「エトワール様、無事ですか!」
「けほっ……かはっ、ごほ、げほ……ルーメンさん」
「よかった……」
重たい瞼を開ければ、そこには、心配そうなルーメンさんの顔があった。どうやら、水から引き上げてくれたらしい。私の横には、生臭い下水が流れている。
「えっと……ここは」
「地下道ですね。まだ、脱出できていない……かな」
と、ルーメンさんは横を見ていった。
どうやら私達はあのネズミの中から吐き出され、下水に落ちたらしい。それで、少し流されて今に至ると。ルーメンさんは水の中で気を失ってしまった私を引き上げてくれたらしい。あまり想像したくないけれど、人工呼吸とかされた? とか、助けてくれたのに、いやあ、なんて思ったら申し訳ないな、とちらりと彼を見た。ルーメンさんは、ん? と首を傾げて私を見ている。
「ええっと、人工呼吸とかは……」
「し、してませんので、お気になさらず」
「すっごい動揺するじゃん。え、え、何、したの?したならしたっていってよ。怒らないから」
「してませんって。いや、エトワール様からそんな言葉が飛び出して吃驚しただけなので、ほんと」
と、ルーメンさんは訂正する。あまりに慌てふためいていうので、信憑性が薄れてしまうのは、全部ルーメンさんが悪い。とまあ、あんまり人呼吸をされたという感覚もないし、彼の言葉を信じてみようと思った。ここで問い詰めても、命の恩人に、命がかかっているときに人工呼吸が何とかとか言うのも申し訳ない。
(――って、普通は、助けるためにするんだから、私がおきなったらしたんだろうな……)
じゃないと、私を見殺しにしたと言うことになるし。それこそ、リースは怒るだろう。
ルーメンさんは、ブツブツとリースに……と繰り返していたから、本気で私が目覚めるのを待っていたらしい。それにしても、水に落ちて気を失っていたのに人工呼吸もなしに起き上がることが出来たのは奇跡に等しいのではないかとも思った。聖女がそう言う身体なんだとかいわれたらそれまでの話なんだけど。
考えるだけ無駄だと、まだ重い身体を起こしつつ、私は辺りを見渡した。あのネズミの魔物が近くにいる様子もない。結構な距離を流されてしまったのかも知れない。
「出口から遠のいちゃったかな……」
「いえ、出口はもう少しいけばあると思います」
「なんで分かるんですか!?」
ルーメンさんはケロッとした顔をしていた。それがさも普通というように。ルーメンさんは困惑する私に、土壁に手をついて、ここ、と指を指した。そこには目印のような矢印のような、数字のようなよく分からないものが刻まれていた。
「これが、現在の居場所を示してくれているものです。元々それを頼りに進んでいたので……で、この目印から考えると、出口はもう少しだと」
それを早くいって欲しかった、と私は彼の説明を聞きながら思った。言われたところで分からないかも知れないと言われたらそれまでの話なのだが。
そう思うと、さすが、皇宮、皇太子の補佐官といったところだろう。彼自身が頭にたたき込んだのか、それとも記憶としてそれが頭の中にあったかは別として。彼は、抜けている所があるように見えるが、しっかりと補佐官なのだろう。
「ルーメンさんって凄いんだね」
「俺が?何処が凄いんですか。俺なんて、彼奴のパシリ……じゃなくて、ただの補佐官だし」
「それが凄いんじゃないかなって言ってるの。だって、リースの補佐官とか、リースの右腕とか、相当な人じゃないとつとまらないわけだし」
ただの親友、と彼は言うかも知れないけれど、リースにとってはそれが大切で、ルーメンさんの能力を知って補佐官として横に置いているのだろう。転生して境遇が同じだから、という理由だけではないだろうし、リースも転生したと実感してから、この世界についてより知っている人、使える人を起用すると思うし。親友だから、なんてのは絶対ないと思う。リースだってバカじゃないし。
私は、わりと本気で誉めたつもりだったのだが、ルーメンさんはイマイチぴんときていないようだった。
(私からしたら本当に凄いんだけどな……)
ルーメンさんは記憶力がいいのかも知れない。言動が抜けているのはあれとしても。彼なりに努力をした結果、今の彼なのだろうと。
「それで、もう少し……何だよね。あの、ネズミはどうなったんだろう」
「吐き出されてから記憶を辿るに、あのネズミは、俺達を吐き出した後自然消滅というか、灰みたいに黒いものをまき散らかして消えたと、思う、けど」
「ネズミが消えた?」
ということは、核を潰すことに成功したということなのだろうか。
だったら何故、あのネズミを倒した時点で脱出できなかったのか。色んな疑問は残る。でも、倒せたとするのなら、もう問題は何もないだろう。後は、脱出するだけでいいと。
