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『おーい髙橋、進路調査表書けたのか。
そろそろ出してくれないと。』
『まだ決まりませーん!』
高校3年の1学期。
周りが受験モードに入る中
自分の進路を決められないでいた。
まだ17歳だよ?!
まだ17年しか生きてないのに
それよりも長いこの先の人生を
今決めないといけないの?
はぁもう無理。
マーチだ日東駒専だ
予備校だセンター試験だ
わたしにはなんだか合わない遠い存在の言葉たち。
全然しっくりこないし想像もできない。
それでも書かせてくる先生。
当時は就職氷河期の始まりの頃だった。
絶対自分には就活とかできない、、
リクルートスーツ着て会社説明会行って
自己分析して自己アピールなんて
想像しただけで胃が痛くなる。
できれば就活のない仕事がしたいとさえ思った。
『専門は大変だけど大学生は遊べるよ〜』
と言ってくるひともいた。
知らない人とたくさん出会って遊びたい!
と思えるほどの社交性は待ち合わせていない。
サークル、、
バイト、、
キラキラ大学生がやるやつでしょう。
わたしは結構です。
そんな感じのJKだった。
なんとなぁく夢みている職業があった。
彼氏にだけ言ってみた。
『わたし、美容師になりたいんだよね。』
『いいじゃん!大変だけど絶対なれるよ!
頑張り屋さんだから!
俺の髪の毛を1番最初に切ってね!』
と言ってくれた。
そんな彼とは『受験の忙しさ』を言い訳に
積もり積もった我慢が原因で
高校3年の夏に喧嘩別れした。
まぁ学生の恋なんてこんなもん。
一生一緒にいようね!とか
結婚しようね!とか
もう今思えば
あの頃言い合ってた言葉はもはや幻で
そのセリフを言ってみたいだけで
言われてる自分が幸せそうだとか
そんなひねくれた記憶にすり変わっている。
当時のピュアな心はもう思い出せないけど
とにかく別れたらもう終わり。
そんなどうでもいいことは置いといて
あぁ、、
もしかしたら独りで生きていかないと
いけないかもしれない。
だれとも結婚できなかったら
自分で自分を養わないといけない。
なんだか漠然と不安にそう思った。
ひとりで生きていくための仕事か。。
友達にも言ってみた。
夏休みの部活中に
プレイヤーが走ってるのをみながら
『美容師になりたいんだよね。』
どう反応するかな。
『美容師?!いやーめっちゃ厳しいよ?
寮だし朝も早いし無理だと思うよ。
やめた方がいいよ。』
まじか。
まさかの反対派だった。
たしかにわたしはセンスもないし
流行りに敏感なわけでもない。
ただ双子の妹の髪をいじったりするのが
好きだった。
人を綺麗にして喜んでもらえるのがいいなって。
でもそれを一生の仕事にできるのか、、
その覚悟はまだなかった。
次はパパに相談してみた。
パパは国内大手の建設会社の
部長だかなんだかやっていた。
『建築系もいいなって思ってるんだ。
インテリアとか見るの好きだし。
美容師もいいなって思ってるけど
センスないしなぁ。
看護師もかっこいいよね。
資格系ならそのへんかな。』
『建築系ね!なら数学と物理が
できたほうがいいかな。
造形科ってのも面白いと思うよ。
美容師なら専門学校だね。
看護師は専門もあるけど
最近は4大もあるみたいよ。調べとくね!』
なんて頼もしいパピー。
パピーはお父さんというより
可愛いあだ名が似合うから
妹と決めてパピーと呼んでいる。
175センチでお腹が出てて顔は、、
目元はくっきり二重で
M字うすらハゲてて
兄の友達からはヤクザ、、?
と言われるような見た目だけど
趣味はプリン作りと庭いじりで
妹とわたしとバレンタインを一緒に作ったり
中身はとっても乙女である。
頼もしいパピーは
その日のうちに大学案内をごっそり取り寄せて
建築系、美容系、造形系、美大系、医療系、、
多分100校くらいはあった。
リサーチ力と行動力はほんとにすごい。
床から高く積み重なったパンフレットの量を見て
さらに迷う自分、、。
みんなどうやって進路を決めているの?
