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翌日。犬養夫妻の家へと向かう、高速道路を走行中の車内に私はいた。
青蓮寺さんの運転は快適だった。音楽やラジオはついていない。
私はずっと助手席から、窓の外の景色を見ていた。
走行音と静かなエンジン音が車内を支配していたところに。
青蓮寺さんの声が響いた。
「ちょっと、ららちゃん機嫌直して。別にラブホに行ったなんて初めてちゃうやろ? ちょっと服をひん剥いて水行させて、強制的に身を清めさせたけど。事前に言ったら絶対に拒否るやん? そもそも着いて行きたいって言ったのはそっちやん? 一応、カチコミって言うても、犬養夫妻の狗神を倒す。そして二人に呪いをかけるって言う、儀式なんやから。身を清めるのは必須やんか。帰りにアイスクリームでも買って上げるから、いい加減ダンマリはやめて」
「機嫌は大丈夫です!! いきなりラブホに押し込まれて、服を脱がされてっ。下着姿とは言えど、水を浴びせられながら、般若心経を唱えられた経験が無くて処理が追いついてないんですっ! しかも、青蓮寺さんがコスプレイヤーばりの真っ黒な上下黒装束の紋付袴姿に着替えて。それで高速を運転しているとか。警察に変な人として職務質問で車止められないか、ハラハラしているだけです! とりあえず、下着姿を見られてしまったことには大変憤慨しているので、帰りにアイスクリームは沢山買って下さいっ!」
一気に捲し立てて、はぁはぁと肩で息をしながら青蓮寺さんの顔をやっと見るけど。
青蓮寺さんは運転中と言うこともあって、チラッと私を見ただけで。視線を直ぐに前に向けて。
「ん。わかった。あと、この格好で職務質問は受けたことはないから大丈夫やろ」と、軽く返事してから「犬養夫妻の様子はどう? ちょっと現在地を見て」と、私の憤りを軽く流すだけだった。
その様子にこれ以上問い詰めても無理だと思い。
はぁっと大きくため息を吐いてから。
待って下さいと鞄からパッドを取り出し。起動させて追跡アプリを立ち上げる。
その間、車内にはまた静かなエンジン音が広がる。
今日の車は犬養とカフェで会って、帰りに乗った白い車だった。
窓の外を見るとビルなど高い街並みから随分と、緑が多く。背の低い建物が多くなって来たと思った。
山の麓にある、バカ犬養夫妻到着までまだ少しあるだろう。
パッドに視線を戻すと、アプリの起動は遅かった。
バカ犬養二人の位置情報を示す、上下分割した地図アプリの画面はローディング画面から中々切り替わらない。
「青蓮寺さん。街から遠くなったのでちょっとアプリが繋がりにくいかもしれません。少し待って下さい」
「分かった」
と、短い返事があり。車内がまた静かになる。
私は画面の中にクルクルと回り続けるアイコンを見つめながら、未だラブホテルで起こった出来事にまだ、胸がモヤモヤしていた。
本当はアイスクリームどころか、パフェもケーキもマカロンもカヌレも、ついでに和菓子もねだりたい気分だったが、ローディング画面を見つめながら気持ちを整えることにした。
そもそも、無理を言って着いて来た身分だしと、言い聞かせる。
──そう。私達はお昼前には家を出た。
少し早い出発かと思ったけれども。高速を使うから、渋滞に巻き込まれてしまうのを避ける為かと思っていたら。
青蓮寺さんが何食わぬ顔で高速に入る前に。脇に並んでいる、ラブホテルの駐車場に入ってビックリした。
何事かと思うと、青蓮寺さんが身を清めて仕事着に着替えると言いだしたのだった。
もちろん、私は車で待機かと思っていた。が。
そんなことはなくて。
私も部屋にチェックインして《《冷水》》で身を清めろと言われ。躊躇してしまうとそこから、面倒くさいと。
ややキレた青蓮寺さんに担がれるように、青蓮寺さんと一緒に部屋にチェックインしてしまい。
作業のように服を脱がされた。
びっくりしたのも束の間。浴室に押し込められ。
般若心経を唱えられながら、シャワーの冷水を頭から被る羽目になったのだった。
人は冷水を浴びせられ。後ろでやたらといい声で般若心経を唱えられると、羞恥心なんか水と一緒に排水溝に流れるのだ。
そしてもうなんでもいいやと、思えてしまう生き物だと初めて知った。
最後の方は静かに手を合わせて。お経に耳を傾けてしまうほどだった。
そうして、五分ほどしっかりと冷水を浴びたあとは、直ぐにタオルを頭から被されて浴室から追い出された。
文句の一つも言いたくなったけど、体が冷えてしまったのと。その後青蓮寺さんも着物を脱ぎ始め。
意外にも逞しいタトゥーが彫られた体をちらっと見てしまい。
私と同じく身を清めると言ったので、逃げるように浴室から撤退して、部屋の隅でタオルにひたすら包まっていた。
それでもなんとか身支度を整えた頃には、青蓮寺さんが真っ黒な袴姿になって私の前に現れた。
真っ黒な着物には家紋の──星形。
いや、違う。逆さの星形があった。
それが妙に目について、珍しいと思った。
髪はいつものゆるいポニテールじゃなくて、キッチリと結ばれて凛々しかった。
それは良しとしても。わざわざラブホじゃなく。家から行水や着替えをしたらいいじゃないですかと抗議をした。
すると、青蓮寺さん曰く『こんな格好して家から出たら、怪しまれるやろ』と、言われた。
──今でも充分に怪しいのに。
気にする必要はないのにと言うと、青蓮寺さんに無言で頬をつねられてしまった。わりと痛かった。
そう言った一悶着があったり。
本当に|青蓮寺さん《この人》、私の下着姿を見たというのに普通な態度だった。
いや、今更変な気持ちになられても困るのだけども。
とにかく、そんなことがあり!
