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侍女が慌てて部屋を飛び出して間もなく、乱暴な声が響き廊下がドスンドスンと喧《かまびす》しく揺れた。ドカンと扉が悲鳴を上げ解き放たれると、食事の時間帯で有ったのであろう、腹を鳴らすに相応しい匂いが、食べ掛けのパンを握りしめた男と一緒に入って来た。
「おおぉ、やっと目が覚めたか⁉ 安心したぜぇ、ずっと昏睡状態だったからよぉ、俺ぁあんたに謝りたい事もあったしよぉ、意識が戻っただけでも良かった。大丈夫か⁉ 無理すんなよ? 」
パンを握りしめた包帯ぐるぐる巻きの大柄な男が、薄らと涙を浮かべ部屋に飛び込んで歓喜に沸く。ギアラは泣き疲れ、いつの間にか足元で寝息を立てている。
「ヴェインすまなかった。何とかお互い生き残れたみたいだな」
「おぉ! あんた、俺の名前覚えてくれてたのか? 嬉しいぜぇ」
嬉しさの余り目を見開いた顔は、今にも子供が泣き出しそうな悪人面で、風采《ふうさい》はあまり良いとは言えないが道義心の強い男である。
「あの~ 僕も肉に隠れてるけど此処にいるからね? 」
「肉だとぉ⁉ どこだ? どこに肉が落ちてやがる? 」
ひょこっとヴェインの後ろから大人しそうな男が顔を覗かせ囀《さえず》ると、ヴェインが辺りに肉を求めきょろきょろ見渡す……
「あぁ、カシューも無事で良かった。世話になったみたいで、すまなかった」
「僕の名前も憶えていてくれたんだね~ 嬉しいよ~ でも本当に良かった。医者の見立てでは何とも言えないって脅かされちゃってたからね」
グランドとカシューは小さな木製の椅子を引き摺り出し、ベッドの横に腰掛けた。カシューも肩から手の先まで包帯を巻き、動かさぬよう腕を吊り、頬にも若干の火傷が見て取れる。その傷から当時の凄惨な記憶が蘇りきつく胸を締め付けられた。
「どのくらい俺は此処で寝ていたんだ? 」
固定され、融通の利かない首を動かす事は無く、一番尋ねたい言葉を隠し、無機質な天井に瞳を逃がす。
「一か月…… 経ったかな、あれから…… 」
カシューは瞳を落とし、俯《うつむ》きながら唇を噛み答えてくれた。死線を越え再開し、お互い歓喜したが喜びも束の間、一気に現実へと引き戻された。
「あの爆発で何人犠牲に? 」
カシューとヴェインは顔を見合わせ、暫しの沈黙の後、その重たい口をヴェインが開いた。
「子供を含む、逃げ遅れた約半数の十五人が犠牲になっちまった…… しかも助かっても火傷がひでぇ奴が多くてな、そいつらもこの一か月のうちで四人ばっか…… 村はもう跡形もねぇぐらいに…… 」
「そうか…… すまない、偉そうに啖呵を切った癖に、俺は何も出来なかった…… 」
徒労感に苛《さいな》まれエマの面影が脳裏に浮かび、自分の未熟さ故《ゆえ》の愚かさを嘆いた。
「は⁉ 何言ってんだあんた。あんたが戦ってくれてなきゃ村人は助かってねぇし、俺達だって化け物に全員殺されてた所だ。そんな事、村の連中だってちゃんと分かってる。感謝こそすれ誰もあんたを責めたりしねぇ、若《も》しそんな奴が居たら俺が許さねぇ。それと…… その、すまなかった、全部あんたに背負わしちまって」
「いやいいんだヴェイン、全て俺の責――― 」
「そんな事ねぇ、あんた一人の責任なんかじゃあねぇ! 抱え込まねぇでくれ、頼む…… 不甲斐ないのは俺達だ、すまねぇ」
ヴェインは強く拳を握り身体を震わせ俯いた……
「もういいよ、もう止めて二人共。折角また再会出来たんだからね? 」
「あぁそうだな、カシューの言う通りだ。いけねぇな湿っぽくなっちまった」
「そうだな、またこうやって皆に会えたんだ、感謝しないとな。所でグランドはどうした? 勿論無事だったんだよな? 」
「あぁ、閃光が走る前に俺がぶん投げたからよぉ、無事ではあるんだが、実は、俺達が今此処で保護されているって事は、その…… 政治的意味合いも絡んでいやがるんだ」
「政治的意味合い? 」
俺は訝《いぶか》し気《げ》に眉根《まゆね》を細めるとヴェインが続けた。
「此処は今、神聖カルマ帝国と交戦中のデュルク人の領土。詳しくは、セルジュ王朝のスルタン《国王》。ウェルチ・アルスラーンの領地なんだ」
「アルスラーン? 」
