魔術発動の練習を始めてから二月。毎週熱心にフローラの元へと通うルシンダだったが、今日は屋敷の雰囲気がいつもと違っていた。
(あれ、いつもは先生が門のところで出迎えてくれるのに……)
きょろきょろと辺りを見回すが、フローラは見当たらない。
首を傾げながら、どうしようかと困っていると、屋敷から一人の青年が出てくるのが見えた。
歳のころは十六、七歳ほどだろうか。茶色の癖っ毛と、きりりとした鋭い眼差しがどことなくフローラを思い出させた。
青年はルシンダのところまで歩いてくると、ぶっきらぼうに言った。
「お前がルシンダ・ランカスターか?」
「はい、そうですが……あなたは?」
「俺はレイ・トレバー。フローラ・トレバーの息子だ」
(やっぱり先生の息子さんだったんだ。でも、先生はどうしたんだろう?)
フローラが姿を見せないことを不思議に思っていると、息子のレイが説明してくれた。
「母は外出していて、お前の授業までに戻る予定だったんだが、用事が少し長引いて一時間ほど遅れるらしい。帰るなら授業の予定を振り替えるし、待つなら屋敷に上がってもらって構わない。どうする?」
「あ、そうだったんですね。では、待たせてもらってもいいですか?」
「……じゃあ、案内するからついて来い」
レイに連れられ、応接間へと案内される。するとすぐにメイドが温かい紅茶とビスケットを用意してくれた。
「じゃ、俺はこれで──」
レイが部屋を出て行こうとしたが、一人で待つのはなんとなくつまらない気がして、ルシンダが引き留める。
「あの、せっかくなので少しお話しませんか?」
「は、なんで俺が……」
レイは面倒そうな顔をしながらも、向かいのソファにどさっと腰かけた。
態度はこんなだが、嫌々ながらもルシンダに付き合ってくれ、あらかじめ紅茶と菓子まで用意してくれていたようだし、案外面倒見がいいのかもしれない。
「レイ様は、今は学校に通われているんですか?」
「……ああ」
「きっと王立魔術学園ですよね。どんなことを勉強するんですか?」
「……まあ、普通に文学や地理や歴史や数学──」
「うえっ……」
「うえ?」
「いえ、すみません、数学が苦手なものでつい……」
「まあ、苦手そうな顔してるよな」
「え! そんな顔してます⁉︎」
ルシンダが驚いて自分の顔をペタペタと触ると、ずっと無愛想だったレイの顔が少しだけ緩んだ。
「……あとは座学だけじゃなくて、魔術の実技もある」
「さすがは魔術学園ですね」
「そうだな、俺はサボってるけど」
「えっ」
ルシンダはさらりとサボりを告白するレイに驚きつつも、もしかして、と尋ねてみる。
「あの、魔術はフローラ先生に教わってるからいいか的な……?」
「母からももう二年くらい教わってない」
「え、どうして……」
「正直言って、母や学園の教師より俺のほうが出来るし、教わることなんてないからな」
レイは、さも当然というような顔をして言う。
(本当かどうか分からないけど、ものすごい自信だな……)
何と返せばいいか躊躇っていると、レイがうんざりしたような口調で言い放った。
「”先生” なんて呼ばれて偉そうにしてるけど、魔術の教師なんて所詮は王宮魔術師になれない落ちこぼれが就く仕事だろ。そんな奴らに習ったって上なんか目指せないし、お前もまともな魔術師になりたいなら早いとこ見切りをつけて、どこかの王宮魔術師にでも弟子入りした方がいいぞ」
レイのあまりの言い草に、ルシンダは完全に言葉を失ってしまった。
教師という職業や母親をひどく馬鹿にしたような言い方だ。
(もしかしてレイ様って……反抗期なのかな?)
