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一般的には一歩下がって控えるのがメイドの心得だろうけれど、私は迷う自信しかないのでノワールには前を歩いてもらう。
マッパースキルは持っているし、こっそり右上部分に大きく展開してみたりもしたけれど、どうにも正しく進めないのだ。
地図の見方が分からない女子には理解してもらえるんじゃないかと思う。
夫の、生温い微笑が浮かんだので大きく首を振った。
ちなみにランディー二は右肩に乗っている。
向こうの世界だとフクロウの肩乗せに関しては賛否両論あるけれど、こっちでは肩&頭乗せが主流とされているようだ。
守護獣や従魔、もしくはランディー二のように人をあらゆる意味で上回る妖精として、意思の疎通が可能である点が大きい気もする。
爪が肩に食い込むなんて痛い目に遭うはずもなく、時々ふわふわと頬を擽る羽根の感触が大変心地良くて和んだ。
冒険者ギルドの扉を開ければ、騒がしかった室内が一瞬で静けさに包まれた。
ノワール効果だろうか。
ランディー二は思うところがあるのか、隠蔽を使って完全に気配を絶っている。
カウンターに立っている中で一番仕事ができそうな、古株っぽい雰囲気の男性に向かってノワールが軽く会釈する。
男性は最敬礼の直角お辞儀をすると、その足で奥へ入っていった。
『主様。拠点に何かご希望はございますか?』
聞かれては困る内容でもないと思うのだが、ノワールが念話で囁いてくる。
返事は当然念話だ。
怪しい人に見えるからね。
『んー。一人でまったりできる空間が欲しいかな。あとは、お風呂!』
『風呂を御希望となりますと少々お高くなりますが、よろしゅうございますか?』
『うん。主人が預けてくれたお金があるから大丈夫です。お金には糸目を付けない感じでお願いします』
昔の自分だったら、物語の中でしか使われなかったセリフ。
夫の力がなくとも、こちらの世界であればそれなりに稼げそうな気配はあるけれど、言ってしまったあとで照れがきた。
『御方でしたら、主様に不自由させることはありませんでしょう。失礼いたしました』
『基本は自分で稼いだお金で生活していくつもりだけどね。足りないときは遠慮なく使うつもりでいます』
『むしろたくさん使われた方が御方は喜ばれると愚考いたします』
それは分かっている。
金で買える至福なら簡単だから、と夫も笑っていたし。
だからといって、湯水のように使うのも違う気がするのだ。
金の価値を自分で貶めている、そんな心持ちになってしまうのは、夫に出会うまでお金に不自由してきたからだろう。
「お待たせいたしました。ノワール殿の御主人様、ノワール殿」
おー!
ノワールの名前は既に知れているらしい。
さすがは冒険者ギルド。
「……以降は、アリッサと呼んでください、ギルドマスター」
アリッサにはファミリーネームがないので仕方ない。
ノワール殿の主様と呼ばれるよりは、様付け呼びの方が幾分か気持ちも楽だ。
「ありがとうございます、アリッサ様。此度はどういった御用件でございましょうか?」
「主様は王都に拠点を御所望です」
あ。
ノワールの声が他の人にも聞こえる仕様に変化した。
交渉事になると万人に聞こえる声に変えるようだ。
妖精の声は基本的に、主人もしくは妖精が認めた相手にしか聞こえないのが常識らしい。
姿を消している……というか姿が見えない場合も多いので、傍から見ると独りで喋っている残念な人にしか見えないけれど、割合とよくある光景なのだそうだ。
え!
じゃあその辺りは気にしないでいいんだ。
今後は普通に喋ろう。
今回ノワールは私の安全を確保するために冒険者ギルドへ入る前には、その姿を万人に見えるようにしていた。
逆にランディーニは隠蔽して守ろうとする辺りに、二人の役割分担が綺麗にできている気がする。
「! それは大変喜ばしいことでございます。どうぞ、こちらへ……」
緊張を僅かに緩和させたエルフの微笑は、どこか儚げで美しかった。
エルフ萌えー、と頭の中に弾幕が走る。
ギルドマスターの執務室だろう場所には、応接間も併設されていた。
前回は奥へ入るのを拒絶したから初めて足を踏み入れたわけだが、部屋はシンプルに整っていて好感が持てるコーディネイトだった。
ソファに腰を下ろせば、体が心地良く沈み込む。
「拠点となりますと、商人ギルドの方が紹介できる物件が多くなりますが、冒険者ギルドの紹介でよろしいのでしょうか?」
「現時点では、商人ギルドは主様を煩わせる対応しかしないと思われますので、事情を一から説明しないですむ冒険者ギルドにしたのです。本拠点でもありませんから、十分と思われます」
「左様で、ございますか。それでは……少々お待ちくださいませ」
ちらちらとこちらの様子を窺いながら、カウンターにいた若い職員が紅茶と焼き菓子を置いていく。
視線は鬱陶しいが、紅茶は良い香りだった。
しかし、もじもじと私とノワールを見比べている。
話しかけられるのを待っているのだろうか?
