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今日も一日、ショコラはミエルと共に街へ出掛ける――「はず」だったのだが。
急遽ぽっかりと予定が空いてしまった。
それは夕べの事である。
「……“関係の設定”、ですか……。それは確かに、盲点でしたね。」
ミエルからの報告を受けたファリヌは、暫し考え込む。
「――分かりました。では、やはり姉妹という事にしておきましょう。指摘を受けたのが呼び方であれば、ショコラ様には貴女を“姉さん”と呼んで頂き、貴女はショコラ様を“ショコラ”とお呼びする。それでとりあえず、ここでは何とかなるはずです。」
「…ええっ⁉私が、ショコラ様を呼び捨てに……」
ミエルはサアッと青ざめた。それを見た彼は、わずかに首を傾げる。
「明日からは、それでお願いしますね。」
そして今朝。
出掛ける支度も整い、玄関先でファリヌから見送りを受ける段になり――…
「…――では、次は貴女です。」
「ショッショコラ…さん。」
「“さん”は要りません‼さあ、もう一度!」
「ショコラ……。さん。」
「……もう一度。」
「…ショコラ…………さんっ!」
ファリヌの目が、どんよりと重く据わった。それから大きな溜息を吐く。
「……“ショコラ”と、連呼してご覧なさい!」
「し…ショコラショコラショコラショコラショコラショコラ…………様ぁ!!!」
ミエルはどうしても、「ショコラ」と呼び捨てにする事が出来ない。すると、ブチッという音が聞こえたような気がした。
ついにファリヌが切れてしまったのだ。
「様に格上げしてどうするんです‼なぜこれしきの事が言えないんですか⁉ふざけるのもいい加減にしてください!」
「“これしき”だなんて、何て畏れ多い……‼私は公爵家の屋敷内で生まれ育ったんです、物心ついた時から染み付いた価値観というものがそれを許さないんですっ!さん付けですら、どれだけ勇気が要った事か……!!ファリヌさんには分からないでしょうけどね‼」
半泣きになりながらも、ミエルは猛然と抗議する。だがファリヌの額には、青筋が立ったままだった。
「だからと言って、呼べなくていいという訳には行きません!……これはショコラ様ではなく、貴女に特訓が必要なようですね。ショコラ様。申し訳ございませんが、ミエルが“ショコラ”とお呼び出来るようになるまで、外歩きは中断といたします。さあミエルさん、来なさいッ!」
彼は、彼女の服の首根っこをむんずと掴んだ。
「そ…そんな!ショコラ様にご迷惑はお掛け出来ません!」
「このままでは外でご迷惑をお掛けする事になるんです!言えるようになるまで終わりませんよ。夜通しでもお付き合いしますからね‼」
「い……いやーーーー!!」
そうして、ミエルはずるずるとファリヌに引きずられて行ってしまった。それをショコラは、ぽかんとしながら見送ったのである。
「……まあ、どうしましょう……。する事が、無くなってしまったわ……。」
呆然としていると、屋敷の奥からバタバタと元気の良い足音が聞こえて来た。
「ショコラ姉様、今日暇になったって本当⁉」
従弟のベニエである。今の話をどこから聞き付けたのか、彼が息を切らしてやって来たのだ。
「じゃあ、また遠乗りに行こうよ!まだ一回しか行ってないでしょ?この間は時間切れで、行けなかった所があるんだ‼」
そう言って顔を輝かせる。
そんなところへ、冷や水を浴びせる声が掛けられた。
「ベニエ!貴方はお勉強しなくてはならないでしょう。もうすぐ寄宿学校へ入るのに、みんなに置いて行かれてしまうわよ!」
ショコラにとっては叔母であり、ベニエにとっては母であるクラフティだ。実は彼女は、最初からそこにいた。今日も一人屋敷に残るはずだったファリヌと共に、ショコラの見送りをするためである。