「じゃあ、問題ないかも」
「障がいがなくなれば、出ることが出来ますしね。でも……」
「でも?」
「魔法石が使えなくて、転移できないとして、ここから出て、エトワール様は何処に行くんですか?」
と、ルーメンさんは心配そうに私を見つめた。彼の瞳が揺れるたびに、自分はやることがあるから、ずっとついて行くことは出来ない、的なものを感じて私はそっか、と一人納得する。
ルーメンさんはリースの補佐官だし、私の護衛ではない。そもそも、今私には聖女という肩書きすらないから、護衛なんてものが存在しない。自分の身は自分で守らなければいけないと。
アルベドと合流できればいいけれど、彼が私の魔力を察知して、合流できるかも分からない。そもそも、皇宮にはもの凄い結界が張ってあるのなら、その結界の外に出なければ、闇魔法の彼がむかえに来てくれることはまずないだろう。私だって、ここから脱出しなければならないけれど、見つかってもダメだし。
この地下道を抜けられたとして、どうするか。地下道の先がどうなっているかすら分からないのに、脱出できたらいい、は少し見通しが甘すぎる。
彼の指摘はもっともだ。
「分からない。でも、皇宮から離れなきゃいけないって言うのは分かってる。じゃないと、逃がしてくれた人達に申し訳ないし……それに」
「皇帝陛下は、まだエトワール様を狙っているかも知れませんしね。あのクソ根性の曲がった皇帝のことですから、追い出しただけでは終わらないかも」
「で、でも、そういう盟約とか、何か、約束事とか飼わしていないし、勝手に私が去った後に、見つけ次第殺すってのは、さすがに」
皇帝が絶対とは言え、それで民は納得するのか。いや、納得するかも知れない。私を悪人に仕立て上げたい人達だとするのなら。
グッと、拳を握って、私は考えないようにした。取り敢えず脱出してから考えると。
私が嫌われているのは今に始まったことじゃないから。
「取り敢えず、脱出してから考えるから、ルーメンさんはそこまで考えなくていいよ」
「ですが、俺は」
「リースのこと気にしているなら、それは間違いだと思う。私も私で考えられるし、それをリースなら理解してくれると思うから。ルーメンさんが背負うことない。リースだって、それを背負わせようとしているわけじゃないと思うから」
「……」
「脱出できたら後は私が自分で考える。護衛とか大丈夫だから。ルーメンさんだって忙しいでしょ?ほら、結婚式とか……ね」
私はそこまで言って、三日後に、リースとトワイライトの結婚式があるという現実に打ちのめされた。嫌なわけじゃないけれど、結婚してしまえば、もう私がリースと結ばれる事はないんだろうなって思ってしまって。トワイライトが憎いかも、リースが何で駆け落ちしてくれないとかも、そういう文句はないけれど。私自身の幸せを手放して、彼らを祝うことが私には出来るのだろうか。私はそこまで出来た人間じゃないから。
喜ばしくないといえば嘘になるし、かといって、羨ましいかといわれれば羨ましいって思ってしまうし、複雑だ。
(でも、リースと結ばれるのがトワイライトでよかったって思ってるし、トワイライトの相手がリースなら……)
夫婦としてじゃなくても、ラスター帝国の未来が輝かしいものなら、それはそれでいいのかも知れない。私がそれを受け入れて、悲しみに暮れなければ、エトワール・ヴィアラッテアの思惑からも外れるし。
私がそれだけで嫉妬にくるって暴れ回るとでも思っているのだろうか。そうだとしたら見当違い、私のことを理解していないということになる。
(まあ、もうそれはどうでもいいけれど……)
「ルーメンさんいこう。アンタも、やらなきゃいけない事があるだろうし、私にずっと付合ってられないと思うから。それに!私といたら、また危険な目に遭ってしまうかも知れないし」
私は、空元気だと思っていても、自分に活を入れて笑って魅せた。辛いといえば、辛くなってしまうから。言葉には出さないし、マイナスの感情を抱かないようにする。だって、それが彼女に勝つための一つの方法だと思っているから。
ルーメンさんは、浮かない顔をしていたが、割り切ったように、分かりました、とか細く笑った。
「さすが、彼奴が好きになる女性だなって思い知らされたわ」
「え、リースって、女性に好みとかあったの?」
「うへえ、鈍感。まあ、いきましょうエトワール様。あと少しですけど、疲れているでしょうから、ゆっくり」
差し出された手を私は取って握り返す。身体はまだ水に濡れて重かったが、心なしか、心は軽いような気がした。私はまだ大丈夫、そう言い聞かせて前を向く。
(アンタにはまけない。エトワール・ヴィアラッテア……)
自分と同じ顔、でも不敵に笑う悪役の顔を思い浮かべ私は踏み出した。