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雫石しま
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朝9時。
拓也さんの家の庭先は、すでに柿の実の甘い匂いが漂っていた。軒下に吊るすための竹竿が立てかけられ、大きな籠に山積みの柿が赤く輝いている。山下じいさんが麦わら帽をかぶって、すでに皮剥き用の包丁を研いでいる。
「おーい、里奈ちゃん! 遅刻せんように来たかい!」
じいさんの明るい声に、私は銀の盾を抱えたまま坂を駆け上がった。
「すみません、ちょっと遅れて……! 盾、持ってきました!」
拓也さんが玄関から顔を出して、軽く手を振る。今日は白衣じゃなくて、チェックのシャツに袖を捲ったラフな格好。腕の筋が少し見えて、ドキッとする。
「おはよう、里奈。盾、持ってきてくれたんだ。みんなに見せたら、びっくりするぞ」
「ほぉ、これがYouTubeのやつか! 銀色がまぶしいのう」
じいさんや近所のおばちゃんたちが盾を手に取って、キラキラ反射する表面を眺めながら感心する。
「里奈ちゃん、すごいなあ。村の誇りじゃ」
「そんな……まだ始まったばかりです」
私は照れながら盾を置いて、籠の柿に手を伸ばす。実がずっしり重くて、皮が薄くて柔らかい。完熟した柿は、ほんのり甘い匂いがする。
「じゃあ、始めようか」拓也さんが包丁を渡してくれる。
「皮は薄く剥くんだ。厚くなると干してる間にカビやすいからな」
じいさんが実演するように、1つ剥き始める。
「昔はこうやってな、紐に通して、軒下に吊るしてたもんじゃ。3週間くらいで干し柿になるんよ」
私は隣で真似して剥き始める。包丁の刃が柿の皮を滑る感触が、なんだか新鮮。指先が柿の汁でべたべたになるけど、それが楽しい。拓也さんが私の隣に座って、同じく剥き始める。肩が少し触れて、心臓がドクンとする。
「里奈、手つき上手いな。初めてとは思えない」
「え、そうですか? 拓也さんの方が上手いです……」
「いや、俺はじいちゃんに小さい頃からやらされてるからな」
じいさんが笑いながら割り込む。
「拓也は昔、皮剥き下手でな。いつも指切って泣いてたもんじゃ」
「じいちゃん! 昔話はやめてくれ」
拓也さんが少し赤くなって、じいさんを睨む。その顔が可愛くて、私は思わず吹き出してしまう。
「里奈、笑うなよ」
「ごめんなさい……でも、想像したら可愛いです」
拓也さんが照れくさそうに目を逸らす。その隙に、じいさんがニヤニヤしながら続ける。
「里奈ちゃん、拓也は昔から照れ屋でな。好きな子がおったら、絶対に素直に言えんタイプじゃ」
「じいちゃん!!」
拓也さんの声が上ずって、私はますます笑ってしまう。でも、心の中では「好きな子……?」って言葉がぐるぐる回ってる。
柿の皮剥きが終わって、次は紐に通す作業。太い針で柿のヘタのところを刺して、紐に通していく。拓也さんが私の隣で、同じように刺してる。指先が時々触れて、ドキドキが止まらない。
「里奈、こっちの紐、持ってて」
拓也さんが紐を渡してくる。指が絡まって、二人で一緒にほどく。顔が近くなって、拓也さんの息が少し感じられる距離。
「ごめん……なさい」
「いや、こっちこそ」
目が合って、二人とも少し固まる。じいさんが遠くで「昔はなあ……」って独り言みたいに昔話を始めてるけど、聞こえてない。
「里奈」
拓也さんが小さな声で呼ぶ。
「ん……?」
「この干し柿、完成したら……一緒に食べるか?」
「え……?」
「二人で。じいちゃん抜きで」
心臓が跳ね上がる。「はい……ぜひ」声が震えたけど、笑顔で頷く。拓也さんが、ほんの少しだけ口角を上げる。いつもの冷たい笑顔じゃなくて、柔らかくて、優しい笑顔。干し柿は、軒下にずらりと吊るされた。赤い実が風に揺れて、陽の光を浴びて輝く。3週間後には、甘くてしっとりした干し柿になる。
その頃には、私の気持ちも、もう少し素直に言えるようになってるかな。銀の盾を縁側に置いて、白山を見上げる。秋の陽が優しくて、胸がいっぱいになる。「最高じゃん……本当に、楽しいんですけど」干し柿作りは、まだ始まったばかり。これから、もっと甘くて、温かい時間が待ってる気がする。