母の小言に、ベニエはむくれた。
「僕だって、たまには息抜きがしたいんだよ!ここのところ、ずっと勉強ばかりだったじゃないか!!」
ショコラが来て二日目の事。昼過ぎから半日ほど、彼は一緒に遠乗りへ行っていた。しかしそれ以降は部屋に籠らされ、家庭教師とだけ向き合う日々……。もっと言えば、しばらく前から勉強漬けで、その鬱憤は溜まる一方だったのだ。
その事に、母も内心気が付いてはいた。
「伯母様。私も今日は他にする事が無くて、困っているんです。一日だけ、ベニエを借りては駄目かしら??」
姪が、息子に助け舟を出している。クラフティは戸惑った。今さっき彼女に起こった顛末を、もちろん自分もすぐ側で見ていたのだから……。
「……貴女がそう言うのなら……ふぅ、仕方ないわねえ。それじゃあ、今日だけよ?」
彼女は仕方なく折れた。ベニエは諸手を挙げる。
「やった――!!!ショコラ姉様、ありがとうっ‼」
「お礼を言うのなら、伯母様によ。」
ショコラは苦笑いしてそう窘めるが、彼の耳には入っていないようだ。気持ちは早速、遊びの方へと向いている。
「今日は沢の方に行こうよ‼昼食持ってさ!料理長にすぐ用意するよう言って来るねっ!」
言い終わらない内に、ベニエは走り出した。よほど心を躍らせているらしい。
「ちょっと、危ない所へ連れて行っては駄目よ⁉明るい間に帰ってきなさい‼って……聞いてないわね、全く。これは、付き添いの者たちによくよく言い付けておかないと……」
母は大きな溜息を吐いた。
――…そんなわけで。
急遽、外歩き用の支度から遠乗り用の支度へと、変えなければならなくなった。ミエルは特訓に入ってしまったので、それはクラフティの侍女たちに頼む事にする。
そうして着替えなどを手伝って貰い身支度を整え直すと、この日は一日ベニエと共に過ごす事となった。
沢へ行くと言うだけあって、向かう場所は森の中だ。道とは呼べないような道を進み、馬を進ませる難易度は前回よりもかなり上がっている。しかしショコラはベニエ先生の指導の下、苦労をしながらやり切った。
おかげで、馬を操るのはだいぶ上手くなったようだ。これは思わぬ収穫である。
そして約束通り、まだ明るい内に屋敷へと戻る。
すると、玄関にはクラフティが出迎えに来てくれていた。――と、その側には……
「……お帰りなさいませ、ショコラ様…。」
明らかにげっそりとやつれた様子で、ファリヌとミエルが頭を下げる。心なしか、共に声も枯れているようだ。
ショコラは驚き、挨拶を返すよりも先に尋ねた。
「ふ、二人とも大丈夫⁉――…それで、どうなったの⁇」
ファリヌは横目でじろりとミエルを見ると、それに答えた。
「……今回、ここでのお二人は 親 戚 という事になりました‼――埒が明きません。いいですか、ミエルさん!本格的な旅の時にはこうは行きませんよ。出来なければ、貴女は公爵家の屋敷に置いて行きます!!」
特訓は「夜通しでも」と言っていたファリヌだったが、どうやらその前に限界へ達してしまったらしい。対するミエルは、小さくなってこくこくと頷いていた。
「……大変だったみたいね……。二人とも、今日は早めにゆっくり休んで!」
一夜が明け、翌日。元気を取り戻したミエルと共に、ショコラは外歩きを再開した。
今日は先日のような観光客が多い場所ではなく、比較的地元の住民が多い繁華街へ行くそうだ。
「今日はいくつか飲食店へ入り、しばらく周りの人々の会話を聞いてみましょう。」
という、ファリヌからの指示らしい。庶民的会話の聴講……といったところか。
ショコラとミエルは手頃な喫茶店に入ると、申し訳ないと思いつつも、周囲の会話に聞き耳を立てた。
