凪は遠慮がちに言いながらも上がる口角を隠しきれなかった。
「うん。じゃ、成田さんに声掛けてくるね。会うの初めてだよね?」
「そうなんですよ。大体奥にいるって聞いてたんで」
「んー。あちこち行ったり来たりしてるから見たことはあるはずなんだけどね。まぁ、凪くんいつも雑誌読んでるしね」
「そうですけど、そもそも成田さん顔出ししてないじゃないですか」
「ああ、そうだね。彼、メンズカット売りにしてるから。顔出しちゃうと女性客いっぱい来ちゃうから嫌がるのよ」
米山はそう言って笑いながら、成田がいる方向に向かって歩き出した。
成田はコンテストに出場すれば全て最優秀賞を得られるほど。しかし、どんなに話題になっても、どんなに取材がきても顔は出さなかった。
ただ、カットを受けたメンズ客全員が言うのは「男からみてもとんでもなくイケメンだった」である。
実際に成田に会って、彼自身の髪型を見て同じようにして下さいと注文する客もいる。更に、成田に憧れて次の予約を入れる人もいるのだ。
SNSでイケメンだと話題になる度に女性客からの予約の電話が殺到したが、メンズカット専門だと成田が全て突っぱねた。
そんなところも男性客からは好感があるようだ。
「こんにちは。今日から俺が担当させてもらいます」
後ろから声が聞こえて、遂にきた! と凪は勢いよく顔を上げた。鏡越しに映るミルクティー色の髪。米山をも見下ろす長身。透き通るような白い肌。目鼻立ちがハッキリとした綺麗な顔。
その後に凪の脳内を成田の声が再生される。
「俺が担当させてもらいます」
『俺はね、凪のことが好きなんだ』
どこからともなくそんな声も聞こえた。同じ声だった。そしてにっこりと笑った顔も、あの日会った人物と同じだった。
「米山さん、あとで指示出すんでとりあえず髪見させてもらっていいですか?」
成田が隣に立つ米山に声をかける。
「ああ、うん。じゃあ、俺は成田さんのお客さん見てくるよ」
「お願いします。多分、田畑さんもうカラーいいと思うんで」
「はいはい。じゃあ、凪くんお願いします」
ペコりと頭を下げた米山と一瞬目が合った凪。
「まっ!」
引き止めようと腰を上げたが、成田にグッと肩を押されストンと椅子に着地する。それから耳元に顔を寄せ「逃がさないよ」と囁かれた。
「っ……な……な……。どういうことだよ! お前が成田」
「うん? ちひろだよ。言ったじゃん。成田千紘(なりた ちひろ)」
「……そうだ」
ちひろという名前を警戒していたが、まさかこんなに身近に存在していたとは思っていなかった。完全に女性と偽るための偽名だと思っていたのだ。
今日くるまで関わりのなかった成田の名前が千紘であることなど凪の知るところではない。
「この前会った時に思ったんだけど、かなり髪傷んでるんだよね。ブリーチしたんだっけ」
成田こと千紘は凪の髪に触れ、毛先を見ながら言った。途端にあの夜ちひろに頭を撫でられたことを思い出す。ただでさえまだ後口は違和感が拭えないのだ。
あの日の悪夢を鮮明に思い出せるのも体に植え付けられた恐怖と感覚のせいだ。
化粧などしていなくても元のパーツがいいからか、十分中性的な顔をしていた。ただ、以前会った時に比べればいくらも男性っぽい。
髪もそのウルフカットを丁寧にセットしていて、中性的と言いながらも男の色気が滲み出ていた。
「な、なに普通に美容師みたいなこと言ってんだ!」
凪は、あの日のことなどまるでなかったかのように自然と仕事をこなそうとする千紘に苛立ちが募る。
「え? 俺、美容師だけど」
キョトンとした顔でパチパチと瞬きする千紘は、反対に不思議そうに首を傾げた。
「俺は許さないからな!」
「ねー。アカウントブロックされちゃったし」
「するって言ったろ!」
「予約断られちゃうし」
「出禁にされてんだよ、お前」
小声で凪は噛み付くが、飄々とした様子の千紘。そんな姿を見て、凪はやっぱり予約の連絡してきてたのかとゾッとした。
「残念。でもまた会えたからいいや」
千紘はふふっと嬉しそうに笑う。調子が狂うと凪は頭を抱えた。なんでよりによってコイツが担当に……そう考えところでふと思った。
まさか、米山さんを外したのはわざとなんじゃ……。認められて本店に行くんじゃなくて、俺の担当を変わるために……。
考えたくもない仮説が頭を巡る。嬉しそうな千紘を見ていたらそれが正解のような気がした。
「なぁ……米山さんが本店行くのって……」
「ああ、追い出した。アイツ邪魔だから」
急に冷めた口調になった千紘。一瞬鏡に映った冷たい瞳が光って見えて、凪は息を呑んだ。
「じゃ、邪魔って……。米山さん喜んでたぞ」
「よかったね。念願叶って。俺も、嬉しい」
凪の顔を覗き込むようにして千紘は後ろからひょこっと顔を出した。その顔はもう子供のように無邪気だった。
「っ……お前なっ! 俺はお前が担当とか認めねぇから! 担当変えてもらう!」
「ああ、無理。うち忙しいから」
「どの美容師もお前より暇なんだろ」
「凪のためなら調整するって言っといたんだけど。あのクソ、言わなかったの?」
綺麗な笑顔とは異なり、時折汚い言葉が飛んでくる。明らかに米山に対して敵意を見せる千紘に、凪は顔を引きつらせた。
「き、聞いたよ! ちゃんと聞いた! 担当変われないなら店変える」
「……は? それはダメだよ」
凪の耳元で地鳴りがするような低い声が聞こえた。
こっわっ……! 瞬時に凪の防衛本能が働く。コイツはヤバいと体の奥底から叫び声が聞こえる。
「きゃ、客の自由だろ……どこの美容院に通うかなんて」
「そうだね。まあ……いいけど」
「……?」
意外とすぐに納得した千紘に、凪は呆気に取られた。しかし、千紘が取り出したスマートフォンをささっと操作しているところを目で追い、画面を上に向けて顔の前に差し出された瞬間に声にならないほどの恐怖が襲う。
お互い裸で写るツーショット写真。凪は眠っているが、凪であることはよくわかる。散乱したティッシュペーパーの山と赤く染った凪の頬。誰がどう見ても情事後のソレで、凪は目を見開いて瞳を揺らした。