「あぁ内政情緒が不安定な国でよぉ、各氏族《かくしぞく》が独立を宣言しやがって内戦間際ってぇ話だ。勿論、内部だけじゃあなく諸外国からも狙われてるっつうイスラールの国だ」
ムルニの農村はビザンビア帝国とイスラール国との軍事境界線付近に位置する村だ。十字軍がトルメキア半島攻略を掲げるのであれば補給地として候補に挙げるのは間違ってはいない。だが農村で在るが故に態々《わざわざ》貧しい農村を補給地に選択する部隊は皆無であった。但しその利便性の良さからイスラール側もこの農村の事は常時把握しており警戒はしていたようである。
「此処がムルニから一番近いイスラールの砦っつう事なんだ。砦にも閃光を伴い地響きと爆風が襲って来たらしぜ。哨兵《しょうへい》が東の空に立ち昇る恐ろしい形のきのこ雲にビビっちまってな、それで偵察部隊を編成して村の様子を見に行ったらしい。まぁ、そのお蔭で俺達が助けられたんだから感謝しなけりゃあな」
「失礼――― 」
ヴェインとの会話の最中、見慣れない服装をした者達が部屋へと入って来た。
「少し治療を施しますので、席を外して頂きたい」
長い口髭を蓄えた初老の老人がギロリと睨みヴェインとカシューを促す。
「あぁ悪りぃな先生。つい興奮しちまって、宜しく頼むぜ、じゃあまた後でな」
先生と呼ばれた初老の老人が溜息交じりに思いを吐いた。
「全く、目覚めたと聞いた時は自分を疑いましたよ。あなたは死んでなければ可笑しいのですよ? ご自分で理解出来て居ないようですからゆっくりと貴方の身体の現状を説明しましょう」
引き連れて来た数人の助手が包帯に鋏《はさみ》を入れ、焼け爛れ、水膨れになった肌を露出させると、見知らぬ薬液を散布する。
「これは気休めです、これで完治する事は無いでしょう。当然貴方の身体には呪痕《じゅこん》とも言える火傷の痕が残る事になる。本来であればね…… 」
初老の老人は丁寧に綿を使い膿を取り除いていく。
「しかし、貴方の身体は自らの治癒能力で失われた肌と、砕け散った全身の骨を再生してるのですよ、ゆっくりと傷跡すら残さずにね。それがどう言う事か分かりますか? 」
老人は手を止め俺の顔に瞳を近づけ囁いた。
「貴方…… 人間ですか? 」
その瞳には笑みが見られず、答えを誘《おび》き出すように凝視する。
―――――⁉
「おっ、俺はフィダーイ《アサシン》だ――― 」
「聞いてますよ。しかもムルニを救った英雄だってね」
「それも可笑しな話だ。フィダーイ《アサシン》とは我が国の精鋭部隊。滅多に成れる物じゃない。晴れて認められた者には刻印《入れ墨》が刻まれるんです。それがどうでしょうか、貴方の身体には何処にもその印が刻まれてもいない…… しかも貴方は外国人だ」
老人は両手を広げ半ば呆れた様子で包帯を手に取り続けた。
「百戦錬磨のフィダーイ《アサシン》と幾ら言ってもそこは人間です。訓練で賜《たまわ》る丈夫さにも限界があるのですよ? こんなに早く身体を治癒する能力は有りません。私はね、イタリノアのサレルノ医学校で、偉大なアルブカシス先生の最新の医術を学んできた医者です。誤魔化すにも無理がありますよ? 」
すると突然ドアが行儀悪くドカッと音を響かせ不機嫌そうな面構えでヴェインが入って来た。
「なぁ先生さんよぉ! 尋問はそこまでにしてくんねぇか? 俺達はまだ民間人だろ、なんの嫌疑で尋問されなきゃなんねぇんだ? あ⁉ 俺達ぁ軍人じゃねーんだぞ? 」
チッと老人が舌打ちし席を立つ……。
「貴方の血には秘密がありそうですが、それを調べるのは今の私の仕事ではない。今は貴方を治療するのが私の仕事ですからね。貴方の身体の秘密、私は口外するつもりはありませんが、同じように諦める気もありませんからね…… では、失礼。」
老人はヴェインに臆することも無く、堂々と顔を覗き込み出て行った。
「良かったなぁ、死んでたら間違いなくあの藪《やぶ》医者にバラバラにされてたぜ。全くヤベー奴に気に入られたもんだな、ガハハ。しかしあのヤロー生意気な医者だぜ全く。今度ケツ毛引っこ抜いてやる」
「冗談は止めてくれヴェイン、こっちは背筋が凍る思いだ」
「流石のあんたでも医者は怖ぇーってか? ガハハ」
「なぁ? イタリノアって知ってるか? 」
「なんだそりゃ? うめぇのか? 」
一時の心の安らぎは揣摩憶測により乱される。異国情緒に誘われて、人の熱意に絆される。軈て織女星と巡り合う数奇な運命にまだ気付かぬままに。