部屋を出る前には青蓮寺さんが持って来たと言う、御神酒をほんの一口。唇を濡らす程度に口付けた。
そうして、案外身体はサッパリとしたけども。
気持ちはどこに落とし所を付けてよいか分からずに。チグハグな気分のまま、ラブホテルを後にするのだった。
そこから、なんと会話をしていいいか分からず。
私は多少の気恥ずかしさもあってからダンマリを決めていたら、青蓮寺さんが口火を切ったと言うわけだった。
──少しは、私のことを気にしてくれていたから、先に話し掛けてくれたのだろうと。そう思うことにして。
なんとか、気持ちの整理もついたところで再びパッドに視線を戻すと、ローディング画面から上下分割された地図の画像が現れて。画面に動きがあった。
「あ。青蓮寺さんアプリ起動しました。犬養の方は家で反応が止まってますね。粧子の方は……車で移動しているのでしょうか。市内に向かう道路に反応があります」
パッドの上部を見ると時刻は16時35分。
粧子は青蓮寺さんに会うためにホテルに向かっていると見て、間違いなそうだった。
「そうか。今のところ順調やな。粧子の方が鞄を変えてしまったらどうしようかと思っていたけど、大丈夫そやな。粧子もペン型のGPSにも気付いてないみたいで良かった」
緩く深呼吸してから、ハンドルを握り直す青蓮寺さん。
「青蓮寺さんの方が運がやっぱり強かった、ってことですかね」
「さぁ、どないやろな。次の出目は悪いかもしれんなぁ。出来るだけ良い方に向く為に、水行をしたし。御神酒に口を付けたり。後は神頼みかな」
青蓮寺さんはくすりとシニカルに笑ったあと。
「そうそう、神様にそっぽ向かれて。本当に万が一の場合のときやけども。渡しているスマホに『黒須弁護士事務所』と『姫神病院』って言う番号が予め入っているから、困ったことになったらそこに連絡するように」
「そんな困ったことには、なりたくないですけど」
「備えあれば憂いなしの精神ってことで。法律、法務関係で困ったらそこの弁護士先生に。僕の名前出したらスムーズに話が進むと思う。病院は……お金次第でとても自由が効くところやから」
弁護士先生はともかく。
自由とか言われる病院って怪しい。突っ込みを入れたいところだけども。
どちらも利用することがないようにと、この場は頷くだけにした。
気がつくと、高速道路の両脇は山に囲まれ。
ポツポツと見えていた住宅は姿を消して、代わりに鉄塔が目立ち。横を走る車はトラックが多くなっていた。
パッドの中の画面。地図アプリでも到着まで15分とアイコンが出ていた。
もう少しで目的地に着く。
小さく生唾を飲み込んでから口を開いた。
「えっと。確認なんですけど。私は家から少し離れた場所で車中待機。青蓮寺さんからのブザー音があった場合は警察に連絡して、家には踏み込まない。そのまま車で現場を離れる。粧子が戻って来ても同じく。青蓮寺さんに連絡して車で逃げる。以上で、合ってますか」
この場合、青蓮寺さんを置き去りにするということになる。
大丈夫なのだろうかと思ってしまうが。
今からやろうとしていることを考えると、そもそもが犯罪行為的なことで──と思い。
これ以上は考えるのはやめた。
「合ってる。絶対に僕が車に戻ってくるまで、車外には出たらアカン。勝手に来られたら邪魔。夢で見た庭のことが気になるとは思うけど。僕の合図があるまで我慢して」
「……はい」
返事とともに腕に付けている、ピアスのブレスレットを触った。
そこからはしばし、互いに無言になり。
私はじっとパッドの中の上下の地図画面に、何か変化がないかと見つめるのだった。
※※※
『犬養国司』
一体どう言うことなんだ。
意味が分からない。
安良城ららが俺を訴える? そんなバカなことを言ってきた人間は初めてだった。
いや。正確に言うと俺に逆らった人間は初めてだった。だから喫茶店では大変、狼狽えてしまった。
俺とマッチングアプリでやり取りしていた『カスミ』と言う女は結局あのあと来なかった。しかもアプリも退会していて煙のように跡形なく、存在が消えていた。
きっとあの『林』とか名乗った優男の弁護士。アイツの美人局とか、そう言った手合いなのだろう。
今にしてみれば弁護士登録ナンバーも聞けばよかった。名刺の一つでも分取るべきだった。
