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花開院家の本家、重厚な木造の会議室。
床の間に掛けられた古い巻物と、天井に響く蝋燭のはぜる音だけが空気を支配していた。
「……樹を竜二から遠ざける必要がある」
最長老の低い声に、空気がぴしりと張り詰めた。
「竜二に依存しすぎている。陰陽師としての自立を促すには……切り離さねばならん」
「加えて、“妖怪は悪”であることを叩き込むのだ」
「ぬらりひょんが棲む浮世絵町が最適だろう。悪名高い妖怪の巣窟だ」
座敷の隅で黙っていた樹は、ぎゅっと拳を握りしめた。
胸の奥が焼けるように痛い。
竜兄から……離れろって?
「同行は花開院ゆらとする」
「修行の一環だ。二人で浮世絵町へ向かえ」
隣に座っていた妹――ゆらが、きゅっと背筋を伸ばした。
彼女はまだ中学生。けれど、陰陽師としての誇りは本家に恥じぬほど強い。
「……承知しました」
ゆらは静かに答える。その声音には迷いがなかった。
一方、樹の唇は震えていた。
竜兄の隣にいたい。ただ、それだけなのに。
なのに――。
「俺は……竜兄と一緒じゃないなら、学校も、意味ない」
思わずこぼれた小さな反抗に、重役たちは冷たい視線を投げた。
「わがままを言うな。お前は陰陽師だ。家の命令に従え」
「妖怪に甘さを見せる樹には、なおさら必要な修行だ」
樹は答えなかった。ただ、俯いたまま奥歯を噛みしめる。
頭の中では竜二の顔ばかり浮かんでいた。
――竜兄……。俺、どうすればいいんだ。
浮世絵町。
夜になると、どこからともなく妖気が漂い、通りの影が濃くなる不思議な街。
樹とゆらが住むことになったのは、花開院家が用意した古い町家だった。
木の戸を開けると、畳の匂いと薄暗さが押し寄せてくる。
「ここが……これからの住まい、なんやね」
ゆらが荷物を抱えたまま、きょろきょろと部屋を見回す。
中学生の少女らしい顔には、不安よりも決意が浮かんでいた。
一方で樹は、縁側に立ったまま街の方角を眺めていた。
遠くから聞こえるざわめき、夜風に混じる妖気。
どこか懐かしいような、けれど胸をざわつかせる気配。
「樹兄、部屋見んと……」
「……俺はいい」
「え?」
「どうせ学校も行かへんし、寝る場所だけあれば十分だ」
ゆらは困ったように眉をひそめた。
兄のその言葉の裏に、竜二への執着があることを知っていたから。
「……竜兄がおらんから、なんでも投げ出すんはあかん」
「別に投げ出してない。ただ……竜兄がいない場所に、意味なんてない」
言い切る樹の横顔は、どこか幼さを残している。
けれどその眼差しは、頑なに閉ざされていた。
その夜、ゆらは翌日の転校に備えて机に向かい、
樹は縁側で膝を抱えながら街を見下ろしていた。
道を走る猫、軒先に浮かぶ提灯の灯り。
人間に紛れて歩く影のようなものが視界の端を掠める。
――ここには、確かに妖怪がいる。
竜兄がいれば、どうしただろうか。
追い払うのか、斬るのか……それとも、助けるのか。
樹は小さく息を吐いた。
胸の奥で答えは決まっている。
自分は、また妖怪を助けてしまうだろう。
そのとき、背後からゆらの声が響いた。
「……樹兄、うちらがここに来たんは、修行のためや。忘れんといてな」
樹は振り返らずに、夜風を受けたまま小さく呟いた。
「修行よりも……俺は、竜兄の隣に帰りたい」