この店は若い客が多いようだ。周りの席には、友人同士や恋人同士と思われる組み合わせが多数いる。頼んだ飲み物が運ばれて来ると、二人はそれぞれ偽装用に持参した本を広げた。
――…なるほど。周囲の席では確かに、この間ぶつかってしまった彼女のような話し方をしている。
ベニエもなかなか砕けた話し方をすると思っていたが、それ以上のものも聞こえた。屋敷では絶対に聞かないような言葉遣いも、多数ある。
『……そうか。皆さん、言葉を端折って話していらっしゃるのね。それでも通じるのだわ。……なかなか興味深いわね……。』
しばらく滞在してから、その店は出る事にした。
それから少しの間、土産物屋ではない普通の商店に入って見学をしつつ、今度は昼食を取るために食事処へと入る。
すると、ショコラの目はどうしても食べ物の方へ行ってしまう。
「街の方って、どんなものを召し上がっているのかしら??楽しみだわ!」
「……今回の目的は“会話を聞く事”、ですよ。」
目的が脱線しかけ、ミエルは苦笑いしながら本筋へと誘導する。気を付けなければ、外歩き初回の時のような言動をしかねない。
しかし前回の反省があるのか、この日のショコラは大人しく無言で食事を口に運んでいた。それでも心の内までは隠し切れず、その表情には漏れてしまっている。一つ口にするごとに、感想という感想を全て吐き出してしまいそうではないか……。
言葉に出したいのをぐっと堪え、食べ物と共にそれも一緒に飲み込んでいるようだった。
『……ここまで頑張っていらっしゃるのだから……。お顔の事は、大目に見ましょう。』
幸い他の客たちは自分の食事や会話に夢中で、誰もショコラの表情など気にもしていないようだ。
腹が満たされたると、ショコラはようやくここでの周囲に目を向けた。
先程の喫茶店とは違い、この店は家族連れや近所の知人同士という卓が多いらしい。年齢層の高い客も目立つ。
『あのお店とは、少し雰囲気も違うわ。言葉も……使い方が違うのね。年代によって、という事かしら……?奥が深いわ!』
ミエルの誘導など必要はなかったようで、彼女は勝手にぐんぐんと吸収している。
そしてここでもしばらくの時間を過ごすと、店を出た。
さて、腹ごなしにまた各商店でも見て回ろうか。そう思った矢先の事……
『――視線!』
ミエルはバッと周囲を警戒した。この間と同じく、何かを感じる……。
しかし、それらしき影は見当たらない。彼女は首を傾げる。
「やっぱり……私の思い過ごしなのかしら……」
気を取り直し、ミエルはショコラの隣を歩き出した。張り付くようにして。
――…それから何日にも亘って外歩きを繰り返し、ショコラは少しずつ街中での所作に慣れて行った。
ただ……気掛かりなのは、例の“視線”だ。
あれからも幾度となく、ミエルはそれを感じていた。だがその事以外には特におかしな事もなく、気にし過ぎなのかも……と段々思うようになる。それと同時に、その視線にも若干慣れてしまっていた。
そのためファリヌには、その報告をしていなかったのだった。
――しかし。
ミエルの感じた視線とは、気のせいなどではなかったのである。
「……チッ!メンド臭ぇ侍女だな……‼」
ミエルが振り返るたび、その人物は物陰に身を隠した。そしてそう呟くと、暗がりに姿を消したのだった。
「……もう少し、“調整”が必要か……」
「ショコラ様。旦那様から、お手紙が届いております。」
このシャルトルーズへ来て、約一か月。ショコラの元へ、父・ガナシュから手紙が届いた。
――“ショコラ、元気にしているか?お前のところへ、ヴァンロゼ伯爵家からパーティーの招待状が届いている。近い内にこちらへ帰って来なさい”――
という主旨のものだった。
ついに、王都の屋敷へと帰る時が来たのである。