◇◇◇
「ぎゃーっ!」
掃除をしていた私は悲鳴をあげた。秋の陽だまりの中、あいつらが触覚をピクピク動かして、今にも羽を広げて飛びそう。触ったり潰したりすると――悪臭を放つカメムシ。
・カメムシの基本情報分類:カメムシ目(半翅目)カメムシ亜目(異翅亜目)の昆虫
・日本にいる種の数:約1,300〜1,500種以上
・名前の由来:体が亀の甲羅みたいだから「カメムシ」
・別名:ヘッピリムシ、ヘコキムシ、クサムシ、クサンボなど(地域でいろいろ)
密閉空間だと自分の臭いでショック死するほどの脅威的存在。そのカメムシが日向ぼっこをしているのか、縁側にうじゃうじゃ這い回っている。
「……どうしよう」
そう焦りつつも、YouTuberの悲しい性か、スマホで撮ってデバイスに保存する。すると1匹のカメムシが羽を広げ、私のジーンズに止まった。声にならない悲鳴が上がる。私はLINEで拓也さんに助けを求めた。
助けて! 既読
どうしたの
カメムシに襲われてます! 既読
するとクマが大笑いするスタンプが返ってきた。見捨てられたのかと恐怖に慄いていると、自転車に乗り、白馬の騎士こと、拓也さんが現れた。手には剣ではなくガムテープ。
「たっ!助けてください!」
すると拓也さんはガムテープでカメムシの背中をくっつけると、中のカメムシを潰さないように包んだ。それはカメムシの餃子。「こうやって捕獲すると悪臭を放つことはないよ」爽やかに微笑むが、私の顔は緊張で固まっていた。縁側に散らばったカメムシの群れが、まだピクピク動いてる。触覚が揺れて、いつ飛び立ってもおかしくない。私は後ずさりしながら、拓也さんの袖をぎゅっと掴む。
「拓也さん……これ、全部捕まえられるんですか?」
「まあ、半分くらいはな。残りは逃げちゃうけど、縁側から追い出せばいい」
拓也さんがガムテープのロールを回しながら、1匹ずつ丁寧に包んでいく。餃子みたいにぷっくりした包みが、次々と縁側に並ぶ。悪臭ゼロ。ほんとに匂わない。
「すごい……これ、プロの技?」
「子供の頃からやってるよ。村じゃ秋になるとカメムシが大量発生するから、じいちゃんに教わった」
拓也さんが最後の1匹を包んで、ビニール袋にまとめて入れる。
「これで終わり。外のゴミ捨て場に持ってくから、里奈はここで待ってて」
「一緒に……行きます」
私はまだ震えが止まらなくて、拓也さんの後ろについて坂を下りる。ビニール袋がカサカサ鳴るたび、背筋がぞわっとする。ゴミ捨て場で袋を置いて、拓也さんが手を払う。
「これで大丈夫。次からは、縁側にカメムシ見つけたらすぐ言ってくれ。俺が来るよ」
「……ありがとうございます。ほんとに助かりました」
私はポケットからカンロ飴を出して、拓也さんに1つ差し出す。
「これ、お礼です」
拓也さんが受け取って、包みを開けて口に放り込む。
「甘いな。里奈の味だ」
「え……?」
顔が一気に熱くなる。拓也さんがくすっと笑って、ポニーテールの私の髪を軽く指で払う。
「カメムシに怯えてる顔も可愛いけど、笑ってる方がもっと可愛いよ」
「拓也さん……!」
心臓がドクドク鳴って、言葉が出てこない。秋の陽が優しく縁側を照らして、干し柿の紐が風に揺れる。
カメムシの餃子事件は、動画に撮ってた。チャンネルにアップしたら、コメントが爆発した。
「カメムシ餃子天才www」「先生カッコよすぎ」「RINAちゃんの悲鳴可愛い」「この2人、絶対いい感じでしょ」
視聴者さんたちまで気づいてる。私はスマホを閉じて、拓也さんを見る。
「次は……干し柿作りですよね」
「うん。明後日、俺の家で。カメムシがいないように、事前に掃除しとくよ」
「楽しみです」
声が少し震えるけど、嬉しい震え。社畜の私は、こんな風に誰かに助けられて、誰かを好きになって、毎日を笑って過ごすなんて想像もしてなかった。でも今は違う。カメムシの餃子さえ、笑い話になる。
最高じゃん。本当に、楽しいんですけど、もう胸がいっぱいすぎて。