その場で弁護士バッジを、確認するのも忘れていたのも腹立たしい思いだった。
「くそっ。忌々しいっ」
こうも自分の都合に反する者が出てくると今まで順風満帆だった分、苛立たしくて仕方ない。
ドンっと、居間の机を叩くとビールの空き缶が机から落ちた。拾うのも億劫で深い溜息を吐く。
「何が訴状が届くだ。わざわざ昨日、慌ててこの家に帰って来たのに。一日待っても訴状も何も届きやしない。ハッタリなんかカマしやがって、あのクソ女にクソ弁護士め。よくも俺を騙しやがって。有給まで使ったと言うのに、クソっ」
新たに開けた缶ビールに口付ける。ゴクゴクと喉に流し込めば、飲んでる間は爽快だったが、舌の上にはやけに苦味が残ると感じてしまった。
ガンと乱暴に缶を机の上に置いて、その場に寝転がると畳のイグサの匂いがした。
スマホをポケットから取り出すとまだ昼過ぎ。こんなムシャクシャした気持ちはいっそギャンブルで解消したくなった。
しかしこの近辺には、競艇場も競馬もパチンコの施設もなんにもない。あるのは鬱陶しい自然だけ。
俺にとってはこの家はただ広いだけの古い家。
狗神を一番大きな広間で祀り。
庭に犬達を埋めて贄にするだけの場。
「粧子のやつも出掛けていて、ツマんねえな」
粧子には、すぐにららが訴えて来たことを伝えた。
すると粧子は冷静に、まずは本当に訴状が届くかこの家に待機。
そして──箪笥に祀っている狗神に異変はないか、調べようということになり。
二人して昨日、慌ててこの家に戻って来た訳である。
そういった経緯で、わざわざ帰って来たのに訴状とやらは届くこともなく。狗神にも異変がなく。
一日が過ぎてあの弁護士とららに、してやられたと思った。
ハッタリをかまされた。しかし、俺が喫茶店に居ると言う居場所を掴まれたり『カスミ』なる美人局を準備していたことなど、こちらの動向を把握していたのは気になった。
「単にハッタリだけで、あそこまでやるか? それとも訴状は今日届くとかじゃないのか」
それとも──。
いい知れない不安が拭い去れない。
だから、俺はこうしてもう一日家で待機することにしたのだった。
仮にこのあと訴状が届いたら。すぐにららに、逆にこっちが迷惑を掛けられたことや、弁護士から水を掛けられたとか。
逆に訴えを起こしてやろうと思った。
出来ることなら、らら本人に直接訴えてやりたいところだったが居場所も連絡先も全く分からず。
ただ、待つだけと言うことが余計にイライラを加速させていた。
こんな時こそ、粧子を抱くと良い時間潰しになるのに。
「なのに、知り合いに占い師が出来たから今日のことを占って貰ってくる。とか呑気なもんだ」
その帰りにペットショップに寄って、格安の犬を買ってくると言う事だった。
もちろん、新たな贄にする為。
犬養の狗神は誰かを祟ることや、死を運ぶ事に適していない。言わば、受け身的な呪い。
相手からの行動が無い限り、対処のしようが無いと言うのが面倒だった。
「新たな|犬《贄》を仕入れたところで、すぐに贄に出来ないのも面倒くせぇ」
庭に埋めて、餓死寸前で首を刎ねると言う手間がある。
だから一応。
昨日、念の為に粧子に隠れてこっそりと。
久々に厄除けの札を作ってみた。
すっと、ポケットの奥に仕込んでいた一枚の札を取り出す。
千円札ぐらいの大きさの白い和紙。
朱色の文字で呪い言葉の上に、髪の毛がぴったりと糊で張り付いていた。
霊力が低く、ろくに修行していない俺が普通に作っても有事の際はなんの効力を得ないだろう。
しかしこの札も『贄』を捧げることで、それなりの厄除けは期待出来る。
札に張り付いた髪こそが──贄である。
何かあればこの髪の持ち主が俺の災厄を被る羽目になる。
その効果は俺の親近者であれば、あるほど強い効果が出る。
それを見つめながら思う。
「ふふっ……一応だ。念の為。ひょとしたら、ららが直に来て暴れるかも知れないしな」
今日が問題なく終わり。
粧子の知人による占いとやらも、内容に問題なく。
贄も追加して狗神の補強が終われば、この札は破棄したらいいだろう。
それまでは身に付けておこうと思い。またポケットに札を戻し。
今しばらく横になりながら、怠惰な時間を過ごそうと思うのだった。