テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
388
128
#主人公目線
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
「やっと終わった……」
ため息とともに、私の口からはひとり言がもれた。
ここしばらくの間抱えていた面倒な仕事が、ようやく解決したのだ。女性職員たちの中でもっとも遅い退社になってしまったが、達成感のおかげで極めて軽やかな気分である。
上司に挨拶をして職場を出た私は、荷物を取りにロッカールームへと向かった。中に入ると、私より少し先に仕事を終えていた同僚の堀田小夜子がいた。同期入社の彼女とは気の置けない関係だ。
堀田はロッカーの内側に備え付けられた小さな鏡に向かって、丁寧に化粧直しをしていた。私に気づき、にっと笑う。
「お疲れ様。ねぇ、もし都合が良ければだけど、今日は金曜日だし、久しぶりに二人で飲みにでも行かない?」
「そうねぇ……」
少しだけ考えた。仕事も一段落ついたことだし、自分を慰労するという意味で、堀田の誘いに乗るのもいいかもしれない。彼女となら気楽だし、きっと楽しい時間になるはずだ。
「いいわよ。行きましょ。でも、どこにする?今日は金曜日だから、どこの店も混んでるわよね。私は居酒屋でも、なんならファミレスでも全然構わないけど」
堀田はロッカーの鍵を掛けながら答える。
「実は行ってみたい店があるのよ」
「どこ?」
彼女はスマホを操作し、とある店のSNSを私に見せた。
「日本酒のお店?」
「そう。日本全国の選りすぐりの日本酒が揃ってるんだって」
「へぇえ。ちょっと気になるわね」
「でしょ?料理も美味しいって書いてあるし、どう?」
「入れるなら行ってみたいけど……」
「早速電話して、席の予約ができるか聞いてみるわ」
言い終えるなり、堀田は電話をかけ始めた。通話を終えて、彼女はにっこり笑う。
「大丈夫だって。席、予約できたわよ」
こうして私たちはいそいそとロッカールームを後にして、エレベーターに乗り込んだ。
ビルを出てからは、目的の店を目指して繁華街方面に向かう。徒歩で三十分もかからずに店に着いた。堀田が名を告げてすぐに、予約のプレートが置かれた二人掛けの席に案内された。
席に着いて、改めて店内の様子を窺う。
店は大いに賑わっていた。日本酒の店というから、てっきり男性客、しかも比較的年齢層が高いのかと思っていたがそんなことはなく、むしろ女性客の方が多いようにも見える。カウンターの背面の棚にはずらりと日本酒の瓶が並んでいて、なかなか壮観な眺めだ。
「利き酒セットっていうのがあるわね。これだと料理は別なんだね。あ、晩酌セットとかいうのだと、お料理も何品か一緒に食べられるのか。どうしようかな……」
しばらく堀田は悩ましい顔でメニューを眺めていたが、ようやくどれにするか決めたようだ。メニューの中の一点を指差す。
「私、これにする」
「晩酌セット?なるほど、お酒はこの一覧の中から選ぶわけね。うん、私もこれにする。お腹もすいてるし」
「よし。じゃあ、これにしようか。足りなければ、また別に色々頼めばいいしね」
堀田は店員に声をかけて注文を伝えた。
少し待った後に、お酒と料理が運ばれてくる。
私たちは忙しかった最近の自分たちを労い合いながら、グラスに口をつけ、料理に箸をつけた。
「美味しいお酒と美味しい料理。幸せったらないわねぇ」
堀田はしみじみと言いながら、グラスを傾けている。
私自身もそれなりにお酒はたしなむが、彼女の場合はもう酒豪の域に達している。私の二倍、いや三倍近いペースで冷酒のグラスを傾けているくせに、顔色も口調も、普段の様子とほとんど変わらない。多少いつもより饒舌になっている程度だ。
ちなみに私は途中からウーロン茶を飲み始めている。
お酒と料理を美味しく味わい満足した後は、デザートは別腹とばかりに、二人してほうじ茶アイスを頼み、最後を締めくくった。
「そろそろ帰ろうか」
促す堀田に頷いて、私はほろ酔い加減のいい気分で席を立った。
清算するためにレジへと向かい、店員が金額を提示するのを待つ。
そこに、男性四人のグループがやって来た。その恰好から、仕事帰りのサラリーマンたちのように見えた。彼らもこれから会計を済ませて帰るところのようだ。
「こちらの金額になります」
よそ見をしていた私は店員の声でレジに向き直り、表示された金額を確かめた。堀田と申し合わせてあった通り、ひとまず私がまとめて支払う。レシートを受け取ってから、少し先で待っていた堀田の元へ向かった。
その時、例のサラリーマングループの中の一人に、肩がぶつかってしまう。彼の後ろ姿に私は慌てて謝った。
「すみませんっ」
「いえいえ、大丈夫ですよ」
振り向きざまに言った彼だったが、私を見た途端に驚いた顔をした。
そして私もまた、驚いて息を飲んだ。彼のことはかろうじてまだ記憶に引っ掛かっていた。だから、目の前の男性が誰であるかを思い出すのに、たいして時間はかからなかった。彼の名前がぽろっと口をついて出る。
「塚本さん……」
「お!ちゃんと覚えていてくれたんだね」
彼は嬉しそうに輝くような笑顔を見せた。
「奇遇だね。まさかこんな所で会えるなんて。俺たちって縁があるのかな」
明らかに酔っていると分かる顔で、彼は陽気に調子のいいことを言う。
私は苦笑する。
「ただの偶然だと思います。それでは私はこれで」
ぺこりと頭を下げて、私は背を向けた。
塚本の声が引き留める。
「ちょっと待ってよ。ね、この後時間あるなら一緒にどう?お友達も一緒でいいから」
「すみませんが、時間はありませんので」
私は肩越しに告げて、堀田の元へと急いだ。
「誘われてたみたいだけど、いいの?」
堀田は塚本の方を気にしている。
「いいのよ。別に知り合いじゃないんだから」
私は堀田の問いを軽く流して、店の出入り口に向かって足を速める。彼に追いつかれないように、早く外に出なくてはと気が急いた。