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妖怪ウォッチ
nmmn : 何でも許せる方向け :
人間 and 江戸初期パロ
晩冬の宵。土蜘蛛は小袋を右手に提げ、左手には小瓶を抱えている。和菓子屋の《喰ゐ処》へと足を進めた。とある、町娘に借りを作ってしまっている。だが、その顔に嫌悪感はなく、むしろ口元の緩みから、若干楽しみにしていることが伺える。甘やかな匂いに誘われるように、足取り軽く暖簾をくぐっていった。
『⋯御免。』
『先日の菓子は、実に美味であった。これ程の品を頂戴したにも関わらず、礼をせぬのは無作法極まりない。選ぶ ことに時間はかけた故、受け取っていただきたい。』
一礼をすると、お露は土蜘蛛を昨日と変わらぬ華やかな笑みで迎え入れた。土蜘蛛は、お露に露草の生けられた小瓶と、露草の描かれた櫛を贈った。お露の、涼やかですっきりとした露草の匂い袋の香りがまるで土蜘蛛の心の曇りも晴らすようだった。お露は、両手で顔の半分程を覆うと同時に、瞳がきらりと輝いた。
「私のような者がいただいてしまっていいのですか?これ程の代物⋯!」
『気にするな。礼には及ばぬ。』
「えへへ、早速使わせていただきますね!」
艶のある髪を櫛で飾り、窓際に露草が生けられた花瓶を設える。どちらもお露によく似合っていた。土蜘蛛には、接客時には見られぬ自然な喜び方で、年相応の少女に移った。雨の夜を乗り越え、翌朝の日光を受けて光る露のように煌めいて見えた。幸いにも、客は自分しかいない。既に火点し頃で、全然人は道を通らなくなってしまっている。
『似合っているぞ。』
「ええっ!?」
お露は、照れたようにわざとらしく眼を逸らした。それから、小さな声で「あ、ありがとうございます⋯。」と恥ずかしがりながら伝えた。土蜘蛛は、思ったことが声に出てしまって困ったな、と言わんばかりに頭を搔いた。気を取り直すようにお露の双眸をしっかりと見つめた。
『昨日の饅頭を、今日もいただきたい。』
「畏まりました。」
昨日と同じ手順を踏んで饅頭を包んでいく。待ち時間は普通、あまり快いものではないが、この暫しの時間だけは土蜘蛛にとって憩いの場となっていた。店の脇にある座布団に正座して待つ。自分では意識していなくとも、お露へと視線が駆け出してしまうことで初恋を強く自覚させられる。
「お買い上げありがとうございます。」
今日はしっかりと小銭を渡した。もう、この癒しのひとときが終わってしまうことが残念だ。あまり長居するのも不審に思われるに違いない。そう言い聞かせると、一礼して店を出ようとしたその時、背後から引き止める声がした。
「あの⋯月末にその季節の七草粥をご提供しているのですが、よければどうですか?」
『⋯⋯⋯いただこう。いくらだ?』
「ご利用してくださっている人への感謝で既に支払われています。それに今日は寒いですから、少しでも体を温めていただければと。 」
『では、お言葉に甘えて⋯。』
聞き取りやすく、透き通った声で土蜘蛛に語りかける。土蜘蛛は、これ程のもてなしを他の店で見たことがあっただろうか、と思い直す。冬の七草粥を机に置き、会計処の隣で再び和菓子を作り始めた。手元を汚さず、美しい形に仕上げる様子は、見世物にさえなりそうだ。土蜘蛛は、その作る御業に惹きつけられ、目前に控える七草粥を温い温度で食べることになったのだった。
『粥もいただいてしまって、忝ない。しかし⋯見事な味だった。感謝しかない。』
「いえいえ!喜んでいただけたのなら嬉しいです。こちらこそ素敵な贈り物をありがとうございました!大切にしますねっ
またのご来店をお待ちしております!」
お露の片手をとって両手で挟む可愛らしい仕草に心拍数を上げられつつも、饅頭を受け取る。昨日のように一礼して、店をあとにした。変わらずお露は朗らかで穏やかな表情をしていた。少し歩いて、お露の存在が惜しく振り返ると、渡したお花の世話をしていた。
***
「ずるいですよ⋯」
「明日も来てくれるでしょうか⋯。 」
お露は椅子に座りながら机に頬杖をつく。拗ねたとも照れたともとれる顔で。軽くため息をついたあと、赤く頬を染めた。あの人は、お露を真っ直ぐに見つめる。あの方は、礼儀作法をよく理解している。あの御方は、お露に贈り物を渡す。あの御仁は、人望が厚い。あの殿方は、心身ともに完璧である。きっと、お露は何らかの魔法をかけられてしまったのだろう。それから、お露はくしゃみを三回した。
「誰か⋯私のお話でもしていらっしゃるのでしょうか。」