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「お迎えダーリン、戸惑いハニー」番外編です。
目黒くんとご飯を食べ終えて、それぞれの家へ帰る。目黒くんが乗ったタクシーが見えなくなるまで、ずっとその場から動けずにいた。
俺は、空に登る丸い月を眺めて、幸せと寂しさが交互に押し寄せる心をどうにかなだめていた。
帰らなくちゃ。
目黒くんと初めて会ってから今日までのことを、思い出しながら、家まで続く見慣れた道をゆっくり歩いていった。
物心ついた時から、俺はずっと薄暗くてモヤがかかった世界の中にいるような、そんな感覚を抱きながら生きてきた気がする。
ずっと前、いつだったか子供の頃にふと、そんなことを思うようになった。
そばには誰もいない。たった一人で、鬱蒼とした森の中を彷徨い続けているような感じがする、そんなふうに考えていた記憶が今でもうっすらと残っている。
その意識は、大人になってからも消えることがなかった。
俺はきっと、ずっとこの深い森の中を歩き続けていくんだろう。この世界の中で、いつか誰かが俺の手を取ってくれる日はくるのかな、その手を繋ぎたいと思う日がくるのかな、とそんなことを漠然と思っていた。
でも、これは決して悲観的な考え方じゃない。
この森は、なかなかに面白いのだ。厳しさと美しさと、いろんなもので溢れている。
たまに、素敵な人に出会うことがある。
美味しい料理を気ままに作っては、楽しそうに振る舞ってくれる人。
木陰から突然現れて、この世界についてのあれこれについて愚痴をこぼしながらも、楽しそうに次の冒険に思いを馳せて、また旅立っていく人。
この森の中で俺が知っている人は、この二人だけだったけれど、それでも、たまに会って言葉を交わすだけでとても楽しいのだ。
ある日、心安らぐ自分の住処を飛び出して、少し探検してみようという気になった。
いつもは通らないところ、石や岩がゴロゴロと転がる獣道、草木が生い茂る中を掻き分けて、拓けた場所に出たとき、小川を眺める君に出逢った。それが目黒くんだった。
今思い返してみても、それは不思議な出逢いだった。
心細く一人で足を進めていった先で、君を見つけたことに、とても安心したことを今でも覚えている。
君となんでもない話をたくさんした。
それからまた少し経ったある日の夜、今度は、俺がよく行く池の辺りで君が俺を見つけてくれた。
「迎えに来たよ」
「一緒にいたい」
そう言って、君が俺の手を取ってくれた。
それから、君はたまにこの池まで俺を訪ねてくるようになった。
夜になると、どこか怯えたような目をする君が、いつも心配だった。
もう怖がることなんて、何もないよ。
今だけは、俺がそばにいるから。
見守らせてほしい。
君と出逢ってから、俺の薄暗かった世界に暖かい光が差し込むようになった。
太陽のような君に焦がれていく。
目黒くんがくれる光に包まれていたい。この森の中で、俺も君と一緒にいたいと思った。
俺と君、二人だけの空間で、一緒に生きようと、月に誓い合った。
二人の心が溶け合ったとき、今まで感じたことがないくらいの温かさが俺の中に広がっていった。
目黒くんに触れて、優しいもの、温かいものってどういうものなのかを初めて知った。
目黒くんと別れて、帰路に着く。
急に引き返したくなって、歩いてきた道を振り返る。
どこかに目黒くんの影がないかと探してしまう。そんなバカみたいなことをしてしまう。
名残惜しくて、会いたい気持ちに際限なんて無くて、叶うなら今日という時間をもう一度過ごさせてほしかった。
もう、自分の気持ちに迷ったりなんてしないから。
時間が経つほど、目黒くんの存在が俺の中で大きくなっていく。
やっぱり君がいい。
やっぱり俺と君と、ふたりがいい。
俺が迷うたび、戸惑うたび、もしかしたら目黒くんも不安を感じていたのかもしれない。
ごめんね、怖がりで。
俺を見つけてくれたのも、俺を選んでくれたのも、俺を照らしてくれたのも、全部目黒くんが初めてなんだ。すごく嬉しい反面、俺なんかでいいのかなぁと、何度も何度も悩んでしまっていた。
ずっと待っていてくれて、本当にありがとう。
でも、もうそんな気持ちになんてさせないから。
だから、ずっとそばにいてほしい。
やっぱり君にいてほしい。
俺の心を目黒くんが解いてくれるたびに、素直な俺が現れる。
恥ずかしくても、目黒くんには自分の気持ちを隠すことができなくて、心に浮かんだ言葉がポロポロとこぼれ落ちていく。
自分でも不思議に思うくらい、目黒くんへの愛おしさがこみ上げていく。
目黒くんと目が合う、それだけで、言葉なんて必要ないんじゃないかって、そんな風にも思う。
俺が好きだと、大切だと、そう伝えてくれる。その目はいつだって俺を守ってくれているようで、その陽だまりに泣いてしまいそうになる。
返事をするように、俺も、俺にできる精一杯で目黒くんを見つめる。
少しでも君にこの気持ちが伝わりますように。
まだ恥ずかしくて、そこまで多くのことはできない俺だけど、今もまだずっと待っていてくれている目黒くんに早く追いつきたい。
はやる気持ちと、あと少しの勇気の真ん中で、もどかし気に揺れている俺の心ごと、目黒くんが攫ってくれる日が、いつかそう遠くない未来にあるような気がして、静かに身体の中に波が立つ。引いては返して、止まることなく小さな飛沫が上がる。
ゆっくり進むこの感じが、とっても幸せ。
でも、いつか、そのもう一歩を踏み出す時が来る。
その時は一緒がいい。
その先を歩いていくのも、ふたりがいい。
目黒くんは、いつだって俺の手を引いて導いてくれる。
だから、怖くない。
だから、応えたい。
一人で歩く帰り道に心細くなる。
さっきまで繋いでいた目黒くんの手が恋しかった。
その大きくて優しい手で、ずっと頭を撫でていてほしい。
寂しくて仕方がなくて、自分の手を頭の上に乗せてみたけれど、なんだかしっくり来なかった。
温かい時間が終わる。俺と君はまた別々の森に帰っていく。
帰らなきゃって、俺も目黒くんも、ちゃんと痛いくらいにわかっている。
だから、こんなに、これほどまでに、増え続けていく恋しくて愛おしい気持ちに、心が埋め尽くされて苦しくなるのかな 。
目黒くん、どうか俺と繋いだ今日の温度を忘れないで。
淡く透き通って、優しく輝く大きな月に、そう祈りを込めた。
お借りした楽曲
月恋歌/熊谷育美様
コメント
2件
最高すぎる…もう全ての言葉が素敵です🥹✨🖤💚