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雫石しま
ある日、何気なくパソコンを開くと、アメリカのYouTubeからメールフォームが届いていた。初めはフィッシング詐欺かと思い、拓也さんにも相談し、色々調べたところ、間違いはない。
「名前?住所?なんでしょう……これは……」
「里奈、YouTuberだったのか?」
「河内村に移住する前から、ちょこちょこっと……」
YouTubeのチャンネル登録者数が10万人達成のクリエイターに贈られる公式の記念品の申請だと書いてあった。チャンネルを開くといつの間にか、登録者数が10万2,000人を超えていた。チャンネル名は「社畜OLが田舎暮らしで勝ち組になりました」。
同時進行で、インスタグラムやXにも投稿していた。東京のカフェの画像は藁葺き屋根の縁側に、深夜残業のエナジードリンクと眼下に広がる夜景は温かな味噌汁と満月の白山。癒しを求めたユーザーが知らぬ間に登録していたらしい。
拓也さんが私の隣で画面を覗き込んで、ゆっくり息を吐く。「……すごいな、これ」声が少し低くて、驚きと感心が混じってる。私はパソコンの前で固まって、キーボードに指を置いたまま動けない。
「私、こんなに伸びてたなんて……気づかなかった」
投稿はほとんど日常のスナップだった。社畜時代の終電車窓から見えるネオンを「これが最後の夜景かも」とキャプションつけてアップした日。退職届燃やした火鉢の灰をぼんやり撮って「新しい始まり」とだけ書いて投稿した日。白山市河内村に来てからの写真は、どんどん増えてた。縁側でコーヒー淹れてる朝、白山をバックに干し柿吊るしてる私、山下じいさんがくれた里芋の煮っころがしを「今日のご飯」とだけタグつけて。
コメント欄はいつも優しかった。
「この生活、憧れる」「社畜の私に希望をくれた」「RINAさん、ありがとう」
癒しを求めてた人たちが、知らないうちに私の日常を支えてくれてたんだ。10万人達成の記念品申請フォームに、震える指で名前と住所を入力する。YouTubeのシルバークリエイターアワードが、届くらしい。
拓也さんが私の肩に軽く手を置く。
「里奈、これ……おめでとう」
声が柔らかくて、胸がぎゅっと締まる。
「ありがとう……でも、なんか実感ないです。まだ夢みたいで」
「実感湧くよ。届いたら、クリニックでみんなに自慢しようぜ」
拓也さんが笑う。いつもの少し冷たい笑顔じゃなくて、温かくて、少し照れたみたいな。私はパソコンを閉じて、縁側に出る。秋の風が涼しくて、満月が白山の上に浮かんでる。1ヶ月前は、こんな未来想像もしてなかった。社畜の抜け殻を燃やして、逃げてきた先で、YouTubeの登録者が10万人になって、拓也さんに「すごいな」って言われて、村の人たちに「里奈ちゃん」って呼ばれて、恋のドキドキまで感じてる。メモ帳を開いて、新しいページに書く。
「10万人達成記念品到着待機」
そして、小さく「拓也さんと一緒に開封したい」と追記して、慌てて消す。でも、心の中では消えない。私はもう、社畜じゃない。田舎暮らしで、勝ち組になった。本当に、勝ち組になったんだ。最高じゃん。楽しいんですけど、もう言葉にならないくらい。
◇◇◇
国際便の小包が届いた。玄関の引き戸を開けた瞬間、山下じいさんが軽トラの荷台から大きな段ボールを下ろして、ニコニコしながら手を振ってる。
「里奈ちゃん、これお前のとこだぞ! アメリカから来てたわ」
私は慌てて駆け寄って、段ボールを抱きかかえる。軽いけど……重い。銀の盾が入ってるってわかってるのに、心臓がバクバク鳴ってる。
「じいさん、ありがとうございます! これ……YouTubeの記念品なんです」
「ほぉ、YouTuberさんだったのかい。村の噂になってたけど、ほんとにすごいなあ」
じいさんが麦わら帽を直しながら笑う。私は段ボールを縁側に運んで、カッターでテープを切る。中から出てきたのは、鏡面仕上げのシルバークリエイターアワード。YouTubeのロゴがキラキラ光ってて、裏に「10万登録者達成 おめでとう 伊藤里奈」と刻印されてる。
「……本物だ」
指で触ったら冷たくて、でも胸が熱くなる。
火鉢で退職届を燃やした日から、1ヶ月ちょっと。あの灰の匂いがまだ残ってる気がしたのに、今はこんなキラキラしたものが手の中にある。スマホでチャンネルを開くと、コメントがさらに増えてる。
「RINAさんの日常見て、転職決意しました」「田舎暮らし憧れる~癒される」「干し柿作り動画待ってます!」
みんな、私の小さな変化を応援してくれてたんだ。縁側に座って、プレイボタンを膝の上に置く。秋の陽が優しく当たって、銀色が虹色に反射する。その時、坂道から足音が聞こえてきた。
拓也さんが、白衣じゃなくてカーキのジャケットを羽織って、ゆっくり上がってくる。
「届いたって聞いたから、見に来た」
「拓也さん……!」
私は思わず「先生」ではなく、「拓也さん」と呼んでいた。立ち上がって、銀の盾を差し出す。
「見て、これ……本物です」
拓也さんがしゃがみ込んで、銀の盾を手に取る。
「すごいな。里奈、よくやった」
声が少し低くて、目が細くなる。いつもの冷たい笑顔じゃなくて、柔らかくて、ちょっと誇らしげ。私は胸が詰まって、言葉が出ない。
「これ、みんなに見せたいんです。クリニックで、患者さんたちに」
「いいよ。明日の朝礼で自慢しようぜ」
拓也さんが銀の盾を私に返して、隣に座る。肩が少し触れて、ドキンって鳴る。
「里奈、俺も……嬉しいよ。あの時、クリニック手伝ってくれって言ったけど、こんなに早く、こんなに大きなこと成し遂げてくれて」
「拓也さんのおかげです。クリニックで『ありがとう』って言われる毎日が、動画のネタにもなって……」
「バカ。里奈の頑張りだよ」
拓也さんが私の頭を軽く撫でる。初めての感触に、顔が熱くなって、クッションを抱きしめたくなる衝動を抑える。
「干し柿作り、明日だっけ?」
「うん。朝9時、拓也さんの家で」
「じゃあ、その盾、持ってきて。みんなに見せながら、柿剥きながら話そう」
「はい……!」
夕陽が白山を赤く染めて、縁側に長い影を落とす。銀の盾がキラキラ光って、まるで新しい人生の証みたい。社畜の私は、もういない。代わりに、YouTuberのRINAがいて、村のクリニックで働く里奈ちゃんがいて、拓也さんの隣でドキドキしてる私がいる。
最高じゃん。本当に、楽しいんですけど、もう涙が出そうなくらい。
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