ギルドマスターは前回のやりとりできちんと私の対応を学んだらしいが、末端にまで徹底はできていないようだ。
「冒険者ギルドの職員は、随分と質が落ちましたものですが、どういった教育をされておられるのでしょうか?」
「大変申し訳ありません!」
何冊かのファイルを手にしたギルドマスターが、机の上に置いてあったベルをりりりんと音も高く鳴らす。
二人の屈強な男性が現れて、宇宙人による拉致のようにしっかりと両側から女性を拘束し手早く口まで塞いでから、深々と頭を下げて出て行った。
「教育ではなく、躾をしていた職員でございました。本日中に解雇いたします」
「……もしかして、やんごとなき筋系から押しつけられたとか?」
「御賢察いただき恐縮でございます」
「それなら、仕方ないんじゃない? 前の人もそうだったみたいだし。随分な人気職なんだね、ギルド職員って」
「保証がしっかりしている職業でございますので……その真の苦労を知らぬ方々が、高望みすると、今回の一件のようになるのでございましょう」
言い回しは難しいが、ギルドマスターへの怒りは軽減されたようだ。
強力な縁故入社で使えない人材は絶望的に厄介なのだ、と夫の友人たちがよく愚痴を零していた。
「アリッサ様が望まれます拠点の希望は、風呂がついていること、キッチンが充実していること、アリッサ様が寛がれる個室があること、の他にございますでしょうか?」
「よくお分かりですね!」
正直、驚いた。
私が望む拠点の条件を完全に満たしている。
低ランクの冒険者は勿論、高ランクの冒険者でも優先しないだろう条件だと思うのだ。
「御方様が望まれた条件が、各ギルド共通認識として徹底通達されております」
「なるほどねぇ……私は、その三点が満たされれば十分だけど、ノワール的にはどうかしら?」
「不審者撃退魔道具の完備、収納の充実、市場へ出やすい立地、治安はできるだけ良い場所、部屋数は多め……以上でございます」
女性ばかりだから不審者撃退魔道具完備は有り難い。
現時点での戦力なら誰を残してもそこそこはしのげるだろうが、安全なのに越したことはないのだ。
「そうしますと……」
ギルドマスターは持ってきたファイルのうち、三冊を私たちの目の前に広げた。
「主様」
「うん。ありがとう」
一冊ずつ目を通してゆく。
前住人がどんな人物だったかも書いてある。
向こうの世界では聞かないと出てこない情報が、当たり前のように事前開示されていた。
それだけトラブルが多いのだろうか。
「物件としては甲乙をつけがたいけど、どれも前住人が手放した理由が凄くて驚きました」
その一。
クーデターを起こしてお家取り潰しとなった公爵家の愛人宅。
一旦国が管理し、商人ギルドが販売を拒否したので冒険者ギルドで販売を許可された。
その二。
ハーレムで有名だったランク金冒険者の王都拠点。
キャットファイトに巻き込まれて、ハーレム主が殺されたので冒険者ギルドが買い上げた。
その三。
大商人の妾宅。
本妻の怒りを買って、妾と子供五人が惨殺された。
複数のゴーストが出るという噂有り。
教会で持て余し、冒険者ギルドで販売を許可された。
「いいように押しつけられましたねぇ?」
「物件自体は良いので、冒険者であれば希望もあるだろうという楽観的な希望の元に、副ギルド長が決断いたしました」
「全員違う副ギルド長とお見受けいたします。長くギルドマスターをやっておられると、横槍も多いでしょう。お望みであれば、少し……手を回してもよろしゅうございます」
ノワールは物件自体が良質であれば、その過去は気にしない性質らしい。
私の許可を得ずに親身な提案をするとは、どれもよほどすばらしい物件なのだろう。
「物件を気に入っていただけたようで何よりでございます。ノワール殿の提案は、拠点が決まりまして、アリッサ様、ノワール殿、また拠点を使われる方々に御満足いただけましたならば、御手配いただけると有り難く存じます」