中学の塾の先生に相談したことを思い出した。
『美容系か看護系か
人間に関わる仕事がいいなと思って迷ってます。』
『なるほどね!先生もなぜだかわからないけど
美容と看護で迷う子って結構いるんだよ。
どちらにせよ理系にいけばいいと思うよ。』
そう言われて理系クラスのある高校に入ったのだ。
その時に思い出した。
せっかく理系できたんだから
それが活かせる方向に進んでみよう。
結局進路調査表には
第一希望に専門学校進学とだけ書いた。
2学期になった。
何となく広島のおばあちゃんに手紙を書いた。
『建築系か美容系か看護系にいくか迷ってます。
どれも難しいとは思うけど
自分で決めてまた報告するね。』
すぐに返事がきた。
『迷っているのですね。
看護系に進むか考えていること
とても素晴らしいと思います。
とても立派なお仕事です。
どの道に進むにせよ応援しています。 』
答えは決まった。
第一希望
看護系4大学
決断力のないわたしの背中を
おばあちゃんが押してくれたと思ってる。
いつも自分で何かを決める時
だいたいうまくいかないことが多くて
無責任だけど
誰かに決めてもらった方が
うまくいく気がして
誰かのためなら頑張れる気がした。
こんな小さな紙切れに
看護学科進学希望と書いただけで
まるで人生が決まってしまうような
絶対看護師にならないといけないような
そんな不安と期待でいっぱいだった。
担任にはもちろん反対された。
『今からじゃ間に合わないだろ。』
うん。わたしも同感です。
でも変える気はなかった。
担任の言葉に1番怒っていたのは母だった。
そのことを知ったのは
看護師として働き始めてからだった。
休み時間に参考書を開く友達が増えた。
いつも騒いでいたみんなが大人しく座っている教室
まさに受験モードって感じだった。
なんだか水面を乱してはいけない魚のような
砂埃をたててはいけない鳥のような
そんな異世界に住んでる生き物になったような
気分だった。
それでもまだのんびりしていた。
とりあえず看護学科がある都内の大学を調べて
オープンキャンパスに行った。
新しく開校する学校にしようと思ったら
まさかの合格発表が3月末とか
国の申請が通らないから4月になるかもとか
いろいろめんどくさいことになってたからやめた。
今度は実家から通える看護学科のある大学にした。
入試科目が数学と英語と現代文から2つ選ぶだけ
だったからという我ながらひどい理由だ。
とりあえず推薦入試を順番に受けたけど
もちろん落ちた。
妹は推薦枠で受かった。
さすがだ、、同じAB型で片割れとは思えない。
なんだかいつもわたしの前を歩いている妹。
妹と同じ大学に行きたい!
一緒にキャンパスライフを楽しみたい!
それを目標に絶対合格しなくちゃ、、
と、ようやく焦り始めた。
入試科目は数学と現代文にした。
今更英語は間に合わないと思ったからだ。
数学は得意だったけど
分野によって全然できないのもあった。
現代文なんて問題読んでても寝ちゃうほど
意味がわからないし興味もなかった。
やばい、、留年するかも、、。
孤独だった。
誰にも相談できない。
勉強方法もわからない。
家族がテレビを見ているなか
自分の部屋でこっそり泣いた。
なにかを察したのかパパが来てくれた。
『どうしたいのか、自分の言葉で言ってくれる?』
きっともうわかってただろうけど
親が進めるよりは
わたしが自分で頼んだことを
助けてあげたかったのかなと思う。
双子で大学入学だから
お金が2倍かかるから
なかなか言えなかった。
『、、勉強方法がわからないから
予備校に行きたい。』
『わかった!ありがとう言ってくれて!
パパ嬉しい!頼ってくれて嬉しい!』
ほんと最高のパピーだぜ。
すぐに予備校を探してくれて
数学は予備校に通うことにした。
現代文は家庭教師をつけてくれた。
一般入試で合格できた。
現役合格できたのも
大学選びで迷子にならなかったのも
自分の言葉で頼んだからには
最後までがんばらせてくれたのも
パパのおかげ。
少し偏差値低めの看護学科だったから
働いてから何か変わるのかな、、
と不安に思ってたらパピーが
『どんなレベルの高い看護学校にいこうが
低い学校にいこうが
受ける国家試験はみんな同じだからね!
スタートは違くてもゴールは同じだから!』
って言ってくれた。
要は自分がやるしかないんだと思えた。