教師や親を無視したり、舐めたようなぞんざいな態度を取ったりするのは、たしか反抗期にありがちな話だった気がする。前世の中学校のクラスメートでも、そういう男子がいた覚えがあった。
(うーん、会ったばかりの人だし、よそ様のことに首を突っ込むのもアレだし、そっとしておいたほうがいいよね。でもフローラ先生へのあの言い草はちょっと酷い気がするし……)
ぐるぐると悩んでしまったが、お世話になっているフローラのために、少しだけフォローをすることにした。
「あの、レイ様。ちょっとだけいいですか?」
「なんだ?」
「お言葉ですが、自分が出来るのと人に教えるのとでは、全然違うんですよ」
「……何が言いたい?」
「例えば、国一番の魔術師に弟子入りしたとして、その人の教え方が『魔術の発動は、使いたい魔術をホワホワ〜って思い浮かべて、身体から魔力をニョキニョキ〜って出せば使えるから』みたいな感じだったらどうしますか? 練習しても上手く出来ない時に『なんで出来ないのか分かんない。さっき教えた通りにやるだけだよ』なんて言われたら困りませんか?」
「それは…………困るかもしれない」
レイがぼそりと呟く。
「そうでしょう? でも、フローラ先生なら、絶対そんな教え方はしません。私でも分かりやすいように言葉を選びながら具体的に説明してくださいます。もし練習で行き詰まってしまっても、別のやり方を提案してくれたり、私に合った方法を探してくれるんです。それに、焦って落ち込まないように励まして気遣ってくださいます。レイ様だって、知ってるでしょう?」
「…………まあ」
「人に教えるには、自分が出来るだけじゃダメなんです。人に教えるスキルが必要なんです。──それに、教師って、ただ魔術や勉強を教えるだけの人じゃないです。考え方とか人との向き合い方とか、生き方を教えてくれる人でもあるんです。あと……たとえばの話ですけど、家に居場所がないと感じている生徒の心の拠り所にもなれるくらい、大きな存在になり得ると思います」
「…………」
「だから、教師という職業は、王宮魔術師になれなかった人が仕方なく就くんじゃなくて、教師になりたかった人が志と誇りを持って就く仕事だと思います」
そうだ。RPGでだって何となく適当に仕方なしでジョブを選んだりはしない。目指す目標のためによく吟味して選んでいた。ゲームでさえそうなのだから、現実の仕事ならもっと覚悟を持って選んでいるはずだ。
ルシンダが目で訴えるように、じっと見つめると、レイは何か考え込むような顔をして黙り込んでしまった。
「あ、あの、レイ様……?」
沈黙に耐えきれずにルシンダが呼び掛けると、レイがようやく口を開いた。
「……”様” はいらない。レイでいい。敬語も不要だ」
「は、はあ……」
「まさか七つも歳下の女の子に説教されるとはな」
レイが参ったとでも言うように、片手で頭を抱えた。
「あ、偉そうにすみません……。しかも、ちょっとのつもりが長々と……」
「いや、お前のおかげで目が覚めた。ありがとな」
レイがぐしゃりとルシンダの頭を撫でると、ちょうどフローラの声が聞こえてきた。
「ルシンダ、遅くなってしまってごめんなさい……あら、レイもいたの?」
息子も一緒にいたことが意外だったようで、フローラが目を見張る。
「私に付き合って、お話をしてくださってたんです」
ルシンダがざっくりと説明をすると、レイが母親のほうへと歩み寄った。
「……今まで色々ごめん。また俺に……魔術を教えてくれるかな?」
少し俯きながら、そんな言葉を掛けてくる息子を驚いた表情で見つめるフローラだったが、やがて、ふっと安心したような笑みを浮かべ、息子の鼻先にツンと人差し指を押し当てた。
「もちろん、どこに行っても困らないように、しっかり教えてあげるから覚悟なさい」
「……はい」
フローラもレイもどことなく嬉しそうだ。
(反抗期は無事に終わったのかな?)
どうやらすれ違いが解消されたらしい親子をルシンダが微笑ましい気持ちで眺めていると、フローラが突然パンッと手を叩いた。
「さあ、そうしたらレイもルシンダの授業に参加しなさい」
「は? 俺も?」
「見学も勉強になるし、ルシンダにとってもいい刺激になるわ」
「私もレイと一緒に勉強したい!」
「……仕方ねえな」
こうして魔術の授業にレイも参加することになり、ルシンダも兄弟子ができて、ますます授業に身が入るのだった。
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