「主様は三軒のうち、どちらがよろしゅうございましょうか?」
「うーん。正直、甲乙付けがたいなぁ」
「では主様、お酒は如何でしょう? 毎日晩酌をいたされますか?」
「良いことがあったときでいいかな。あ! ノワールのお薦めがあれば毎日でもいいかも。量は飲めないけどね」
「王族貴族と積極的に関わりを持たれますか?」
「必要最低限で! できるなら距離を置きたい」
「でしたら、この……大商人の妾宅だった場所にいたしましょう」
公爵家は、お取り潰しなので家具や調度品は一切合切召し上げられたらしい。
けれどクローゼット他、収納が充実している。
ハーレム王の方は、現場となった寝室以外の家具や調度品がそのまま置かれている仕様。
更に武器&防具庫が充実している。
大商人の妾宅は、惨殺現場が家中にわたったらしく、家具調度品は一切ないという話だった。
ただし家電に当たる冷蔵庫やワインセラーなどは、魔法で保護されていたので無事とのこと。
家電的アイテムの充実がノワールの心を動かしたのだろうか?
幽霊は気にしないし、本人たちが希望するならスキル浄化で呪縛から解放してもいい。
「それでは即時、案内いたしましょう」
「よろしくお願いします」
「……留守は、副ギルド長が守られるのでしょうか?」
「数時間であれば古参の職員が暴走を止められますので大丈夫です。お気遣いありがとうございます」
どうやら今の副ギルド長も駄目なようだ。
ノワールには是非とも真っ当な人事を手配してあげてほしい。
上目遣いに目配せしてみると。
『主様にはご心配なきよう。王宮の人事を司る者に依頼しましたので、帰宅時には新しい副ギルド長が手配されるでしょう』
心配に思う間もない完璧な手配が既に成されていた。
ギルドマスターが部屋を出ると、何人かが聞き耳を立てていたらしく扉のそばで慌てている。
防音は完璧なので時間の無駄でしかないのに、御苦労なことだ。
「は! 値段を見てなかった。あれって一応賃貸扱いの物件ですよね?」
「はい。左様でございます。ですが特殊物件ですので、お買い上げいただくのであれば、格安にて提供させていただく所存でございます」
「まずは物件を見てからかな、ノワール?」
『はい。それがよろしゅうございますね』
「冒険者ギルドから徒歩で十分ほどでございますので、馬車を用意いたしましょう」
「よろしくお願いします」
ギルドマスターが御者を呼びつけている間に、こっそりとノワールに尋ねる。
「馬車の移動速度ってわからないんだけど、どれぐらい?」
『徒歩十分であれば、馬車で一分になりますね。速度的には急がない馬車で徒歩の十倍ぐらいとお考えください』
「おぉ、なるほど分かりやすい!」
感心している間に馬車が目の前に着けられる。
目がくりっとして賢そうな栗毛色の馬が一頭で引いている馬車は、貴族も満足するに違いない品のある優美な作りで、日本の儀装馬車に近しい形態だった。
中は四人が寛いで座れる広さに、座席はクッションが敷き詰められたような座り心地の良さで、思わず口元を緩める。
異世界テンプレ物の、馬車に乗ったら尻が痛すぎて泣けるわ! といった悲劇には見舞われなかったようだ。
有り難いです。
中に入り込んで、そう言えばチップ的な物を御者に渡さなくていいのだろうか? と首を傾げていると、ノワールから返事があった。
『一般的な御者にはわたした方がいろいろと便宜を図ってくれるので無難ですが、ギルドの御者には不要でございます。賄賂扱いとされておるのです』
なるほど。
ロマンスグレー萌え! と声を上げたくなる老年の男性は御者の制服も格好良かったので、ちょっとしたおひねりの意味合いでもあげたかったのだが、取り決めならば仕方ない。
『ギルドマスターに一言、良い御者ですね、と伝えれば、それが一番彼らの矜持を満たしますので、どうかお言葉を』
「随分と熟練された御者ですね。運転も安定しているし、あっという間に着いてしまいました」
「ありがとうございます。御者に必ず伝えておきます」